NIPPON * BRASIL * ダブル目線 *

ブラジル日系人2世の父と日本人の母を持つ、ダブル国籍。ダブルな目線できままに綴ります♪

NIPPON * BRASIL * ダブル目線 *

2014-12-31 | ワタシについて



NIPPON * BRASIL * ダブル目線 *

~ ご覧いただき、ありがとうございます! ~

↓↓↓ 日々の“目線”を綴った日記は下に続きます (^_-)-★

私は日本(大阪府富田林市)で生まれ、中学校を卒業するまで
日本で育ちました。高校に入学した夏、家族でブラジルへ。

父はブラジル日系2世、母は広島出身の日本人です。
だから私はブラジルと日本のダブル国籍保持者。

サンパウロに移住し、2年間をポルトガル語の学習に費やして
現地の高校に進学後、大学へ。美大で造形美術科を卒業しました。

ブラジルで就業後、来日・帰国。 現在、東京都在住。

そんな人生を楽しみながら、好奇心いっぱいの日々を邁進しています♪

◆◇◆  詳しい自己紹介 ⇒ コチラ  ◆◇◆
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自己紹介 

2013-02-01 | ワタシについて

はじめまして! Lina と申します

 初めて会う方のバックボーンを知るとコミュニケーションが
とりやすいと思った事はありませんか? 

私はその人の“歴史”を教えてもらうと嬉しいです♪

よく人から、ブラジルでどうやって言葉を勉強したのか訊かれます。
だから少し長めではありますが、そこを中心に自己紹介をさせて頂きます。 m(__)m

 そして現在のお仕事ですが、ブラジルビジネスに関わっています。つい先日まで某企業のマーケティング部に所属していましたが、今はフリーで活動中です。

広告代理店業務では大手ブラジル企業を担当し、あらゆるメディア広告を手掛けました。日本企業のブラジル進出サポート業務では2010年にJTBコーポレートサービス社とブラジルビジネス情報センター(BRABIC)の立ち上げから携わり、2012年には経済産業省委託事業「クール・ジャパン」で初のブラジル事業を受託しました。セミナー企画・運営、資料作成準備、市場調査、市場視察コーディネート・同行&ガイド、通訳&翻訳、ブラジル最新情報執筆などあらゆるサポートが可能です。

もし、何かブラジルのことでお役に立てることがあればご連絡くださいませ(^_-)-☆

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 日本生まれ。大阪育ち。日本とブラジルのダブル国籍保持。

 中学卒業まで日本の愉快な仲間達と青春を謳歌。
その後日系ブラジル人の父の故郷、ブラジル・サンパウロ市へ移住。
2002年に再び日本に舞い戻りました。現在東京住まい。
 
ブラジルに渡った当時、ポルトガル語を学ぶために午前中は近所の
市立小学校の1年生に特別聴講生として入学
子供達は【外国人】の私におかまいなしにガンガン話しかけ、ちょっかいを出し、
甘えてきたり、勝負してきたり、その天真爛漫さと間違っても恥ずかしくない
気楽さから【ブラジル人としての基礎】を教えてもらいました。

午後から
はまだ年齢的には高校生でありながら、父の知人のつてで
USP(サンパウロ大学。南米最高峰の大学)ポルトガル語科に特別に
入学を許可され、世界中から来た留学生と共にポルトガル語を勉強しました。
テストはなんと英語とスペイン語で行われる為、えらい苦労しました・・・。(^-^;) 

また、日本語で教えてくださる日系人の先生の下でも、主に文法を徹底的に
叩き込まれました。ポルトガル語は文法がとても複雑です。
話しただけである程度その人の教養が知れる言葉でもあります。
同じラテン系の言葉にスペイン語やイタリア語、フランス語などがありますが、
特に似ているスペイン語などは少し勉強すればすぐにマスターできます。
とてもお得感があります♪ 
 

