東方閃電はどこに由来するのか

「ちょうど、いなずまが東から西にひらめき渡るように、人の子も現れるであろう。」(マタイによる福音書 24:27)

クリスチャン映画「福音の使者」 抜粋シーン(1)主イエスは、十字架の上で ...

2019-06-14 19:23:58 | 動画

 

クリスチャン映画「福音の使者」 抜粋シーン(1)主イエスは、十字架の上で「すべてが終った」と言われたとき、何を意味されたのでしょうか?
宗教界の多くの人々はこう考える、「主イエスが十字架の上で『すべてが終った 』と仰せられたということは、人類を救う神の働きは終わった証拠だ。我々は主を信じるだけで、罪を赦され、信仰によって義とされ、恵みによって救われる。主が来られれば、我々を天の御国に引き上げてくださる。更なる救いの働きなどなさるはずがない。」この見解は神の働きの事実と合致しているだろうか?

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「私の主は誰か」抜粋シーン(5)キリストは命の源であり、聖書の主でもある

2019-06-14 08:05:38 | 聖書に関する映画

 

聖書に関する映画「私の主は誰か」抜粋シーン(5)キリストは命の源であり、聖書の主でもある|日本語
聖書は、神の言葉だけではなく、わたし達にいのちを与えてくれるとても有益な、人間の経験と証しにあふれています。主イエスによると、「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも死なない。あなたはこれを信じるか 」(ヨハネによる福音書11:25-26)とあります。しかし、2000年経った今、聖書を読み主を信じている者が、なぜ未だ誰一人として永遠の命を手に入れていないのでしょう?聖書は永遠の命への道になり得ないのではないでしょうか?主イエスが贖いの働きをされた時、人類に永遠のいのちへの道を授けなかったのではないでしょうか?わたし達は永遠のいのちへの道をみつけるために、一体何をすべきなのでしょうか?