久しぶりにジムに行ったならば、1km連続で走るのがやっとという体たらく(汗)
・・・怠けすぎた、かな?
怠けすぎたといえば、京都旅行のはなしも書かずに怠けておりました。
記憶が薄れないうちに、全部書ききれるかしらん!?
今回はムスメと別行動の時間が2時間ありました。
ということで、ガンガン動き回る予定だったのですが
この日もかなり暑い日で。
・・ちょっとばかり、思考が低下しておりました(←天気のせいではないけれど・・)

とりあえず、第一目的地の渡月橋へ。

有名な観光地とは知ってたけれど、橋を渡る、人、人、人。
・・・橋は美しく、堪能したいのですが、立ち止まると、ほかの観光客の迷惑になりそう。
(団体のお客様が記念撮影するたびに、できるプチ渋滞が酷くてですね)
というわけで、渡月橋を往復するだけで満足。

大堰川(桂川)は、暑い夏の日にあっても、涼しげで美しく。
川岸をふらふらと歩き回っておりましたら、気になる表示板を見つけました。
そこで、ちょっと小路を曲がってみたら・・・。
あ、ありました。

小督塚。
平家物語や能でもおなじみの女性。
・・悲恋のヒロイン。
美しく琴の名手であり、高倉天皇に見初められ寵姫となったものの、
中宮の建礼門院徳子の父であった平清盛の怒りに触れ、出家させられたという。
(権力者とはいえ、清盛も実の娘の結婚を心配していた、ともいえますが)
とはいっても、この塚に小督が眠っているわけではなく。

小督にことを、哀れに思った人々が、小督塚を作ったと伝えられているのです。
ちなみに、能の”小督”はこの塚の近くでのエピソードに基づいています。
宮中をのがれて嵯峨野に隠れ住んでいた小督。
この小督のことを忘れられない天皇が、彼女の行方を捜して、使者(←源仲国)を出し
彼が得意の笛を吹いたならば、そこに流れてきたのが「想夫恋」の調べ。
そして仲国に押し切られこっそりと天皇の元に帰り、ひっそりと逢瀬を重ねるのですが、
やはり清盛におもねる者から秘密が漏れて、小督は無理やり出家させられてしまう
と、いうもの。
・・・きちんと平家物語予習しとけばよかった。

”小督庵”という名前が見える石碑!
・・ここが庵だったのか、とチラ見しようとしたら???
確信はありませんが、史跡には見えなかったなぁ・・・
(民家?お料理屋さん?)
真実はわからないけど。

さて、能の世界に浸ったあとは、和歌の世界へと、移動してみましょうか。
(・・・京都の猛暑日は、熊本に勝るとも劣らないものでございました・・・)