進藤龍也牧師の真面目な方のブログ

元ヤクザの牧師の真面目なブログ
進藤語録、進藤節・・・メッセージや独り言をつづります。

教会の立場、立ち位置と会則

2011年10月20日 | 教会会則



1、洗礼者には洗礼の学びを行ないます。

1、洗礼の学びが前後、逆になることもあります。

(使徒の働き2章のペテロ、8章のピリポ)

心が開き洗礼を受けたいという気持ちも主から与えられたと信じるからです。

1、転会者も、洗礼後の人も、いつでも洗礼の学びを一緒にできます。

1、いかなる場合も私たちは批判精神を追い出し、批判されても同じ土俵に上がりません。批判、非難、中傷の類を一切いたしません。個人メールにも、インターネットからも一切いたしません。

1、学びの中で霊的一致と理解の下で十分の一献金を奨励しますが強制ではなく、生きたる神への応答の喜びとします。

1、信仰をもつ者として、手本となる生き方を証とします。日常の中にこそ、神が生きておられることを実感する信仰者として生きることを喜びとします。

1、日々、御言葉(みことば)に親しみ、聖書通読、デボーション、祈りの生活習慣を身に着けます。

1、教会奉仕は人と比べるものではありません。隣人奉仕も同様です。自ら進んで喜んで!捧げることすべてが生きた供え物としての礼拝であることを心とします。

1、教会は有機体であり、キリストの体です。それぞれの役割と賜物を認めます。そして、身体ですから一人が痛めば全体が痛いことを痛感します。一人が居なくなれば指をつめたようにいたいこと、不便なこと、悲しいことを認めます。

1、互いに愛し合いなさい。新しい戒めの中の「互いに」は牧師も信徒も入ります。

1、教会のかしらはキリストです。牧師の監督を認めます。牧師の任職の油を認めます。

1、禁酒・禁煙は洗礼の条件ではありません。飲酒・喫煙を裁く教会でもありません。人につまずきを与える呑み方、吸い方は問題です。信仰に応じて、神様からいただいた身体を労わり、よき管理者として生活します。それぞれの信仰のあり方、立場を尊敬します。




写真は聖約キリスト教団の方々と。

ナショナルジオグラフィーの再現VTRについて

2011年10月19日 | 講演会&説教
先週アメリカで放映されたナショナルジオグラフィーのインタビューや再現VTRの番組の再現VTRのなかでの私の話がまがって脚色されていました。と、いうか、だいじな救いの部分にまで話が行っておらず、私の主張はどこえやら・・・

指をつめたことによって赦されてそれがうれしかったとは一言も言っていなくて、実は指をつめたときには兄貴に涙を流されてしまったのです。車はお金を出せば買えるが、たつやの指は戻らない、と、、、だから指を落としたことで赦してもらったということもないし(初めからゆびなどとは言われてなかった)、そのようなことで赦されてうれしかったということもない。兄貴に泣かれて嬉しかったのだ。
しかしテレビで私が「赦されて嬉しかった」と言っているのは、神様に出会って、イエスさまの十字架によって罪が赦されるということがわかってそれがうれしかった、とインタビューで話したのに。

写真のところの説明書きもちょっと???というところがありました。自分のことを説明していたのですがBaptist Lay Preacherとなっていました。バプテストではないし、按手を受けた牧師であり、Laypersonではありません。どうして普通にPastorと書いてくれなかったのか、、、
インタビューした人が知らなかったのかもしれませんが、ちゃんと初めから言ってるのに、、、放映する前に見せてくれたら、ちゃんと訂正できたのですが、、、残念です。

教皇訪問、プロテスタント側の期待満たされず(クリスチャンTODAYより)

2011年10月19日 | 日記
【CJC=東京】教皇べネディクト16世が、今回のドイツ訪問で、カトリック者とプロテスタントが聖体(聖餐式)を共にすることの禁止を解き、またプロテスタント諸派を『教会的共同体』ではなく『真実の教会』と認めるのではないか、とのプロテスタント側の期待が満たされなかったことに失望している人は多い、とENIニュースのルビー・ラッセル記者は伝える。

 訪問の2日目の9月23日にエルフルトで行われた会合に列席した福音教会(EKD)協議会のタベア・デルカー議員は、「大きな期待を持っていたが、今回の旅行ではそれが満たされなかった」と言う。「教皇は高齢で健康でないから、カトリシズムとプロテスタンティズムをより近づけるという仕事が出来るのか分からない」とインタビューに答えている。べネディクト16世は84歳だ。

 「宗教改革」の創始者マルティン・ルターが学んだという旧聖アウグスチノ会修道院で、べネディクト16世はプロテスタント指導者と会見、EKDのニコラウス・シュナイダー会長は、心が「より多くを求めて燃えた」と語り、会合を「非常に重く深い友好的な出会い」と指摘した。

 シュナイダー会長は、ルターを「わたしたちの教会の間のちょうつがい」だとし、カトリック者とプロテスタント双方に、聖体(聖餐式)を共に守ることが許されるべきた、と呼び掛けた。プロテスタント教会の多くは今もカトリック者やそれ以外の教派のキリスト者が聖餐式を共に守ることを認めている。

 べネディクト16世は、分裂に関してこれまで強調されていたことを遺憾だとした。「ほとんどの部分で、わたしたちは、わたしたちを分けてきたものだけに目を留め、わたしたちが共通に持っているものを実存的に把握することに失敗した」と語っている。
 2017年が「宗教改革」500周年に当たることから、教皇の歴史的な場所訪問はそれ自体がメッセージだと見る人も多い。「彼は、わたしたちが共通の歴史を有していることを非常に明確に示す場所に来た。わたしはそれが転機であり、わたしたちがこの世界で共通の使命を分かち合っていると言う方法であると望む」と福音教会のイルゼ・ユンカーマン監督。

