第2回の講義で紹介した諸子百家。
各学派間は、結構仲悪かったりする。
たとえば、儒家と法家。
法家自体は儒家の一派、荀子の「性悪説」から生まれたのだが
とかく儒家が嫌いだ。
つまり
「昔の王様を持ち出して、今の王様を非難して、
時代遅れの社会秩序を吹聴している」
というのである。
それに対し儒家は
「過酷な法律ではなく、そういったものが必要なくなるように
国民を、王様を道徳によって教化すべきだ」
と、ちょっと大人な見解なのである。
しかし、その儒家も孟子先生は口が悪く、
農家や墨家なんかに対しても、
「野良仕事で社会が安定するか」
「博愛を唱えて見境なく争いごとに口を出すヘンタイ主義者め」
と痛烈な屁理屈批判を行っている。
しかし、口の悪さでは道家の荘子(荘周)がナンバーワンだと思う。
王様に認められて馬車5台をもらった友人に対し
「なんでもその王様は自分の腫れ物を舐めた家臣には車をくれるっていうじゃない。
お前5台ももらったんなら、ケツの穴まで舐めたんじゃねーの?」
(………いくらなんでも言いすぎだと思う)
というように、「自前の才能、口先、阿諛追従でのし上がろう」という
当時のすべての学者さんたちの風潮を鋭く、ちょっと口汚く批判した。
現代日本で言うと「立川談志」師匠に良く似ている。
そう考えてみると諸子百家の時代(春秋戦国時代)は
かなり濃いキャラクターたちがしのぎを削っていた時代で
品性も知性もない(痴性は豊富な)今の政治家同士の批判合戦に比べれば、
エンターテイメントとして見ても十分に楽しい時代であったはずである。
各学派間は、結構仲悪かったりする。
たとえば、儒家と法家。
法家自体は儒家の一派、荀子の「性悪説」から生まれたのだが
とかく儒家が嫌いだ。
つまり
「昔の王様を持ち出して、今の王様を非難して、
時代遅れの社会秩序を吹聴している」
というのである。
それに対し儒家は
「過酷な法律ではなく、そういったものが必要なくなるように
国民を、王様を道徳によって教化すべきだ」
と、ちょっと大人な見解なのである。
しかし、その儒家も孟子先生は口が悪く、
農家や墨家なんかに対しても、
「野良仕事で社会が安定するか」
「博愛を唱えて見境なく争いごとに口を出すヘンタイ主義者め」
と痛烈な屁理屈批判を行っている。
しかし、口の悪さでは道家の荘子(荘周)がナンバーワンだと思う。
王様に認められて馬車5台をもらった友人に対し
「なんでもその王様は自分の腫れ物を舐めた家臣には車をくれるっていうじゃない。
お前5台ももらったんなら、ケツの穴まで舐めたんじゃねーの?」
(………いくらなんでも言いすぎだと思う)
というように、「自前の才能、口先、阿諛追従でのし上がろう」という
当時のすべての学者さんたちの風潮を鋭く、
現代日本で言うと「立川談志」師匠に良く似ている。
そう考えてみると諸子百家の時代(春秋戦国時代)は
かなり濃いキャラクターたちがしのぎを削っていた時代で
品性も知性もない(痴性は豊富な)今の政治家同士の批判合戦に比べれば、
エンターテイメントとして見ても十分に楽しい時代であったはずである。