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えんじゃけん

バイクひとり長旅4日目(2010夏)

8月6日 東京発 浜松泊
8月7日 奈良泊
★8月8,9日 岡山泊
8月10日 愛媛泊
8月11日 徳島泊
8月12日 フェリー泊(徳島―東京)
8月13日 東京着

<4日目>

今日は同じ宿で二泊するので,いつもよりゆっくり目の起床。

6時起床。

7時より食事です。
ここのホテルは朝食がバイキング形式になってます。
地元の特産も出してくれるのがいいところです。
今日は,ちらし寿司が出ました。
ままかりも取り放題です。
といっても2匹しかとんなかったけどね。

食事を終えたらさっそく出かけることに。
今回は,地元なんだけどあんましちゃんと観光してないところと,
何度も行った子足るんだけど,前回行けなくていけなかったところに行きました。

■10:45着 吉備津神社

ここ,初めてなのかも知れない・・・。
結構大きな神社で立派な感じでした。



ちなみに,石碑の字は森鴎外なんだそうですよ。



本社です。立派ですよね。国宝だそうです。

本殿の大きさは桁行き48尺3寸(約14.6m)、梁間58尺3寸6分(約17.7m)、棟高(土台下端から箱棟上端まで)39尺6寸(約12m)、建坪 78坪3強(約255㎡)の大建築であり、京都の八坂神社につぐ大きさがあり、また出雲大社の約2倍以上の広さだそうです。
入母屋の千鳥破風を前後に二つ並べ同じ高さの棟で結び桧皮で葺き、ひとつの大きな屋根にまとめた大胆極まる構造で、上から見ると 棟はカタカナの「エ」の字型になっている。建築学上では『比翼入母屋造』と云い、全国で唯一の様式であるので、単に『吉備津造り』とも云うそうです。

いや,そうか。
二つ,屋根が続いているのって珍しいなぁと思ったのですが,
全国で唯一なんですね。そりゃ,珍しいわけだ。

夏休み鬼退治スタンプラリーというのをしていたので,参加しました。
詳しくは,他の記事を参考。

<吉備津神社>
吉備津神社は岡山県岡山市にあり、大吉備津彦大神を主祭神とする山陽道屈指の大社なんだそうです。
大吉備津彦大神は、記紀によれば、崇神朝四道将軍の随一として、この地方の賊徒を平定して平和と秩序を築き、今日の吉備文化の基礎を造られたとされています。古来より、吉備国開拓の大祖神として尊崇され、吾国唯一の様式にして日本建築の傑作「吉備津造り(比翼入母屋造)」の勇壮な社殿、釜の鳴る音で吉凶を占う鳴釜の神事、また桃太郎伝説のモデルなどで知られている神社です。

釜は本当不思議な感じでちょっと占ってみたかったけど,
今の自分,強い願望っていうか,努力がまだ足りないと思うので占いませんでした。
一生懸命やって,それでも芽が出ないときっていうか,本当に悩んでいるときに
したいなぁと思ったのでした。
でも,ちょっと,儀式自体は見てみたいなぁと思ったけど。


<鳴釜神事>
この神事は吉備津彦命 に祈願したことが叶えられるかどうかを釜の鳴る音で占う神事です。多聞院日記にみられるのが文献的には一番古いとされる。永禄十一年(1568)五月十六 日に「備中の吉備津宮に鳴釜あり、神楽料廿疋を納めて奏すれば釜が鳴り、志が叶うほど高く鳴るという、稀代のことで天下無比である」ということが記されて おり、少なくとも室町時代末期には都の人々にも聞こえるほど有名であったと考えられている。

たまたま,二人の女性が占ってもらってその部屋(から出てきたんですけど,
感激してました。やってよかったと。
解説には,

「この神事は神官と阿曽女と二人にて奉仕しています。阿曽女が釜に水をはり湯を沸かし釜の上にはセイロがのせてあり、常にそのセイロからは湯気があがって います。神事の奉仕になると祈願した神札を竈の前に祀り、阿曽女は神官と竈を挟んで向かい合って座り、神官が祝詞を奏上するころ、セイロの中で器にいれた 玄米を振ります。そうすると鬼の唸るような音が鳴り響き、祝詞奏上し終わるころには音が止みます。この釜からでる音の大小長短により吉凶禍福を判断します が、そのお答えについては奉仕した神官も阿曽女も何も言いません。ご自分の心でその音を感じ判断していただきます。」