2年間のポルトガル語スパルタ教育
の後、やっと高校生として普通に進学
私の行った高校は大学のように専攻課程があるシステムで、
【マーケティング&パブリシティー】を専攻、無事卒業しました。
卒業制作ではクラスで架空の会社を興し、各自役職につき、実際に商品を作って
広告を打ち、最後に本当に売買を成立させるというユニークな課題をこなし、
大変貴重な経験と学びになりました。
ちなみに商品は私が提案した家具、役職は広報課・アートディレクターでした。 

大学はアートを追及したかったのと、尊敬するイタリア人アーティスト
S.Faro先生(イタリアの有名教会のモザイクをたくさん作られた)とご縁があり、
弟子にしていただいてた事もあり、私立の芸術大学に入学
造形美術科を卒業。同時にブラジル中学校美術教師の資格もとりました。 

卒業後はサッカー関係で通訳や翻訳を手がけたり、某大手日系企業で
マーケティング課に所属。広報、デザイン、商品開発、販売促進企画、
市場調査、VMD などを担当。

来日後は、前から興味のあった【心理学】を学んで
臨床心理カウンセラーの資格をとりました。私のライフワークとして
長いスパンで心理学を日常や仕事に活用、勉強していきたいと思っています。
 

そして、日本文化 


 外国では、私達ひとりひとりが【日本代表】になります。
自国の歴史を知り、文化を知り、愛することがとても重要
ブラジルで私は【日本から来た日本人】として、日本についてたくさんの
質問や議論を投げかけられました。自国のことを学ぶ大切さを痛感しました。

ちなみに向こうでは【ブラジルを知る会】というブラジル文化や歴史を
勉強する会に属し、個人的にサンバやボサノヴァ、カポエイラなどにも
使用される楽器、pandeiro(パンデイロ = ブラジルのタンバリン)を
習っていました

せっかく日本にいる今、今度は日本文化について勉強中です。
日本人として、外国人として、両方の視点を持つことができるのは
幸せなことだと思っています。 

 
着物を着て≪茶道のお稽古≫をする時、なんともいえない
心の落ち着きを感じます。季節の移ろいも自然や五感を通じて
楽しめるようになりました。着物も愛しています

華道は、池坊緑葉式の家元の直弟子として精進中です。
家に常に花や植物がある暮らしは心が豊かになります。 

 いまだにポルトガル語で夢をみることもありますが、
最近やっと?!日本とミックスしてきました。
例えば、東京の駅で切符を買い、おつりはブラジルのお金で。
街並みはサンパウロで、行きかう人々は日本人。いい感じです(笑)♪
 

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 ==================== よろしくお願いいたします=======================

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父からの手紙

2009-03-20 | ワタシについて

 ブラジルから毎月数通届きます



父がブラジルの雑誌や写真、本、時には自分の書いたエッセイ が
掲載された新聞記事を短い手紙やメッセージと一緒に送ってくれるのです。

日本に来てから欠かすことなく届けてくれます。

父はすこぶる筆まめ

離れて暮らしていても、いつも近くに感じていて
寂しい思いをしたことがないくらい。

大きくて温かい愛情を惜しむことなく注ぎ続けてくれています。

父は人前でも家族を堂々と自慢します。
そういえば私は父にけなされた記憶がひとつもない。

とにかく、マイナスな言葉を父の口から聞いた事がありません。
子供の頃から父は、ことあるごとに私達をほめてくれた。
嬉しくなって私達は得意なことが増えました。

とても「個性的」な父。
活発で好奇心旺盛で、ポジティブで物怖じしない。
人が好きで、人からも好かれる。

2人のローマ教皇と、3度の単独謁見を実現しています。
● 8月24日の日記「うちの金メダル」 → 
★☆★

そんな父の姿は私の人生のお手本。

3月17日は父のお誕生日でした

元気でいてくれること、
心から感謝しています
いつも いつも いつも 本当にありがとう!!!


