奏でる。仰ぐ。結ぶ。〜Chloeの日記〜

子供の名前からタイトルを付けました。未破裂脳動脈瘤と共存中。日々生かされていることに感謝しています。

信仰の友、Amazing grace

2021-05-04 11:19:09 | 【牧師の家族として生きる】ボクツマ(牧師の妻)編

今日もChloeは元気です。

夫が子供たちを引き受けてくれて近場の公園へ。

おかげで1人で古本屋に行ったり、今日の買い物を済ませたりできました。

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結婚のお祝いに信仰の友たちがプレゼントしてくれた「Amazing grace」の額❤️
2週前の説教はこの賛美歌を通して語られました😄
大事に階段に飾ってたんだけど、いつの間にか娘の学習机の横に持っていかれてる😂

友ってほんとに大事で、信仰のあるなし関係なく友人関係を充実させることの重要性を感じてます。

幼い頃からの友
中高生からの友
大人になってからできた友
クリスチャンの友
ママ友 などなど

時には意見が合わないことがあるかもしれないけど、それを乗り越え共に人間として成熟していくものですよね。

友が各方面で与えられていること。
これはほんとに驚くべき恵みなんだなぁ✨

 

 

 


万事を益とする、すべての事に感謝する

2021-05-01 20:23:34 | 【牧師の家族として生きる】ボクツマ(牧師の妻)編
今日もChloeは元気です。
 
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この1か月半ほど、血を吐くような思いを経験しました。
(実際に血は吐いていません。体重は2キロ減ったけど。)
 
詳細を書くことはできないのですが、とにかく「なぜこんなことに?」「なぜ?」「何が起こっているの?」と…。
もう気がフレてしまうんじゃないかと思うほど苦しかったのです。
もちろん泣いたし、怒ったし、祈ったし、祈られたし、支えられたし、様々な事を思い出したし。
それはもう凄まじい勢いで色んなことが押し寄せ、取り去られ、投げつけられ、通り過ぎていきました。
 
子どもがいなかったら、ヤバかった。
あの屈託のない笑顔に癒され、それを守るために無理やりにでも世話をしなきゃいけないから動く、自分が食べたくなくてもとにかく食事を用意する。
本当に存在そのものに助けられました。
わたしや夫を支えてくれる方々がたくさんいて、その祈りのパワーを毎日感じていました。
 
でも、牧会が始まって10年目に経験したこの暗闇のような日々は絶対に無駄にはしない。
 
テレレレーテーテーテッテレ―♪
さやかは『強靭な精神力』を手に入れた(ドラクエ風)
 
みたいな結果を求めて、心の回復へのプロセスに身を置くことにします。
心を常に上に向けていこうと思います。
 
この事から学び同じ悲劇を繰り返さないためにも、助け手が与えられるのならぜひトライしたい新しいビジョンも与えられました。
私自身が個人的にチャレンジしたいことも明確になりました。
失ったものもあるけれど、ここから神様の祝福を祈っていきます。
万事を益としてくださる神様を信じて。
痛みも思い煩いも苦しみも、そのすべてに感謝して。
 
こんなところで動けなくなっている場合ではないのです。
神様に委ねることを知っている信仰者は強いのです。
 
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「暗闇に光」作詞・作曲:岩淵亮
暗闇に光 輝きのぼる
そのきよい光 神の栄光
暗闇を照らす まことの光
真理の御言葉 神の栄光
主はここにおられる
今ここにおられる
 

ざっくり生い立ち ④結婚することに

2021-05-01 14:10:19 | 【牧師の家族として生きる】PK(牧師の子ども)編

今日もChloeは元気です。

 

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さて、雑貨屋さんの仕事が楽しくて仕方なかった時代、シフトのお仕事だったことも良い方向に働き、結構教団や教会の中での青年活動に積極的に取り組んでいました。

 

特に教会を超えた教団教区の働きでは集会を企画したり、奏楽したりする側の奉仕が増えていましたね~。

 