と,書いているのですが,どうやら解説もしてくれたんだそうで。
それも良い結果だったらしいです。
何を占ったんだろうなぁ?
次は後楽園だと話してました。
思いっきり,岡山観光に来てるんだなぁと思いました。
いつか,私も釜占いやってみようと思います。



回廊も立派で結構長いんですよね。
これって,奈良とかに建ってたら結構もっと人気の神社だったろうなぁと思いました。
こんないい神社が地元にあったとは・・・!
灯台もと暗しですね。

そのあとは造山古墳に行きました。

■12:30 造山古墳着



ここも初めての地です。
古墳っても何もないでしょと思ってこなかったところです。
とくに,何かがある!ってわけではないですけど,大きさを肌身をもって感じました。
あと,丸い方が高いんだなぁと。(前方後円墳)
丸い方はロープがしてあり,それづたいに登ったり,降りたりしました。
登っても草むらが広がっているって感じでした。
草がぼうぼう生えていましたが,たぶん,地元の方が草刈りをしていました。


丸い方から下(集落)を見た写真

<造山古墳>
造山古墳と陪塚周辺をめぐる遊歩道
造山古墳群は、全長約350~360mを測る全国第4位の巨大古墳である造山古墳と、その西側一帯に築かれた6基の中小規模の古墳とで構成される。
造山古墳は、自由に立ち入りできる古墳としては最大の古墳である。5世紀前半の吉備を支配した「王」の墓といわれている。6基の中小規模の古墳は、その王に仕えた近臣たちの墓(陪塚)とされている。

誰の墓かいまだはっきりしない上,調査もまだそんなにされてない古墳なんですよね。
一体誰の墓だったんでしょうね。
それにしても,この古墳時代っていうんでしょうか。
墓を大きいの作るのがブームだったんですよね。
大きくてすごいとは思うけど,こうやって誰の墓かわからなくなったら意味がないのでは?
と思ったり・・・。

周りは自然あふれた感じで田畑があるんですけど,
田の用水路になんとドジョウやら小魚が泳いでました!
ドジョウが普通にいるのって初めて見たかも。
死んだ魚にオタマジャクシと一緒に群がってました。

■13:15 備中国分寺 五重塔着



五重塔の近くに正門(南門)跡があります。
三個の礎石が現存しています。

<備中国分寺>
備中国分寺跡は、聖武天皇が天平13年(741)に仏教の力を借りて天災や飢饉(ききん)から人々そして国を守ること (鎮護国家)を目的に建てられた官寺の一つだそうです。
その当時の境内は、東西160m、南北178mと推定されますが、江戸時代に再興された現在の備中国分寺があるため、 南門・中門以外の建物の位置は明らかではありません。しかし、創建当時の礎石が多く残されており、 当時を偲ぶことができます。国指定史跡。



<五重塔>
備中国分寺五重塔は、弘化元年(1844)ごろに完成し、34.32mの高さがあります。この塔は、 屋根の上層と下層がほぼ同じ大きさの細長い造りで相輪も短く、江戸時代後期の様式を濃く残す代表的な塔です。 また県内唯一の五重塔でもあります。
塔内は初層内部中央に心柱が立ち、四周に四天柱を据え、その内側に仏壇を作り、四如来像を安置しています。天井は格子状で天井板には55cm角大の欅の一枚板を使い、彩色画が描かれ、堂内をいっそう荘厳にしています。絵は全部で104枚あり、四天柱の脇にある4枚の天女図のほかは 季節の花々を描いた草花文です。国指定重要文化財

とのことで,中も気になりますね。

■15:00 由加山着



<由加神社本宮>
日本三大権現の一つ、また厄除けの総本山として知られる由加山 由加神社本宮は二千有余年の歴史を持つ神仏混淆のお山。
その昔、磐座信仰(巨岩をご神体)と唱え近郊の人々の守護神として崇められ、その後七三三年(天平五年)に行基菩薩が十一面観音を祀り、併せて神仏混淆の霊山として崇拝されてきました。
桓武天皇の代以来、朝廷の祈願所として繁栄し、拝殿には菊花ご紋章を拝受しております。
江戸時代中期には備前藩主池田候の祈願所として当権現・由加大神様への信仰は篤く、正月・五月・九月には藩主自らご参拝になられておりました。(その時ご参拝になられた建物が由加神社本宮ご本殿です)
また、『ゆがさん・こんぴらさん両参り』と云われ、両社をお参りすればご利益が沢山頂けるという『両参り』の風習が広がり、今も全国津々浦々から信仰されております。
過去の歴史などから見ても由加の権現様・大神様は『有求必應』“求めが有れば必ず應じて下さる神様”として、参拝者祈願者が後を絶たないのが現状だそうです。



