中国生活の基礎知識~中国史の入門講座~

中国で生活するための基礎知識として、中国の歴史・文化を、楽しみながら学んでいきましょう。

項羽について~ただ駆け抜けた男~

2011年12月07日 | 秦・漢
劉邦ときたら、
その生涯のライバルとなった項羽について
語らざるをえまい。

ただし、劉邦に比べれば
神秘性と言うソースがかかっていない素材そのものの味しかない人なのである。

彼の祖父は、戦国時代末期
楚の国の将軍であった項燕。
ただし、秦軍と戦い戦死している。
(秦への恨みはこのころ培われたらしい)

父親も早く死んでしまったので、叔父さんの項梁に育てられた。

しかし、可愛げがなかった

まず学問を教えた項梁だが、項羽は「つまらん」といって止めてしまう。
その理由も「学問なんて、名前が書ければ十分」というのである。
では剣術を、と教えると、これも「つまらん」といって止めてしまう。
その理由は「剣は1人しか相手にできん」という。

非常にムカつく子どもであるのだが、
この時代はこういう子どもを「見所がある」と評価する
とってもおおらかな時代であった。

そこで項梁が項羽に教えたのが「兵法
すなわち「戦争の方法」である。
(今やったら確実にタカ派のレッテル貼られると思うが…)
項羽はそれを面白がって学んだという。

こういう環境で成長した項羽、
成人すると身の丈9尺(200センチ強)の美丈夫つまりは超イケメンとなったという。

そして、持ち前のパワーで(武術は続けたらしい…)
周囲の若者を服従させ、一躍青年リーダーになり
やがてやってくる乱世のなかで、覇王としてその名を響かせたのである。

ただ、なんだな、
子どものころに興味を持ったものがいけなかったのか
ひたすら「戦って勝つ!! そして君臨する」ということにここだわったのが
結局、彼自身の首を絞めてしまった(ちなみにこの時31歳!)。

もう少し心と視野が広かったら…
というのが後世の歴史家の共通する意見。

ただ、こういった男が、男の興味を引くのも事実。

三国志の呉の孫権の兄・孫策のあだ名も「小覇王」だったし、
日本では『保元物語』に登場する源頼朝の叔父さん・鎮西八郎為朝は
伴周りを28騎にしていたのも、
項羽が最期に連れていたのが28騎だったことに由来しているというし。

男は力のあるヒーローに憧れるものである。

でもまてよ、
孫策はわずか26歳で暗殺されるし、
為朝も32歳で非業の死を遂げる。

力にのみを信じ、それのみを頼った人の末路、ということだろうか。


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