雑談歴史と人物 (1976年)山崎 正和,丸谷 才一中央公論社このアイテムの詳細を見る |
本書の中に「王朝文化と後宮」がある。丸谷才一、山崎正和、角田文衛の三氏の鼎談である。
ここで面白いことが2つ述べられている。
第1、 女性はお産で死ぬ率が非常に高かったが、お産で死ななかった女性は長生きした。そのため、後妻や妾妻となるケースが多かった。
第2、平安時代は穢れを大変嫌う時代だった。350年間も死刑がなかった。
角田:平安時代の人は、死刑そのものというよりも、血を流すことが嫌いだったんですね
丸谷:それは仏教のせいでしょうか。
角田:むしろ神道ですな。穢れを嫌った。内裏で泥棒が何回も入っていますが、そんなことはあまり気にしなかった。だって城壁が平安京にはない。そもそも城壁がないのは古代世界において、スパルタと日本の都だけです。スパルタはローマ時代になるとありますが、スパルタの最盛期にはなかった。日本の平安京と平城京にもない。大内裏や内裏をとりまいているのは築垣塀だけでしょう。あんなものは身軽な人ならばぽんと飛び越えられます。ですから天皇が寝ているところにいくらでも泥棒が入っている。有名なのは寛弘五年(1008年)十二月、一条天皇の寝所の近くで、女官が素っ裸にされて、身ぐるみ全部盗まれた事件があります。貨幣経済の時代でないから、着物をみんなとって裸にする。そんなことがあっても、近衛大将、中将というのはぜんぜん処罰されない。ところが床下で、犬がお産をしたとなると上や下への大騒ぎです(笑)。つまり穢れを極度に嫌った。
(略)
角田:ですから、清少納言も言っていますが、穢れのない美しいことが大切なんで、宮中の警備なんかどうでもいいんですよ。光源氏は近衛中将ですから、警備の責任者です。ちゃんと一定の場所に控えて宮中の警備をしなくてはいけない。ところが、朧月夜君のところへ潜み込んだりして行方不明になる(笑)。中将ぐらいはいいとしても衛門尉といった人たちまでどっかへいなくなっちゃう。清少納言はそれはいい、というんです。だけど、脱ぎ捨てた袴や、うえのきぬを人の目につくところにだらしなく掛けておくのはよくないと怒っています。美学ですよ。ギリシャ神話と似ている。モラルの問題ではなく、美の問題なんですね。
最後に、角田氏は主な女性の生理の問題を調べないと、誤解が生じると言う。例えば、「蜻蛉日記」でも、作者が深刻がって書いているのは、必ず生理1週間前である。このヒステリーは、一種の月経前症候群であるというわけだ。