この中国史を語る講座(といっていいのか?)
もうすでに数回を行ってはいるものの、
物事には順序というものがある。
まずは、私が大胆にも大勢の前でお話をすることになった、
そのいきさつから話してみよう。
それはある日、「世を忍ぶ仮の姿」の上でお世話になっていたMarikoさんから
ランチのお誘いをうけた。
当日、もちろんランチもおいしかったのだが、
その時にMarikoさんのお友達で、
上海でもいろいろなサークルを主催されているYohkoさんとお知り合いになった。
それがすべての始まり。
非常なセレブな雰囲気の中でお食事をしていたのだが、
私が中国史専攻であったことに話が及んだ際、すごく興味を持っていただき
Yohkoさんから
「中国史のセミナー的なもの、やってみませんか」
という非常に唐突な、かつ魅力的なお誘いを頂いたのである。
その時は「考えておきます」という回答をした記憶がある。
普通、こういうと「遠まわしなNo」という意味合いに取られることが多いが、
なぜだか、それがズ~っと頭について離れず、本当に「考えて」しまっていた。
そして、ちょっと手の空いたときに
「こんなの面白いんじゃない?」という感じで
簡単なレジュメを作ってYohkoさんに送ってみた。
そしたら、「いいですね。やりましょうよ!」と即決。
私が「え?」と思うまもなく、とんとん拍子に第1回の日程が決まり、
さらにはMarikoさんがサラリと会場を手配してしまったりと、
完全に引くに引けなくなってしまったのであった。
(この時ばかりはこの二人の行動力にただボー然…)
それでもやっぱり自信がなかったのだが、お2人から
「まぁまぁやって見ましょうよ」なんて、優しく言っていただいて、
開講となったのである。
気がつけば、すでに4回。
話の内容がホイホイと飛ぶ「底抜け脱線講座」ではありながら
皆さん面白がって聞いていただいてる(?)様なので
できる限りは続けていこうと思う。
もうすでに数回を行ってはいるものの、
物事には順序というものがある。
まずは、私が大胆にも大勢の前でお話をすることになった、
そのいきさつから話してみよう。
それはある日、「世を忍ぶ仮の姿」の上でお世話になっていたMarikoさんから
ランチのお誘いをうけた。
当日、もちろんランチもおいしかったのだが、
その時にMarikoさんのお友達で、
上海でもいろいろなサークルを主催されているYohkoさんとお知り合いになった。
それがすべての始まり。
非常なセレブな雰囲気の中でお食事をしていたのだが、
私が中国史専攻であったことに話が及んだ際、すごく興味を持っていただき
Yohkoさんから
「中国史のセミナー的なもの、やってみませんか」
という非常に唐突な、かつ魅力的なお誘いを頂いたのである。
その時は「考えておきます」という回答をした記憶がある。
普通、こういうと「遠まわしなNo」という意味合いに取られることが多いが、
なぜだか、それがズ~っと頭について離れず、本当に「考えて」しまっていた。
そして、ちょっと手の空いたときに
「こんなの面白いんじゃない?」という感じで
簡単なレジュメを作ってYohkoさんに送ってみた。
そしたら、「いいですね。やりましょうよ!」と即決。
私が「え?」と思うまもなく、とんとん拍子に第1回の日程が決まり、
さらにはMarikoさんがサラリと会場を手配してしまったりと、
完全に引くに引けなくなってしまったのであった。
(この時ばかりはこの二人の行動力にただボー然…)
それでもやっぱり自信がなかったのだが、お2人から
「まぁまぁやって見ましょうよ」なんて、優しく言っていただいて、
開講となったのである。
気がつけば、すでに4回。
話の内容がホイホイと飛ぶ「底抜け脱線講座」ではありながら
皆さん面白がって聞いていただいてる(?)様なので
できる限りは続けていこうと思う。
もう半年なんですね。
この会、私にとっても非常にいい刺激になっています。
「知己の恩」という言葉がありますが、
この機会を作っていただいた皆さんの期待に応えるべく、精進していきます。