レタリング デザイナーの叔父

2009-03-13 | ワタシについて

TIO MARIO (チオ マリオ)

TIO(チオ)は「おじさん」という意味。
父の弟、つまり私の叔父です。

私の父方の祖父母は新聞記者としてブラジルに渡り、
ずっとサンパウロに住んでいました。

TIO MARIO は普段は口数も少なくて、地味な印象の人。

芸術面で才能があり、叔父の家には彼の油絵や陶芸の作品があります。

後に知って驚いたけど、彼は商業デザイナーで
主にレタリングのプロフェッショナルとして
ブラジル大統領からも仕事のオファーが来ていたそうな・・・


TIO MARIO の代表作品





これは、ブラジルでは知らない人がいない超ロングセラー商品
【 MAIZENA 】 マイゼーナ = コーンスターチ(とうもろこしの澱粉)

ブラジル人の家庭には必ず置いてあるポピュラーな商品。
インディオの娘がとうもろこしからコーンスターチを作っているイラスト入り。
現在でもこのデザインはほとんど変更がないほど広く認知されています。

 





はみがきこ Kolynos(コリーノス) 



赤ちゃんがなめても美味しいらしい

 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・  ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

祖父はジャーナリスト、もう一人の伯父は本を上梓しているし、
父も超筆まめだし、うちは文章を書いたり、
絵を描いたりするのが好きな家系なのだとつくづく思った、今(笑)。


★ 射撃 ★

2008-12-14 | ワタシについて

子供の頃、デパート(高島屋)の電子遊技場で
大のお気に入りがあった。

最も好きだったのは、射撃★

小さいピストルなんかじゃなくて、重くて大きいライフル銃。

西部劇の酒場の設定で、等身大のマネキン数体がジョッキを握っていたり、
ピアノを弾いていたり、バーカウンターでお酒をついでいたり、
すみっこには猫やねずみ  の人形が。

とても小さい円形の的が、その舞台装置の中にいくつもあって
当たると派手な音とアクションがあった。

酒樽に当たればお酒が吹き出し、ピアノの的に当たればピアノが鳴り、
ジョッキを持つ男に当たると乾杯を始め、猫に当てるとねずみを追っかけたり。
極めつけは、女性に当たるとドレスのスカートの裾がまくれ上がる!

このことから察するに、けっこう 【オトナ仕様】(笑)。

ライフル銃も結構な重量があり、しっかり持たないと震えてしまう。

父親はブラジル育ち。射撃の経験があるようで
子供だった私にも、しっかりと的の狙い方を教えてくれた。

コツをつかむと面白いように的中!
好きなアクション(的)を自由に狙えるようになり、
やがて絶対に『外れなくなる』(笑)。

大人に混じって【射撃】をし、百発百中の腕前をかわれて
見知らぬ男性に、「あのおねえちゃんの人形に当ててくれ!」
と頼まれた事もある

でも考えてみたら、妙に射撃が上手い子供ってちょっと変わってるかも(笑)。


      

月日は流れ、私は家族と共にブラジルで暮らしていた。

ある日、サンパウロの田舎の農園に招待されて
仕事場の仲間と出かけた。Churrasco(シュラスコ=バーべQ)を
楽しんだ後に、農園オーナーが特別に【射撃】をさせてくれると言い始めた。

 「ぜひ、やらせて下さいっ」 

女性で唯一、しかも真っ先に立候補。

さすがにライフルではなく、ピストル(リボルバー)で。



もちろん本物、実弾。初体験!

15メートルほど先に置いた「空き缶」が的。

さすがに重くて、一緒にいた男性陣でも片手では無理。
両手でよ~く狙いを定めて・・・・
(よみがえる子供の頃の記憶

引き金を引く

 パーン!

