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くろさん亭、おかわり

嵐山うろんころん①~渡月橋から小督塚

週末になって、ちょっと一息。

久しぶりにジムに行ったならば、1km連続で走るのがやっとという体たらく(汗)

・・・怠けすぎた、かな?

怠けすぎたといえば、京都旅行のはなしも書かずに怠けておりました。

記憶が薄れないうちに、全部書ききれるかしらん!?

今回はムスメと別行動の時間が2時間ありました。

ということで、ガンガン動き回る予定だったのですが

この日もかなり暑い日で。

・・ちょっとばかり、思考が低下しておりました(←天気のせいではないけれど・・)

       

とりあえず、第一目的地の渡月橋へ。




       


有名な観光地とは知ってたけれど、橋を渡る、人、人、人。

・・・橋は美しく、堪能したいのですが、立ち止まると、ほかの観光客の迷惑になりそう。

(団体のお客様が記念撮影するたびに、できるプチ渋滞が酷くてですね)

というわけで、渡月橋を往復するだけで満足。




       


大堰川(桂川)は、暑い夏の日にあっても、涼しげで美しく。

川岸をふらふらと歩き回っておりましたら、気になる表示板を見つけました。

そこで、ちょっと小路を曲がってみたら・・・。

あ、ありました。

       


小督塚。

平家物語や能でもおなじみの女性。

・・悲恋のヒロイン。

美しく琴の名手であり、高倉天皇に見初められ寵姫となったものの、

中宮の建礼門院徳子の父であった平清盛の怒りに触れ、出家させられたという。

(権力者とはいえ、清盛も実の娘の結婚を心配していた、ともいえますが)

とはいっても、この塚に小督が眠っているわけではなく。






       


小督にことを、哀れに思った人々が、小督塚を作ったと伝えられているのです。

ちなみに、能の”小督”はこの塚の近くでのエピソードに基づいています。

宮中をのがれて嵯峨野に隠れ住んでいた小督。

この小督のことを忘れられない天皇が、彼女の行方を捜して、使者(←源仲国)を出し

彼が得意の笛を吹いたならば、そこに流れてきたのが「想夫恋」の調べ。

そして仲国に押し切られこっそりと天皇の元に帰り、ひっそりと逢瀬を重ねるのですが、

やはり清盛におもねる者から秘密が漏れて、小督は無理やり出家させられてしまう

と、いうもの。

・・・きちんと平家物語予習しとけばよかった。



       


”小督庵”という名前が見える石碑!

・・ここが庵だったのか、とチラ見しようとしたら???

確信はありませんが、史跡には見えなかったなぁ・・・

(民家?お料理屋さん?)

真実はわからないけど。

       

さて、能の世界に浸ったあとは、和歌の世界へと、移動してみましょうか。

(・・・京都の猛暑日は、熊本に勝るとも劣らないものでございました・・・)

コメント一覧

kurosan
http://pub.ne.jp/kurosan/
しっかさんへ
あ!そうなんですね。お母様のご実家が嵯峨野ですか。おもしろい風習ですね。私は歩くそばからポロポロ落としていきそう(笑)


是非、嵯峨野の詳しいことを教えてくださいませ。ほとんどなにも見れていないので・・・。
しっか
渡月橋、懐かしいです。母の実家が嵯峨野でした。
京都には十三詣りという習慣があり、数えの十三で法輪寺さんにお詣りにいって智恵を授かるのですが、帰りに渡る渡月橋を渡りきるまで振り返ったらせっかくいただいた智恵をかえしてしまうという言い伝えがありました。
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