このお話しは2006.12.17日から始まる
次男が運ばれた救急病院から電話が来たのが8時30分
エランと走るのは、10時過ぎ
夫が言った「もう意識が無いのなら、今やるべき事をやれ」
病院へは夫が行き私はエランと走った 結果、勝てなかった
昼ころ会場へ私を迎えに来た夫 無表情すぎる
「買いたい物とかあったら、ゆっくり好きなもの見て来いよ」と夫
「早く病院へ行こう」という私をよそに
夫はしみじみビッグサイトを見渡し「楽しかったな、ショー」と呟いた
次男の元へ行って、夫が言った「楽しかった...」の意味を理解した
意識が戻っても一生泣き叫び暴れる脳障害
私達夫婦が24時間この先一生介護していくのだ
もう、2度と私達はショーの世界へ戻る事は無い
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あの日 3
医師の説明が知らない国の言葉のように流れていた
「最悪の場合」この言葉しか頭に残らなかった
肺からの出血、気管のチューブ中の血、
頭は、ペットシーツのようなものにのってた
機械で動かされている肺は、規則正しく呼吸していた
医師のお話しが終わると直ぐ「帰ります」と私
「どーして帰るんです?ふつー帰りたくないと言うシーンでしょ」と医師
「お葬式の準備があるから」と私、
家に帰って夫と私と長男で今後の対策会議
「次男、きょうまで好き勝手贅沢三昧で太く短くの人生だったね」
家族3人、次男の話題で盛り上がっていたら
そのとき、
テレビの音量が上がったり下がったり
次男の部屋の灯りが点滅~
「来たー」「南無阿弥陀仏ー、成仏してー」と家族大パニック
この日から家族は、眠ると不思議な夢の中をさ迷うようになる
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