日本のキリスト教を取り戻そう

カルトキリスト教
在日朝鮮人左派テロリストの無神論者
クリスチャンのふりによる弊害を暴く

渋谷暴動事件 中核派 大坂正明被告に懲役20年の判決 東京地裁

2023-12-23 08:51:12 | 朝日毎日新聞、赤旗、他 在日左派メディア 日本共産党他
ふざけているのは、どちらだ?
同じ目に、遇えば良いのに。
こんなことを賛同する在日共産党と賛同者。

1:ヨハネの黙示録/ 19章 20節
しかし、獣は捕らえられ、また、獣の前でしるしを行った偽預言者も、一緒に捕らえられた。このしるしによって、獣の刻印を受けた者や、獣の像を拝んでいた者どもは、惑わされていたのであった。獣と偽預言者の両者は、生きたまま硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた。

2:ヨハネの黙示録/ 20章 14節
死も陰府も火の池に投げ込まれた。この火の池が第二の死である。

3:ヨハネの黙示録/ 20章 15節
その名が命の書に記されていない者は、火の池に投げ込まれた。


転載
渋谷暴動事件 中核派 大坂正明被告に懲役20年の判決 東京地裁
2023年12月22日 17時50分 東京都
NHK

1971年に東京 渋谷で起きた「渋谷暴動事件」で、新潟県警から派遣されていた警察官を殺害した罪などに問われた過激派「中核派」の活動家、大坂正明被告に対し、東京地方裁判所は「機動隊のせん滅を呼びかけ、激しい暴行を加え続けた」として懲役20年の判決を言い渡しました。

「中核派」の活動家、大坂正明被告(74)は、1971年の「渋谷暴動事件」で、新潟県警から派遣されていた当時21歳の警察官に火炎瓶を投げつけて殺害したなどとして殺人や放火などの罪に問われました。

大坂被告は45年余りにわたる逃亡の末に逮捕され、裁判では「すべての容疑について事実はありません」などと無罪を主張しました。

22日の判決で東京地方裁判所の高橋康明裁判長は、目撃者の証言などから大坂被告の犯行だとした上で「中核派が機動隊のせん滅などを呼びかけたデモの中で発生した犯罪だ。無抵抗になっていた警察官に多数で一方的に鉄パイプで激しい暴行を加え続け、残虐、非道だ。45年以上にわたり自分の刑事責任から逃げ続けた姿勢は厳しい非難を免れない」と指摘しました。

一方「社会と隔絶されたまま、すでに高齢に達している」などとして無期懲役の求刑に対し懲役20年を言い渡しました。

判決が言い渡されると傍聴席からは「ふざけるな」などの声が上がり、退廷を命じられる人も出ていました。

弁護側は22日、控訴しました。


渋谷暴動 一部転載

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%8B%E8%B0%B7%E6%9A%B4%E5%8B%95%E4%BA%8B%E4%BB%B6

あの日、部隊長は、鉄砲(ガス銃のこと)を持った機動隊員が我々学生に捕まるや、『殺せ! 殺せ!』と叫び続けた。私は、「よし殺してやろう」と思い、近づくと、機動隊員は、米屋のシャッターに押し付けられ、数人の学生に鉄パイプで乱打されている最中で、間もなく、膝がガクッとしたかと思うと崩れるようにうずくまってしまった。部隊長は、機動隊員を道路中央まで引きずり出し、うつぶせにした機動隊員の上に馬乗りになり、さらに『殺せ!殺せ!』と叫び、機動隊員の襟をつかみ、肩口から火炎びんの油を注ぎ始めた。

機動隊員の背中はみるみる油漬けになっていく。部隊長の『早く殺せ!』との命令で、自分はついに機動隊員の頭部をめがけて火炎びんを投げつけた。あっという間もなく、機動隊員は火だるまになってしまった[14]。

態勢を立て直した隊員らが戻ると、N巡査は真っ黒になってうずくまっていた。顔の識別が難しいほどの全身火傷を負ったN巡査は15日21時25分、死亡が確認された[15][16][17]。

船と特急を乗り継いで急遽佐渡島から上京したN巡査の父は、「日本は法治国家です。学生の暴力を取り締まる警察のつとめをNは立派に果たしたと思っています。言論は自由だが、こういう暴力は絶対に許せない」「Nは無口な子でした。しかし、警察官を選ぶときは、はっきり私にいいました。それだけに…」と語った[18]。身体の一部が炭化するほど激しく損傷していたため、母親には対面させられなかった[19]。現場道路のアスファルトは変色しており、火勢の凄まじさを物語っていた[20]。

中核派はN巡査の他にも、新潟県警機動隊員3人に同様の暴力を繰り返し、全治2週間から治癒期間不明の熱傷等の重症を負わせた[21]。

活動家には女性もおり、犯行後マスクと軍手を外し、Gパンを脱ぎ捨てて下に穿いていたミニスカートで逃走するなど、捜査が及ばないようにあらかじめ周到な準備を行っていた[22]。