
大本営発表といえば、国民をあざむく捏造されたい虚偽の情報を連想しますが、戦争ではどこの国でも多かれ少なかれ、情報操作はつきもののようです。3月1,2日夜9時10分~10時のBS1で、機密情報を公表してベトナム戦争の正当性を問いかけたことから、当時のキシンジャー国務長官から”アメリカで最も危険な男“と呼ばれた、ダニエル・エルズバーグ氏の回想番組が放送されます。原題は、“The Most Dangerous Man in America”で、アメリカのコヴノ コミュニケーションズ/インサイト プロダクションズによる2009年の制作の、アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭 審査員賞 受賞作品です。以下はHPからの概要です。
3月1日(月)BS世界のドキュメンタリー「アメリカで最も危険な男~ダニエル・エルズバーグの回想~」(前編)
軍事関連のシンクタンクの研究員だったダニエル・エルズバーグは、1964年、国防総省の軍事コンサルタントに抜擢される。当時ジョンソン大統領は、密かにベトナム戦争拡大の準備を進めていた。エルズバーグは北爆に反対し、その後、海兵隊の中尉として戦場に赴いた。そしてマクナマラ長官に戦況が悪化していることを報告する。しかし長官は国民に「米軍は予想以上に成果を上げている」と伝えた。大統領が戦況の悪化を伝えることを認めなかったからだ。1967年にエルズバーグはマクナマラ長官から米軍のベトナム関与の歴史について報告書を作成するよう依頼される。この頃、エルズバーグはニクソン大統領の補佐官だったキッシンジャーに対し、「この戦争に勝つ道はない」と告げていた。1969年に初期の機密文書を見た彼は、ベトナム戦争以前のトルーマン、アイゼンハワー大統領もケネディやジョンソン、ニクソンと同様に、戦争について真実を伝えず国民を欺いていたことを知る。やがて反戦活動家たちの勇気ある行動に胸を打たれたエルズバーグは、機密情報を公表し、戦争の正当性を問うことを決意する。
3月2日(火)BS世界のドキュメンタリー「アメリカで最も危険な男~ダニエル・エルズバーグの回想~」(後編)
7,000ページに及ぶ国防総省の機密文書のコピーを終えたエルズバーグは、当時戦争に異を唱えていた議員たちに持ち込んだ。しかし、国家を裏切ることになる行為に手を貸そうとする勇気ある政治家はいなかった。そこで1971年3月、エルズバーグはニューヨーク・タイムズに文書を漏えいする。この頃、彼はノーム・チョムスキーらとともに反戦活動に取り組んでいた。NYタイムズでは、機密文書の公表が諜報活動取締り法に抵触しないかどうか慎重な審議が行われていた。そして3ヶ月後、ようやく記事は発表される。直ちに政府から記事の差し止め請求が出され、エルズバーグはFBIとメディアの両方から追われるようになる。 しかし、NYタイムズ、ワシントン・ポストに続き新聞各社が記事を掲載、テレビや上院議員も加勢する。エルズバーグはペンタゴン・ペーパーを盗んだ罪で起訴されるが、釈放。最高裁判所も、NYタイムズとワシントン・ポストに記事掲載を認めるという歴史的な判決を下した。
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