この由加山もどれかのパワースポットの本にのっていたんですよ。
なんのパワーだろう?と思っていると,案内看板が。
話題のパワースポットはこちらと。
それは本宮の右脇の穴へと案内していました。



こんな穴があったとは!知りませんでした。
それも,縁結びの神様のようです。


女用の狛犬と,


男用の狛犬とあります。

パワー的にいいお山なんだそうですけど,近くにある寺とやりあっているそうで。
たしかに看板に,寺の駐車場に神社に参拝の方は駐車禁止とか書いてました。
お互いが協力すれば相乗効果が期待とかされる気もするんですけど・・・
そんなことはないんですかね。
日光だって,神社と寺が合体してるじゃないですか。
あんな感じにはいかないもんでしょうか。

■15:50 王子が岳着



ここは私の1番好きな場所といっても過言じゃない場所です。(大げさか)
初めてみたとき,すごく感動したんですよね。
それ以来,お気に入りです。
帰省した際にはできるだけ行くようにしています。

とにかく気持ちいい場所なんですよ。
危険っちゃ~危険な場所なんですけどね。
180度以上の海が見渡せます。
向こうには四国が見えます。
近いんですよね。

■17:30 ホテルに戻る

18時から後輩に会うのでホテルに一旦戻りました。
子供を連れてくるとのことで,子どもとは初対面なのでちょっと緊張。
後輩自体と会うのも何年振りだろうか?
よくわかりません(汗)
というか子どもは何歳なんだ?
全く,分かってない自分です。

■18:00 後輩着

後輩がホテル前まで迎えに来てくれました。
子供もいます。
子供は助手席に座ってました。
後輩がいうには,元気な子とのことですが,大人しい感じです。
「2年生だっけ?」
・・・間違いでした。
もう4年生なんだとか。
私が異動したときに1年生だったんだなぁと。
最初っからちょっと悪いイメージを与えてしまったと思ったのでした。

ご飯はお好み焼きを食べに行きました。
どろ焼きというめずらしいお好みを食べに行きました。
明石焼きのように,出汁につけて食べるお好みで,
中身がどろっとしているみたいです。
調べてみると姫路名物らしいですね。
納得,だって明石焼きみたいと思ったもん。
とってもおいしかったです。

子供は恥ずかしいのか,何か話すたび,母親の耳元で話をします。
なかなかうちとけれません。(汗)
一応,話しかけるものの・・・。
そのとき,土産をかったことを思い出し,それを見せると反応よし。
お腹がへっているようだったので,土産のお菓子どうぞというと,
あっという間に食べてしまいました。
うち,一つずつは私と母親にちゃんとわたしてましたけど。

いろいろなものをよく観察している子で,雰囲気が後輩に似てました。
親子だから当たり前かもしれませんが。

お好み焼きがくると,パクパク食べてました。
切り分けは母親にしてもらって。
最後に絵の描きっこをしました。
こんなところで,絵が役立つとは・・・と思いました。

後輩は元気に仕事を頑張っているようでよかったです。
表情もいきいきしていたので,きっと充実しているんだろうなぁと。
職場にも同じような子供もちのお友達もできたようで,
一緒に高知に行くという話もしてくれました。
あと,地元の広告に載ったって話も。
いろいろ話してて楽しかったです。

自分,話すの苦手というか,話すことに楽しさを見いだせないとか
思っていたけど,話してて楽しかったなぁと。
昨日,友達にあったときも楽しかったんだけど・・・。
なんだろな・・・楽しいときと,楽しくないときの差は。
どうしようもなく時間の無駄だなぁと感じるときもあるんですよね。
極端ですね,自分。
「あっと言う間だったなぁ」
と後輩がつぶやきました。
なんか嬉しかったです。
自分でも会いたいと思ってくれる人がいるんだなぁ。
がんばんなきゃなぁって。

最初は子どもも来るってことなので,どうなることかと思ったけど,
子供も母の一部っていうか,かわいかったです。
「次会う時にはもっと慣れると思います」と後輩。
そう言ってくれるのもうれしかったです。

この日も,帰ったら仮眠してまた深夜すぎに風呂へ。
今日も入った時は1人ひとがいたものの,いなくなって独占状態のところへ
またホテルの方が水質検査とタオルの替えに来ました。

さ,明日は念願のしまなみ海道を渡って四国に向かいます。
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