という乾いた音と同時にすごい衝撃が両手に伝わり、思わず後ずさり。

周りからは、「お~の歓声と拍手が

見事、一発で的の缶を吹き飛ばしていた

私の人生初の実弾射撃は大成功
記念にそのズタボロの缶はお持ち帰り♪

その後、5人の男性がトライ。
なんと!誰一人的に当てる事ができず・・・。

「Lina とだけは絶対ケンカするのはよそう・・・

男性陣に口々にそう言われた私・・・

そうか!射撃をわけもなくこなすのは
“可愛げのない女子” なのか・・・

ひとつ、勉強になりました

それに、実弾射撃はお遊びとはいえ、いろんな面で
【重さ】を感じた。

もう二度と銃を手にする事はないでしょう。


本物のジャポネーザへ★

2008-11-26 | ワタシについて



ブラジルで生活していた頃

周りの人達からは、ずっと ≪日本代表≫ として見られていた私。

ブラジルで生まれ育った日系人と違い、日本から来た
≪ japonesa verdadeira  = 本物のジャポネーザ≫
と呼ばれた私。

なのに、実は日本のことをちっとも知らない ≪偽者のジャポネーザ≫!?

情けないと感じました。

まだ日本にいた中学生の頃などは、外国映画なんかを観て
イメージだけで、“あ~、海外は明るくて面白そう!いいな~♪”と
意味もなく思ったりして。まさに井の中の蛙状態

でも、日本を一歩出ると現状は違っていた。

ブラジルは、先人移民の方達の大変な努力のお陰で
親日家が多く、「ジャポネース」のイメージはおおむね良好。

驚くほどブラジルの人々は親切で温かい人が多い。
私は現地の学校で高校、大学を出たけど、
学友達にどれだけ助けられたか!

彼らがいなければ私はきっと挫折していたに違いない。
彼らと進級したい一心で勉強し、留年もせずに無事卒業できた。

そんな彼らと過ごしていて、常に感じたのが
  彼らの 【ブラジル人として】 の誇りとアイデンティティー。
彼らは当然のように自然にそれを持っている。自国を大切に思っている。

彼らは【日本人】に対して、礼儀正しい、真面目、勤勉、優秀などといった
良いイメージを持っている人達が多かった。日本(系)人社会の閉鎖的傾向をも、
伝統を守ろうとする為の正当な行為として理解できると言った人もいた。
彼らの信じる 【日本の良いイメージ】 はなるべく壊したくなかった。

だからといって無理に優等生でいようという気はさらさらなくて、
友達と時には悪戯もしてみたり、授業を抜け出したりした事もあった。

だけど、ブラジル社会や文化に敬意を表し、「私は学びたい」という姿勢は
常に崩さずにいたつもり。つまり、【興味をしめす】ということ。

私がイチイチ質問することに対して丁寧に答えてくれたブラジル人。
そうすると、向こうも日本のことに興味を示し、いろいろ尋ねられる。

そこで痛感する、自分の勉強不足

言葉の問題だけではない。例え日本語であろうと知識そのものがない。

≪偽者のジャポネーザ≫ では申し訳ない!
だから・・・日本でもう一度勉強したい!

と心に誓って、5年前に日本に来ました。

今、日本文化を学ぶことが楽しくて仕方ありません

何百年の伝統がある茶道や華道、着物を始め、
各地に伝わる伝統工芸品や食品、ありとあらゆる【日本】を
吸収して、発展と継承につとめていきたいと考える今日この頃です。

ブラジルと日本は地理的には遠いけど、人々の交流の歴史やつながりは
決して浅いものではありません。移民もちょうど100周年を迎えているし、
これからも、もっともっと両国の絆が深まるように
微力ながら【考動】していきたいと思っています。

Mas,  Como???   どうやって???

