風のいろは 何いろ?

緑を渡る時、空を吹き巡る時、風は何色なのだろう?
風には色はないけれど、私には………。

「人はうわべを見るが、主(神)は心を見る」

2004-05-08 | 日記(旧サイト~移行分:未分類)
  おはようございます。m(__)m  昨日は仕事も遅く終わり、その後買い物もしたので、帰宅が遅い時間でした。今日は遅番。まもなく出ます。
  さて、今朝の【荒野の食卓】を読み終えた時、私の脳裏に、昨日の職場でのできごとが浮かびました。支社長が突然、新しく来られた次長と一緒に、店にお見えになったのです。黒っぽい背広に身を包んだ大きな男性ふたりが、女性の職場、お母さんとこどもの世界である、この小さな待合室のはじっこにたたずんでらっしゃいましたが、すぐに次の店に行かれてしまいました。身の置き所がなかったのかな? ^^;
  久々に緊張してしまった私。その時の私の格好ったら・・・ちょっとだらしなかったです。髪がぱらりとしていたり(後ろは輪ゴムで束ねてあるし)、白衣の襟が折れていたり(気づかなかった…)、ナースサンダルの後ろのバンドをちょっとつぶして履いていたり(和室といったりきたりする職場なので、脱ぐとこうなること多し)。 お二人が帰られてから、ずっとそのことに気をとられていました。 まさに今日の 【荒野の食卓】でいう通りの者です。 うわべを見る者…。(上司の目を気にする者・・)


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5月8日 【荒野の食卓】   by ウォッチマン・ニー

人が見るようには見ないからだ。
人はうわべを見るが、主は心を見る。
           I サムエル 17.7


  サウルはぬきんでた資質の人でした。彼は民のだれよりも、肩から上だけ高かった」。イスラエル人がサウルを歓迎したのは不思議ではありません。みんなから彼の頭が見えたからです。しかしこの頭一つぬきんでた人物は何回主の御心の道に立つというのでしょうか。ダビデはこのことを心得ていました--ダビデとは神ご自身のみ心を追い求める者、彼は幾度も人間の理性を脇に置き、そのかわり素直な信仰によって行動しました。ゴリヤテ(彼の頭はサウルよりも突出していました)と対したとき、ダビデは兜と鎖かたびらを断って、投石器一つで迎え出たのでした。投石器からの狙いすました一撃は、巨人の額に喰い込み、巨人を打ち倒したのでした。この日を境に、イスラエルの王としてのダビデが注目を浴びるようになりました。
  今日、自分たちの頭に左右されるキリスト者がいます。歴史的に、私たちのゴリヤテはカルバリーで失墜しました。しかし霊的なサウルは今もって私たちの中に生きています。しかし内面をのぞき込むのはやめましょう。サウルは私たちの相手ではありません。彼の治世はいくばくもありません。しかし羊飼いの思いやりを持ったダビデが君臨するなら、無割礼のペリシテ人に対する私たちの態度は明確にされなければなりません。・・・・・・・・・・・・・
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