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法華文句記巻十

2025-01-29 13:32:00 | 日記
人の地に倒れて還つて地に従(よ)りて起つが如しとは
譬えで、ある人が地面に倒れても、かえって地面によって立ち上がるように、ある人が正法(法華経)を謗った罪によって地獄に堕ちても、とにかく正法との縁が結ばれて、かえって
その正法によって救われるの意
である。
だから「故に正法の謗を似て邪の堕を接す」とは正法を謗ることによって地獄に堕ちても、遂に正法を信受するならば、邪見によって悪に堕ちることをも
包摂して、すべて救われることになる、という意味である。

弥三郎殿御返事

2025-01-29 13:09:31 | 日記

これは無智の俗にて候えども、承り候いしに貴く思いまいらせ候いしは、法華の第二の巻に「今この三界は」とやか申す文にて候なり。この文の意は、今この日本国は、釈迦仏の御領なり。天照大神.八幡大菩薩.神武天皇等の一切の神.国主ならびに万民までも釈迦仏釈迦仏の御所領の内なる上、この仏は我ら衆生に三つの故御坐します大恩の仏なり。一には国主なり、ニには師匠なり、三には親父なり。この三徳を備え給う事は、
十方の仏の中にただ釈迦仏ばかりなり。
 されば今の日本国の一切衆生は、たとい釈迦仏にねんごろに
仕うること、当時の阿弥陀仏のごとくすとも、また他仏を並べて同じようにもてなしまいらせば、大いなる失なり。譬えば、我が主の、しかも智者にて御坐しまさんを、他国の王に思い替えて、日本語に住みながら漢土
.高麗の王を重んじて日本国の王におろそかならんをば、この国の大王、いみじと申すものならんや。
いわんや、日本国の諸僧は一人もなく釈迦如来の御弟子として
頭を剃り衣を着たり。阿弥陀仏の弟子にはあらぬぞかし。
しかるに釈迦堂.法華堂.画像.木像、法華経一部も持ち候わぬ僧どもが、三徳全く給える釈迦仏をばさしおいて一徳もなき阿弥陀仏を郷、村、家ごとに人の数よりも多く立たならべ、阿弥陀仏の名号を一向に申して、1日に六万八万なんどす。打ち見て候ところは、あら貴や貴やと見え候えども、法華経をもって
見まいらせ給えば、中々、日々に十悪を造る悪人よりも過重きは善人なり。   
 悪人はいずれの仏にもよりまいらせ候わねば、思い替わる辺もなし。もしまた善人とも成らば、法華経に付きまいらすることも有りなん。日本国の人々は
いかにも阿弥陀仏よりも釈迦仏、念仏より法華経を重く親しく心よせに思いよせまいらせぬること難かるべし。さればこの人々は、善人に似て悪人なり。
悪人の中には一閻浮提第一の大謗法の者、大闡提の人なり。釈迦仏この人をば、法華経のニの巻に「その命は命終して、阿鼻獄に入らん」と定めさせ給えり。         続く


2025/01/29

2025-01-29 08:45:21 | 日記
大病

38歳の時乳がんになりました。
当時は癌になるともうアウトな時代でした、診断して直ぐに入院して手術となりました。
病理検査して、診断結果はス
テージ3bで脇のリンパ腺にも転移してると言われました。
夜眠れず恐怖と闘いました、必死で布団を被りながら題目を必死で心の中で唱えました。
癌病棟に入院して居たので周りの部屋は癌患者ばかりです。
昼間は普通に話をして居た人たちも夜になると不安になるのです。昼間偉そうに看護師さんに怒鳴って居たおじさんのまえの部屋の廊下を夜中トイレに起きて通りかかると、布団をかぶって嗚咽がきこえました。
本当に大の大人でも怖いのだと思いました。私はなぜこんなところにいるのだろう。ここは本当の地獄だと思いました。
必死で題目を心の中で祈っているとふとこんなところで死んでたまるかという思いが沸々と湧いて来ました。
兄が東京からお見舞いに来ました。兄は打ちひしがれて泣いて居ました。私は死なないから
そういうのがやっとでした。
お見舞いに来る人たちを折伏しました夜は布団をかぶって、題目を上げました。子供達は組織の人達が面倒を見て下さいました。子供達が家にいるので放射線は家から通って受けたい旨を主治医に頼みました。
私は家で仏壇の前に座り題目を上げました。
出掛けるほど体力的に大変でしたか、地区の方が車を出してくれて、友人達に会い折伏しました。ある時は千葉県へある時は東京の学会本部で友人と待ち合わせて折伏しました。
ある時は大阪へ貯金はみるみる無くなりましたが、自分は何のために生まれて来たのか?
本気で広宣流布のために生まれて来たのだと思いました。
ならば、自分の縁した人達はみんなに種を蒔いて死のうと思いました。
それから数十年経ちましたが再発も転移もせず元気になりました。
まだ生きているので、まだ使命は残っていると思っています。