そこがこれからの課題です


私は換気の鬼

2008-11-22 | ワタシについて

私の癖のひとつ

それは ・・・・ 換気

動きのない空気があまり好きではない

ほんの少しでいいから、どこかの窓を開けておきたい

朝起きて、すぐに窓を開ける

新鮮な空気を吸って水を飲む

帰宅してすぐに窓を開ける

キリリとした冬の空気も気持ちよい  ( ただし短時間  )

よどんだ空気の中では頭もどんより

空気も水も流れていれば、いつも新鮮

そして今日も私は窓を開ける



法医学と人体と命

2008-11-19 | ワタシについて

BONES ~骨は語る~

アメリカで今人気が高いクライム(犯罪)・サスペンスドラマ



法人類学者とFBI捜査官がコンビを組んで数々の難事件を
解決していくこの『BONES』のテーマはそのタイトル通り、ズバリ ≪骨≫。

損傷が激しく身元確認の困難な 遺体が発見されると、法人類学者
ブレナン率いるジェファソニアン法医学研究所のラボのメンバーが
身元確定に全力を尽くす。あくまで骨にこだわったユニークな視点からは、
想像以上に多様なドラマが生まれ、骨の欠片からどれほどの情報が
引き出せるのか、その多彩さには目を見張るばかり。

 法医学  

法律の運用の際に重要な事項について、医学的に研究・鑑定などを行う学問で、
死因・死亡時刻・血液型・親子鑑定などを扱っている。

なぜか私は法医学に興味があって・・・

元東京都監察医務院長で法医学博士の上野正彦氏の著書
『死体は語る』ほか「死体」シリーズは興味深く読みました。

    

 人体は小宇宙 

何年か前に東京国際フォーラム展示場で開催され、見学しました。

【人体の不思議展】



『プラストミック標本』という新技術で作られた本物の人体標本は
匂いもなく、また弾力性に富み、直に触れて観察でき、
常温で半永久的に保存できる画期的な人体標本。

人体の構造や巧妙な仕組みはとても感動的

展覧会の主旨通り、「人間とは」「命とは」「からだとは」「健康とは」
という事を考えさせられましたね。

現在は川崎で、来年2009年3月1日まで展示会をしている模様。
機会があればぜひ見学をおすすめします

    

ブラジルでのお話

実は本物の人体標本に触れ、観察したことがあります。

医大に通う友人に頼んで、授業に紛れ込みました。
白衣と手術用のゴム手袋を借りて。

その日は『消化器官』についてでした。
ホルマリンに漬かっていた、中年男女の開腹上半身や
縦にまっぷたつに割ってある頭部など数体が台に乗っていて、
各自、自由に触れて観察していくスタイルの授業でした。

納得するまで存分に観察できて満足だったけど、
冷たいおじさんの胃袋の中を見たら、未消化のフェイジョン豆や
小さな肉のかけらが残っていて、とてもせつなくなった・・・・
ちょっとだけ涙が出たのはホルマリンが目にしみたせいばかりではなかった。

でも本当に衝撃的だったのは・・・

  

壁に沿った大きな扉をなにげなく開けるとそこはプールだった。

ホルマリンに漬かっている大量の死体のプール  

大学のこうした検体用の死体は、身元不明者や引取り手のない死体を
買い取って、未来のお医者さん達のお役に立てているとの事。

なんだか私、医者だった前世があるような気がする(笑)。
子供の頃、≪家庭の医学≫ 愛読書だったし♪


人体への興味は命の興味
大切にしようと思うのです


すする

2008-10-08 | ワタシについて

私の苦手なことのひとつ

それは、麺を 【すする】 ということ ・・・・

ずずず~っと音をたてて麺をすすると、
すぐにお腹が一杯になってしまう。

空気も一緒に食べているからか?!

そして、心の中にちょっぴりの罪悪感。

ブラジル日系2世の父は、もちろんブラジル育ち。
むこうのテーブルマナーでは、みなさんご存知の通り
食事中に音を立てて食べるのはタブー。

だから、我が家では麺をすする音も全面禁止だった。

「ここは日本だからいいのっ!」

と、子供の頃は悪態をついてはみたものの
いつのまにか、私は麺をすすることをしなくなっていた。

私の場合、加えて極度な【猫舌】というのも熱いものを
すすれない大きな要因のひとつかもしれない・・・



鎌倉で食べた、しらすご飯と天ぷらうどんのセット。しらすが美味だった!


