国家元首の葬儀に呼ばれて行きました。牧師である息子が説教していました。
「私の父はすべてをなげうって、ここまで日本を豊かに導いてきました。全能の父がひとつだけ弱かったのは将棋です。なぜなら父は将棋でも人生でも、捨て駒ができなかったからです。………………」こういうような説教でした。
私は小学六年の頃、サッカーの試合で担任の先生から “捨て駒作戦”と言われ、相手チームのストライカーに張り付く“捨て駒”になったことがありました。勝つための戦略とは言うものの、子供ながらに“捨て駒”という言葉に傷つきました。
さて、葬儀の帰り道に なんと、白い衣を着た奥様が私を家に入れて下さいました。そして、奥様はこう言いながらアルバムを出しました。
「うちのパパは、『将来をになう子供を大切にせよ!』こう言って、子供の写真を撮 り続けていましたよ。」
私はそのアルバムをみて愕然としました。開いても開いても、どのページも私の子供の頃の写真でした。
私は悟りました。父なる神がこうして、私を待っていてくれたのだと。父な る神を無視し、ヤクザとして生きてきたことを後悔して、おお泣きしていました。そして、おお泣きしている途中で夢がさめました。
夢がさめると今度は、今の自分は、主イエス・キリストにあってすべてを赦され、救われている事実を実感し、夢の悔い改めから一転、感謝の涙へと変わりました。
創造主なる神様は、私たち一人ひとりを愛し、計画し、創られ、私たちのすべてを知っておられます。
父と母をとうして自分を創られた真の神のもとに帰りましょう。
13それはあなたが私の内臓を造り、母の胎で私を組み立てたからです。
14私は感謝します。あなたは私に くすしい事をなさって恐ろしいほどです。
私の魂はそれをよく知っています。
15私がひそかに造られ、地の深いところで仕組まれたとき、私の骨組みはあな たに隠れてはいませんでした。
16あなたの目は胎児の私を見られ、あなたの書物にすべてが書き記されました。
私のために作られた日々が、しかも、その一日もないうちに。
17神よ。あなたの御思いを知るのはなんと難しいことでしょう。
その総計は、なんと多いことでしょう。
18それを数えようとしても、それは砂よりも多いのです。
私が目覚めるとき、私はなおも、あなたとともにいます。