中学2年生ぐらいから高校2年生ぐらいまでのあいだ、鬱陶しい梅雨が明けて一気に暑くなって、カーンと突き抜けた真っ青な空とミーンミーンという蝉の鳴き声がやって来ると、素敵な恋の予感に心が浮ついてワクワクしてソワソワしたものだ。
恋は恋をする相手がいなければ成り立たない。
それなのに、そのワクワクしてソワソワする夏恋の予感は、そんな相手などいないのに意味もなく勝手にココロが浮つき始める。
ステキな恋をしたい、ステキな誰かに巡り合ってステキな恋をしたい。
その誰かさんは自分の周りにいる友だちとか知り合いなんかじゃなくて、もっと抽象的な誰かだった。
ここにはいない、どこか遠くにいる、あの真っ青な夏空の向こうにいるであろう、わたしのステキな恋の相手。
その「ステキ」という点も、なにがどう素敵なのか言えない、具体性を欠いたとにかくステキ♡という無責任な素敵だったから始末に困る。
ただふわふわしているだけのカタチなんて無い、まだまだお子さまだった頃のわたしのステキな夏恋は、自分でもどういうものなのかわかっていないから、どうしたらいいのか、なにをしたら見つかるのかぜんぜん見当もつかなかった。
だからわたしはわたしのフワフワソワソワ夏恋がやって来てもとうとう何もしなかった。
きっとその頃の自分は恋に恋していたのだ。
そんなピュアな幻の夏恋を、夏の到来とともに、ふと思い出した。
男の幸せは「われ欲す」、女の幸せは「彼欲す」ということである。
〜ニーチェ