ブラジルで日系人を観察してみた。

発見 彼らも麺を “すすれない”!

うどんを食べても、そばを食べても、ラーメンだってすすらない。

うどんやそば、ラーメンなどは確かに音をたてて食べるのが
美味しいだろうし、文化でもあるのだからかまわないと思う。

ただひとつ、こんな事があった。

日本から来た観光客がパスタ(スパゲティー)をずるずるずる~っ
とオシャレなイタリアンの店内中に響き渡る音をたてて
すすっていた場面に出くわした事がある。

レストランの他のお客、ウェイターも微妙な笑いを浮かべていた。

お願いだから、パスタは 「すすらないでっ!!!!」

と叫んで帰りたかった・・・ 


アートの恩師 FARO先生

2008-09-05 | ワタシについて

私には油絵の師匠がいます。

  Professor SERAFINO FARO 
(セラフィーノ・ファーロ先生 )

イタリアのシシリア生まれ。
ローマの名門アートスクール
Accademia di San Luca に学び
1948年にブラジルへ移住。当国にモザイクアートの技術をもたらす。
彼の作品は今でも全国の教会や学校、劇場などで目にする事ができる。

世界中に彼の作品の収集家は存在するが、
イタリア、フランス、スペイン、ポルトガル、アメリカ、ブラジル、
そして日本の美術館でも油絵やモザイクなどの作品が見られる。




FARO先生は、きつ~いイタリア語なまりで陽気に語る、
それはそれは温厚でダンディーな師匠。

私をとっても可愛がってくださった♪

サンパウロの私立芸術大学に進学したのも、
先生の影響が大きかった。



↑ 私がFARO先生の下で生まれて初めて描いた油絵 ↑

先生はこんな拙い絵でもべた褒めして下さいました・・・


そんな素敵なFARO先生ですが
2003年に88歳の生涯を終えられました。
ブラジルのマスコミは

『ブラジルは貴重で偉大なモザイクアーティストを失った』

と報道していました。

だけど、私にとっては大好きだった
やさしいおじいちゃんが逝ってしまったようで
本当に本当に寂しい気持ちでいっぱいでした・・・


★うちの金メダル★

2008-08-24 | ワタシについて

北京オリンピックもついに今日で終了

メダルを勝ち取った選手達が最も多く口にしていたこと


自分ひとりの力ではない。
周りのサポートがあったからこそ・・・


勝利の証として与えられるメダルには
たくさんの思いがつまっていることでしょう。


 サンパウロの私の実家にもメダルがあります 

父が成し遂げた大きな仕事・・・友情の証


1973年 第262代ローマ教皇(法王)
  ↓ パウロ6世に単独謁見 ↓






1980年 第264代ローマ教皇(法王)
↓ ヨハネ・パウロ2世に単独謁見 ↓





父は、コーディネーター&通訳で全責任を担い、
PL教団2代教祖・(故)御木徳近氏 《写真手前》 とローマ教皇が
世界平和について対話をする貴重な機会を実現させました。




最終的に3度の謁見が実現

単独謁見が叶った者のみがもらえる
記念のメダルを3個頂きました。写真はメダルの表と裏




なにやら厳かなオーラが漂うメダル・・・・

この仕事を達成できたのも、友人の枢機卿と長年に渡る家族ぐるみの
交流があり、ローマ教皇庁に仕える大勢の方達と親交を深め、
その方達の働きかけによって実現したものだと聞きました。

父には素晴らしい友人がたくさんいる。

人に恵まれている。

何よりの財産だと思う。

本当に素敵なことを教わった

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 

● 2009年3月20日 「父からの手紙」   → ★☆★