これは無智の俗にて候えども、承り候いしに貴く思いまいらせ候いしは、法華の第二の巻に「今この三界は」とやか申す文にて候なり。この文の意は、今この日本国は、釈迦仏の御領なり。天照大神.八幡大菩薩.神武天皇等の一切の神.国主ならびに万民までも釈迦仏釈迦仏の御所領の内なる上、この仏は我ら衆生に三つの故御坐します大恩の仏なり。一には国主なり、ニには師匠なり、三には親父なり。この三徳を備え給う事は、
雪柳は敏感だった。
だれかが通り過ぎただけの風にも揺れる。
あなたも、恥ずかしがり屋なら、そのままでいい。
無神経になり、デリカシーをなくすことが
「大人になる」ことじゃない。
コンクリートみたいに固い花はない。
花は、みんな柔らかい。初々しい。傷つきやすい。
人の思いに敏感なままの、その心を
一生咲かせ続ける人が、本当に「強い」人なのだ。
運命は外からやってくるんじゃない。
君の心の中で毎日、育っているのだ。
毎日がつまらない時。
それは自分が、つまらない人間になっているからかもしれない。
人生をむなしく感じる時。
それは自分が、からっぽの人間になっているからかもしれない。
人生に、うんざりした時。
人生のほうが君にうんざりしたと言っているのかもしれない。
人間は結局、自分自身にふさわしい人生しか生きられない。
だから、成績は中くらいでもいい、人間が大であればいい。
頭がいいとか悪いとか、成績だけで分かるものじゃないし、
生きる上で大したことではない。
ただ、自分が「不思議だ」と思う疑問を大事に追求することだ。
そのことを考えて、考えて、考え抜くことだ。
そして、いざという時、真理と正義のためなら、
自分を犠牲にできる人になれ。
そんな人が一人でも増えた分だけ、この世は美しくなる。
世界のどこかに、君にしかできない使命が、
君の来る日を待っている。
指折り数えて待っている。
待たれている君は、あなたは生きなければ!
めぐりあう、その日のために!
輝くためには、燃えなければならない。
燃えるためには、悩みの薪がなければならない。
青春の悩みは即、光なのだ。
雪柳も、冬の間に積もった冷たい「雪」たちを、
枝から染み込ませて今、「花」に変えて
噴き出しているのだろうか。
中国では、その名も「噴雪花」という。
池田 大作 (『雪柳 光の王冠』より)
私の好きな池田先生の詩からの抜粋です。