チャンちゃん農場

甲斐市にある田畑での農作物栽培。してみたい方は「チャンちゃん農場について」を読みメールで連絡して下さい。

新入りの農機具達

2022-11-11 22:22:22 | 2022畑

農業をするのに、農機具は不可欠ですが、「帰農」などと言って農業で生計を立てようとする人が、安易に考えないように、チャンちゃんが2019年以降に、買った4つの主要な農機具を、その金額と共に掲載しておきます。

 

【トラクター:144万円(クボタ・新車

トラクターは、農業に不可欠な必需品です。チャンちゃんは長年プー太郎しているのに、ドラえもんのポケットを持っているので、同年(2019年)に新古車のワゴンRも一括払いで買ったのですが、そっちは120万円でした。150馬力のトラクターのほうが軽自動車より高いんですよ。

 

【軽自動車:110万円(スズキ・新車

2021年以降、コロナで慢性的な半導体不足になり、新車がなかなか手に入らないという状況ゆえに、中古車価格が暴騰していました。使用期間6カ月のダイハツの中古車が127万円で、スズキの新車が110万円だったので、当然、新車を選択しました。ローンでは納車がいつになるかわからないという状況だったようです。2022年の1月に、全額の110万円を一括払いし、3月10日に新車を受け取ることができました。

チャンちゃんは、このスズキの軽トラをキャンピングカーにする予定です。農業なんて、農地があるからやっているだけ。なので、そのうち、さっさと農業からトンずらして、ノマドになって、どっかに行っちゃいます。

 

【脱穀機:25万円(三菱・中古【稲刈機:18万円(クボタ・中古

脱穀機は、昨年、米作を止めるつもりで2000円でスクラップにしてしまいました。もともとおコメの消費量は極小の体になっており、そろそろ地球生命圏を卒業する予定だったからです。ところが、何ゆえか魔が射して、今年の4月に、またこの中古を買ってしまいました。

稲刈機は、昨年まで親戚のを借りていたのですが、魔が射したついでに、こっちも中古を買ってしまいました。

田植機は、まだ使えたので買っていませんが、中古は新品の5割ほどの価格で販売されています。おそらく、歩行型2条植えの中古だと20万円ほどでしょう。

 

もしも、米作農家をするなら、

トラクター 軽自動車  脱穀機   稲刈機  田植え機 =  合計

144 + 110 + 25 + 18 + 20  = 317万円

が必要になります。

 

3000㎡(3反)にもとどかないような僅かな面積の田圃しかないのに、壊れた機械を修理したり買い替えたりしながら、米作を続けている人々は、経済的合理性という視点で見ると、超絶に "愚か者" ということになるでしょう。農林省の統計でも、「200円の米を作るのに、300円かかっている」と明記されています。農家の皆さんは、合理的な数理計算に暗く、人件費という概念がないので、「トントンで何とかなっている」と思っているようですが、全然トントンになんかなってないですよ。

チャンちゃんは今年1500㎡(1反5畝)の田圃でお米を作りましたが、これによる収穫米を全部JAに売っても、玄米ベースで18袋×8千=14.4万円にしかなりません。ここから、農地の固定資産税(2万)、水利費(4万)、苗代(1.5万)、肥料代(2万)を差し引けば、残りは4.9万。人件費や機械の燃料費や整備費を考慮していない4.9万円を単年度の実収入として、購入した農業機械の297万円を返済するには60年かかります。農業機械が60年ももつわけないですから、これで米作農業をするなんて、ドン引きするほどの愚行だっちゅうことが良く分かるでしょう。プー太郎のチャンちゃんはドラえもんのポケットを持っているので、こんなんでも give & give の生き方を崩すことなくボランティア農業を継続できますが、普通の人では、全く無理ですよ。くれぐれも、チャンちゃんのマネなどしないように。

ついでに、別の側面から、従来型農業不要論を書いておきます。人間は、進化すればするほど、食べなくても生きてゆけるようになります。地球の周波数がドンドン高くなっている今現在、少食、微食、不食の人々は、日増しにドンドン増えています。重たい体を維持するために、食べ続けるなんて、"愚かさの極み" というものです。

『光と闇 二元の統合』 サアラ (徳間書店) 《前編》

【先進宇宙文明では食事の必要などない】

“不食” に関する引用一覧

より本質的な視点で、農業に関するこういった状況を語るなら「採算割れで農業人口が減少している現実は、地球進化の方向性に合っている」ということなのです。

「多食」という心理の背景には、欠乏への「怖れ」があります。高次元へと進化する人々は、あらゆる「怖れ」から解放されています。「怖れ」を持つ人々には、「愛」がありません。「愛」がある人々は、「怖れ」を持ちません。「愛」と「怖れ」は、対極にあるものであり、同居できないからです。「怖れ」がベースにある人は 「take & take 」 の人生になります。それでは徳が積めないので定常的に徳がありません。「愛」がベースにある人は 「 give & give」 の人生が可能になります。敬神の志も併せ持っているので、神の徳によって運を添えてもらえるからです。

『おかげさまで生きる』 矢作直樹 (幻冬舎)

【その循環に身を置く】

人を計るのに、噂ほどあてにならないものはありません。あてになるのは、過去の足跡のみです見るべき足跡のない者が流すデタラメな噂を信じるのは、同様に見るべき足跡のない者達です。家や車の立派さや社会的な肩書など、その人のもつ「徳分」のバロメーターになど、全くなりません。あくまでも、実績ベースの足跡のみです。

“give & give” に関する引用一覧

 

以上