中国生活の基礎知識~中国史の入門講座~

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蕭何~とにかく影で支え続けた男

2012年01月15日 | お知らせ
気がついたら、1ヶ月も放置していた!!!
2012年に入って、すでに半月が経過していて我に返り
ようやく更新にこぎ付いた自分…。
嗚呼…「筆不精」ここに極まれり。

さて、とにかく更新せねばということで、
新年1回目は蕭何の紹介をしようと思う。

劉邦の三大功臣に上げられながらも
韓信や張良に比べて、かなり地味な存在である。

出身は、故郷の小役人だが、
早くから劉邦と付き合い(役人とヤクザの癒着である
反秦の際は、すぐに県令を殺害して(!)、
劉邦を迎え入れている

劉邦の天下取りに大きな役割を果たした彼だが、
実は前線勤務は一切していない。

しかし、咸陽を落とした際には
いち早く秦王朝の資料庫を押さえ、
全国の情報を入手し、劉邦に渡している。
さらには韓信を劉邦に推挙した人物であり
漢王朝成立後には、その息の根を止めた人物で
人材面でも劉邦を支えた。

また、もっとも大きな功績としては
100万人の軍勢を動かしながら、
1度も補給を絶やしたことがなかった

という点だろう。

いわば人事・情報・補給のエキスパートであったのだろう。
ぜひとも私の同僚としてほしい存在である。

ただ、その能力ゆえに、劉邦からは信頼されながらも
恐怖され、警戒されてしまった。

漢王朝の初期は功臣の謀反が相次ぎ、
劉邦はその討伐に走り回っていた。
もちろん彼は劉邦を支えていたのだが、劉邦から突然
「お前も大変だろうから、家に警備をつけてやる」という思し召し。

つまり、監視である。

おどろいた蕭何、すぐにその意を悟り
自身の一族の男性すべてを従軍させた(つまりは人質)。

その後、劉邦を諌めては投獄されたりと
相当気を使いながら人生を乗り切った彼、
劉邦の死に2年遅れて没する。

彼の職位である「相国」は
その後、彼を憚って空位のまま置かれ
相国はもっぱら蕭何のことを指す言葉となった。

なので、一応は尊敬されていたんだろう…。

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