そんな時に出会ったのが、まだ牧師になる前の今の夫です。

夫は当時の教会で牧師になるための学びを重ね、訓練を重ねている最中でした。

また、教区の青年活動のリーダーを任されていました(任せたのは私の父…)。

そして私は運営チームの一人だったわけです。

 

この活動のためのやり取りが増え、打ち合わせで顔を合わせることも増え、気が付けば付き合うことになっていました(笑)

この時私28歳。

婚約期間などを考えれば、あのよくある「30歳までに結婚したいの!」というわけのわからない願望ギリギリの年齢でした(笑)

 

ここで問題が一つ。

 

実は私、若いころから周囲にずっと言い続けてきたことがありました。

それは「絶対牧師とは結婚しない!」という事です。

 

はい、矛盾したよね~~!!

 

牧師を軽視するわけでもないし、牧師の妻を憐れんでいるわけでもありません。

むしろ尊敬するし、神様が選んでその立場にいる方々の祝福は計り知れません。

しかしながら、牧師の家庭に育ち、日常的に両親の苦労を見ているわけです。

牧師として真面目に働いても、副業や教会の付帯事業などがない限りは、経済的な苦労も否めません。

もちろん教会の中で傷ついたことも、少なからずあります。

そういうことを考えると、やはり自分には牧師の妻として生きることは無理だ、と思っていたのです。

というか、とにかく避けたいポジションだったかなぁ…。

自分の子どもが、自分と同じ辛い思いをすることになるかもしれない、という不安もありました。

 

結婚相手としては、夫はその信条に反するわけです(笑)

 

あ、もう一個あった、問題。

 

私の夢の雑貨屋さんはどうなるの~?

 

牧師の妻が雑貨屋さんするなんて、およそ不可能な事。

転任だってある教団に属しているし。

 

それでも、天真爛漫な夫といると楽で、信仰的なフィーリングも似ていたことから、結婚を前提に付き合うことになりました。

 

つづく


ざっくり生い立ち ③こんなお仕事してました

2021-05-01 11:08:46 | 【牧師の家族として生きる】PK(牧師の子ども)編

今日もChloeは元気です。

 

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さて、続きを書きますかね☆

 

そうそう留学から戻ってきたのが21歳の時。

少しでも早く社会に出たかったけど、就職なども考えて日本での学歴を手に入れるため短期大学に2年間通いました。

帰国後からはスーパーのレジや個別指導塾の先生などアルバイトを楽しんでいました。

スーパーのレジの時のバイト仲間とは、今でも連絡を取ってます。

 

その後、卒業とともに就職したのがIT企業。
そこで大手企業の輸出入関係の基盤系ヘルプデスクとして働きました。
英語も使えたし仕事としてはやりがいもあったけど、人間関係のトラブルで抑うつ状態になってしまいました…。

同期の仲良しさんもたくさんいたのに、こんなことで心の風邪をひき、一人暮らしも引き払って実家に戻った時の情けなさと言ったら…。

けど、家族は無条件に私を支え、愛してくれたし、たくさん良い友にも恵まれて乗り越えることができました。

神様が私の人生をずっと支えてくれていたことに気づいたのも、神様の愛の深さに降れたのもこの時です。

 

その後は、いくつか模索しながら、最終的に「やっぱりやりたいことを仕事にしよう!」と決心し、正社員ではなかったけどエスニックの雑貨&洋服屋さんで働くことに。
オープニングスタッフで入り、同い年のモヒカン店長やかわいい少し年下の女の子たちと楽しくお仕事しました。

私の夢は、自分の雑貨屋さんを開くこと。

ここで経験を積ませてもらって、将来は自分のお店にエスニック小物やハンドメイド作家さんの作品を並べたいな~、と思っていたのです。

店長はとても理解があって、クリスチャンなので日曜日の午前中はできれば休みたい、という要望もきいてくれました。

販売の仕事なので日曜日が休みになるとは限らないのだけど、仕方なくシフトを入れなきゃいけない時も、絶対に午後からにしてくれました。

ほんと、今でも感謝~!

副店長まで任せてもらって、ゆくゆくは…と思っていた矢先、私は人生の転機を迎えます。

 

つづく。