□本日落語一席。
◆三遊亭わん丈「付き馬」(寄席チャンネル『鮮 あざやか』)。
池袋演芸場、令和4(2022)年5月26日(三遊亭わん丈独演会「落語わん丈in池袋演芸場」)。
名前からすぐわかるように、三遊亭圓丈の弟子だが、このように古典落語を演ることが多いように思う。いや、東京に住んでいないので、日々のライヴ上演の情況はわからない。ただ、今回のように、テレビ・ラジオ等でチェックしている高座は、圧倒的に古典のほうが多い。
寄席チャンネルでの演者紹介のテロップでは、「父であり先生と慕う新作落語の神様、故・円丈が与えた名に恥じぬ高座を披露する」などと出てくるのだが、ここからわん丈の古典志向の思いがくみとれないというのがちょっと不思議。
「付き馬」の落語に出てくる、吉原から浅草に至るルートを実際歩いてみたとのこと。その距離感・土地感覚は、確かに落語に生かされていたようだ。ただ、当然のごとく江戸時代のそれと現代では、やはり異なっているわけで、そこのところをどう落語として、区別するのか、またはしないとかといった部分が截然としていなかった気もする。
◆三遊亭わん丈「付き馬」(寄席チャンネル『鮮 あざやか』)。
池袋演芸場、令和4(2022)年5月26日(三遊亭わん丈独演会「落語わん丈in池袋演芸場」)。
名前からすぐわかるように、三遊亭圓丈の弟子だが、このように古典落語を演ることが多いように思う。いや、東京に住んでいないので、日々のライヴ上演の情況はわからない。ただ、今回のように、テレビ・ラジオ等でチェックしている高座は、圧倒的に古典のほうが多い。
寄席チャンネルでの演者紹介のテロップでは、「父であり先生と慕う新作落語の神様、故・円丈が与えた名に恥じぬ高座を披露する」などと出てくるのだが、ここからわん丈の古典志向の思いがくみとれないというのがちょっと不思議。
「付き馬」の落語に出てくる、吉原から浅草に至るルートを実際歩いてみたとのこと。その距離感・土地感覚は、確かに落語に生かされていたようだ。ただ、当然のごとく江戸時代のそれと現代では、やはり異なっているわけで、そこのところをどう落語として、区別するのか、またはしないとかといった部分が截然としていなかった気もする。