進藤龍也牧師の真面目な方のブログ

元ヤクザの牧師の真面目なブログ
進藤語録、進藤節・・・メッセージや独り言をつづります。

助ける行為と与える行為は100%自分持ちなのだ

2012年05月21日 | 刑務所伝道
来るといって来ない聖書の話がありますが、教会においても、刑務所伝道においてもありますね。

刑務所から出てきて、教会に喜んできていて、、、
ただ、行くところが無いからといってヤクザの家に居候していた彼。
教会に住むことを勧めているうちに捕まってしまった。
自分の指導力にふがいなさを感じた。それで、

今より比較的暇だった4年前・・・
面会を重ね、情状証人として出廷して、身元引受人にもなった。
松江刑務所では聖書通信講座を学んでいた。
松江に出張のおりにも面会した。

出所して直ぐに電話があった。
墓参りを先にしてから教会に来ると言う。
教会が先だろう!と、思うが年齢のいった人であるし信仰もあるし大丈夫と思って日曜日には間に合うようにと言い付けておいたが結局来なかった。

来ない人は、電話も無いので、今回のケースは珍しい。
残念に思うが聖書には主にある労苦は無駄にならないことが記されているので平安です。
また、信仰をもって仕える、与えると言う行為は100%
相手が自分の望むような態度になろうが、なるまいが関係の無いことだ。
そりゃ、立ち直ってくれたら嬉しいが、
立ち直れなかったらへこんだり、怒ったりしていたのではやっていけない。
いつでもへこみ、怒っていなければならない。
助ける行為と与える行為は100%自分持ちなのだ。