 教皇は、ベルリンでイスラム教社会の代表とも会見している。ミュンスター大学イスラム教研究所のムハナド・コルチデ教授は、会見を「ドイツに於けるイスラム教徒を認知する姿勢であり、わたしたちに、イスラム教徒としての認知と名誉を与えるものだが、それは、この世界におけるキリスト者とイスラム教徒の平和的共存へのより大きな道標となった」と指摘する。

 ドイツにはイスラム教徒が350万人おり、宗教グループとしてはキリスト教に次ぐ大きさ。最近ではモスク建設が大議論になり、イスラム教徒はドイツに属しているのかが政治的にも問題化している。


志津川高校村にいたみなさんに心からありがとう!

2011年10月17日 | 南三陸町支援活動


志津川高校村にいたみなさんに心からありがとう!

震災に際して西仙台を助けることを神様に示されたのは中澤牧師とともに志津川高校避難所にコミットメントすることであったということを確信するにいたり、心から神に感謝しています。

私たちが初めて志津川高校を訪れたのは震災から2週目で、私たちは西仙台教会で被災者支援のための会議をしている最中でした。そんなときに、いち早く志津川高校に入っていたロジャー宣教師から中澤牧師へ、
「アメリカに帰国してしまいますが、その後も私の代わりに中澤牧師が志津川高校への支援とケアをお願いします」
と電話があり、ちょうどサンデージャポンが同行していましたのでサンジャポの クルーと我々が行ったのが3月の末でした。

あれから早いもので半年が過ぎました。胸中様々な思いがあることでしょう。私たちには想像することすらできない大きな悲しみでしょう。その悲しみを乗り越えるために私たちは無力なのでしょうか?という問いの祈りをいつも神に捧げていました。

一生懸命、物資も運んできましたが悲しみを乗り越えることのお手伝いをしたいと祈ってきました。無力ではない。微力なだけだ!と、言い聞かせて。

そのなかで今、私たちにできることは、人生の伴走者です。ともに歩み、ともに生きることです。

430キロも遠くに暮らしていていても、いつも祈り時間を見つけては通い、振り返れば15 回も往復してなれました。こんなに南三陸が近いなんて!

ボランティアを励ますボランティア避難所のような志津川高校、
チームワークのいい志津川高校、
雰囲気のいい志津川高校、
どの避難所よりもすばらしいといいたい。行くたびに感動させられた。逆に励まされた。佐々木代表は、どんなに忙しくても駐車場まで見送りに来てくれた。頭が下がる思いを幾度もした。そんな避難所を私は志津川高校村と表現してブログで私たちの活動を支援してくれた永瀬さんをはじめとした人たちに報告してきました。

先月、鈴木豊和さんが、ドイツテレビの取材で進藤牧師をどう思っていますか?との質問に、
「支援する側、される側の違いはあっても 、復興や自立といった同じ目標のために共に戦ってきた戦友みたいなものです」
と、答えてくれたときは正直、うれしくて涙が出てきました。

これからも戦友として、ともに歩み、ともに生きるものとして、よろしくお願いします。どうか、寂しがりやの埼玉県民をよろしくお願いします。今回は日曜日が重なってどうしてもそちらに伺えませんが、本当に残念ですが、代わりに愛する白井添乗カメラマンを行かせます。明るい社会運動の後方支援があってここまで続けることができたことを感謝しています。西仙台教会の中澤牧師を司令塔にしてよかったと本当に思っています。そして私のわがままをいつも聞いてくださり感謝しています。笑

祈り続ける私たち罪人の 友 主イエス・キリスト教会がいます。明るい社会がいます。
こんど、教会に遊びに来てくださいね。

進藤龍也&由美





罪人の友 主イエス・キリスト教会 牧師 進藤 龍也

〒333-0845 川口市上青木西4-13-4 ジューンブライド内

教会理念&開拓6周年礼拝「主の目には小さいこと」

2011年10月13日 | 教会理念
開拓6周年礼拝「主の目には小さいこと」


罪友教会理念&六周年記念説教
1.キリスト信仰の三位一体の神を崇める単立のプロテスタント教会です。
(牧師の母教会はペンテコステ信仰のシロアムキリスト教会です。実施訓練教会は長老派の多摩キリスト教会です。出身神学校は超教派の穏健福音神学派のJTJ宣教神学校です。)

1.唯一の神、創造主なる神の御子イエス・キリストを救い主として霊魂と結びつき、本来の自分を取り戻されたことを喜ぶ教会です。
(アダムとイブに入ってしまった罪のゆえに私たちは生まれながらにして罪に支配されています。アダムとイブの失楽園から私たちも霊的にも物質的にも精神的にも失楽園の中で生まれて生活していますが、救い主イエス・キリストを信じ繋がることによって神の養子として失楽園前の自分にかえり、神様と正しい霊的な交わりのできるものとなったことを喜んびます。)

1.救いの喜び、永遠の命を喜び、喜びと使命感をもって伝道する教会です。救われたのは救うため!!

1.祈る教会です。世界のため、日本のため、地域のため、家族のため、聖徒のため、救いのため、癒しのため、隣人のため、すべての必要なもののために祈る教会です。

1.必要に応じてささげる教会です。

1.神様を愛する愛、自分を愛する愛、隣人を愛する愛、この3つの愛の実践教会です。

1.何事も、自ら進んで喜んで!!を基本とする(ことを理想とする)


神を賛美し、福音を得て自分を取り戻し、伝道し、祈り、ささげる教会です。