中国生活の基礎知識~中国史の入門講座~

中国で生活するための基礎知識として、中国の歴史・文化を、楽しみながら学んでいきましょう。

『讖緯説』について

2012年03月18日 | 秦・漢
前回の更新で、「こまめに」とか書いておきながら、すでに1ヶ月…。
オレってヤツぁあああ!!

気を取り直して第6回の講義。前漢についてお話したが、
時代が非常に長かったこと(200年を3時間で話すってのも…)、
またその内容が非常に多かったこともあり、十分に話せなかった感が強い。
 そこでブログでは内容ごとに区切って紹介しよう。
まずは一番わかりにくかった(と思われる)
讖緯説というシロモノから。


まず「讖緯」という言葉だが、もともとはまったく別物だった。

」とは自然界で発生した不思議な現象のこと。
例えば壁や木の葉に浮き出た文字のこと。「何かのお告げ」といった意味合いに近い。
もともとは天文や気象なんかを研究していた人たちが、

では、いったいどんな「お告げ」なのかということを読み取るわけだが、
当時の人々はそれを儒教の「経典」に求めた。
が、実はそんなものは、大昔の聖人だって考えていたわけじゃない…

でもそれじゃぁ困るわけである。
だって、それが説明できないと、自分の地位にどんな影響があるか分かんない。
皇帝そのものの権威の裏づけだってしなくちゃいけない。

そこで彼らは考えた。もともと「経典」の「経」という字は「縦糸」のこと。
つまり「そっか、縦糸だけじゃ布は織れないんだね」ということ。

世の中という布を織るための「横糸」が必要になったわけ。
それが「」であり、讖緯書といわれる本。
要するに現れたお告げを儒教の経典と結びつけるための解説書、
もしくは未来のこと予測する預言書をみたいなもんだ。

これ、登場してからは、もっぱら政治権力の強化・奪取に利用された。
天のお告げを利用して、自分の行為を正当化しようというわけ。

有名なのが昭帝の跡継ぎ探し。

若くして即位した昭帝。彼が元服した際に、ある上奏書が奉られた。
いろんな怪異現象が記されていたのだが、その中に
・昌邑国の国社の枯れた木が復活した
・上林苑の切り倒された柳の大木が生き返り、
 その葉っぱの上に虫が食べた跡が「公孫病已立」という文字になっていた。

「もっと頭の良い人を見つけ出して、皇帝を変えましょう」とまで提案されていた。

時の権力者・霍光は激怒して、上奏者を処罰した。

ところが、その後、昭帝が崩御。
霍光は昌邑王・賀を皇帝として迎えたのだが、
これがモー、トンでもない人で、朝廷の規律は破る、女性には乱暴するってんで
皇太后と相談して、即位前に継承権を取り上げ、追い出してしまった。

「じゃぁ、誰にするよ?」って話になったときに、
そういえば、病已って人知ってるよ」という声(早よ言えよって感じだが)。
しかも、武帝の曾孫だとか。

武帝のかつての皇太子で、謀反の容疑で殺されてしまった衛太子(劉拠)の孫で、
殺される前に赤ん坊だったので、助け出され、民間で育てられたのだという。
(しかし、劉拠さんは、死んだときまだ33歳だったはず…)

さっそく霍光は、この青年を招き、皇帝とした。これが宣帝。

先ほどの「公孫病已立」って文字意味は
「病已」という青年が皇帝になるということを示し、
そしてその人物は「公孫」、つまり貴人(衛太子)の孫であると言っていたのだ。

まぁ、「ホントかよ!」とツッコミたくなる部分もヒジョーに多いのだが、
こういう非人為的な自然現象を、ややオカルチックに解釈していた。
(ちなみに、後代になると人為的にその現象を作り出した罪で処罰される人も)

そして、これを利用して自身の権威を高め、
ついに簒奪を果たしたのが王莽だったのである。


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