櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

◉新作ダンス公演2024年7/13〜14 ◉コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

きこうとすることから(レッスン報告:櫻井郁也ダンスクラス:2019.12/27ダンス/舞踏メイン)

2019-12-28 | レッスン・WSノート

12月27日の金曜、ダンスクラスは今年の踊り納めだった。

第九を全曲、踊ってもらった。ベートーヴェンの第九交響曲は1時間を軽く超える。音楽であり、劇であり、祈りだ。そのあらゆる瞬間が怒濤であると僕は捉える。このエネルギーの嵐をカラダで味わう体験をしてもらいたかった。

2度はやらないです、やるとすれば来年の末になります、完全に即興でお願いします。と言って始めた。そして踊っている身体に、かけられるだけの声をかけていった。終わったあと、クラスメンバーの一人一人の表情がその人の顔そのものに深まっていた。音楽の熱を、踊りの知を、あらためて思った。

いまここで響く響きに身を任せることができる、ふと思うことが踊りになる、そういうことができるように、つまり、いつでも踊れるカラダを、専門用語をつかえばインプロヴィゼーションができるダンストレーニングをしてゆくのがこの金曜クラスの稽古。それは感動と体のミキシングであり、発想力のトレーニングでもある。そして同時に、自分自身の身体を活かした等身大のダンスを探し見つけ実現してゆく場でもある。今年はどうでしたか、と言葉で訊くのではなく、踊る姿でこの一年の実感を確かめてみたかった。

朝比奈隆さんが振る大阪フィルはじめ、第九の感動は沢山ある。そのなかで、フルトヴェングラー盤の凄まじい鑑賞体験と、もうひとつ、バレンボイム盤を聴いたときの深い感動が、きょうのクラス案のもとになった。ユダヤ人の音楽家バレンボイムとパレスチナ人の哲学者サイードの音楽的対話は世に名高い。共存への思いがこもった特別な演奏なのではないかと僕は思っている。

刻一刻と自らの心に起こる波を体の動きにあらわしてゆく。音楽とは「聞く耳を持つということ」というバレンボイムのメッセージを読んだことがある。これは、ダンス身体(おどるからだ)の軸そのものにも重なりがあると僕は思う。何かに対する共感から、肉体を熱し揺する。空間や時間をも共振させ、ともに変容してゆく。まず、他者をきこうとする。そこから始まってゆくということがダンスの良さだと思う、思いつづける。踊る体は感動する体なのだと思う。

 

 


櫻井郁也ダンスクラスご案内 Lesson and workshop 

▶クラスの種類や内容、参加方法など


櫻井郁也/十字舎房:ダンス公演サイト Stage info.=Sakurai Ikuya dance solo 

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レッスン報告:からだづくり〜基礎オープン(11/28.2019)

2019-11-29 | レッスン・WSノート

 

基礎オープンクラスの補講をした。先月の大きな台風のせいで休んだ日のかわりだった。28日。普段とちがう平日の夜だった。

ヨガアサナで気持ちの切り替えをしたあと、深い呼吸をするための練習、そして、胸郭を拡げ、肩や背筋をゆるめてゆく。そのあと腰まわりと太腿をしっかり使うエクササイズへと進めた。深めの股関節ストレッチ。バレエウォーク。そしてクロスフロアへ。

さらに参加者の希望でフリーダンスの時間をとった。シンプルに手拍子だけでリズムを提示し、それを聴きながら踊ってもらった踊りが、ことのほか一人一人の個性が自然に出た。良かった。

呼吸と心理は肉体のコンディションや動きを大きく左右する。息を合わせてという言葉にもあるように、踊ることは呼吸と心の状態を整えることに深く関わっていると僕は思う。

 

忙しさや気にしていることから一時はなれて、静かになり、そして音楽や表現や運動をたのしみ自らの身体に集中してゆく。そのような時間を積み重ねることが次第にダンスの基礎をかたちづくってゆくと僕は考えてきた。ダンスの基礎というのは思ったことが素直に体の動きや顔の表情に出てくるということだ。こわばっていない状態だ。

踊れる身体は心と体がばらばらになっていない。本来の姿に、つまり自然に近い。僕らが日常と呼ぶ様々な制約のなかで、身体は不自然な状態に押し込められているかもしれない。

夜の落ち着いた練習のなかで、あらためてそのことを思った。

休憩のとき、イサドラ・ダンカンのことを少しだけ話した。現代ダンスの母。バレエの所作にこだわらず、自分の身体を解放して、思いのまま自然のままに踊った。自然な身体こそが美しい。しかし悲しいかな人間にとっての自然とはどんな姿なのか、探求しなければここに戻っては来ない。自由に自然に踊る。それは伝統や既成の文化への挑戦でもあった。いまおもえば実に合理的な精神だが、当時は前衛ととられた。伝説になったが、近年いつしかダンスはまた色々な形式だとかジャンルとかいうものに区分けされている。(このことはまた、、、)

 

このクラスは毎週土曜日は、15時から17時。

週末の午後、あちこち凝っているところをほぐし、全身を活性化するようなレッスンにしたいと思う。

 

 

※初心者から、いつでもご参加ください。詳細は下記のリンクより。


lesson 櫻井郁也ダンスクラスご案内 

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stage 櫻井郁也/十字舎房:ダンス公演情報

 

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レッスン報告5/17:コンテンポラリーダンス&舞踏

2019-05-18 | レッスン・WSノート

いい時間が流れた。もっと踊りたくもっと話したかった。

金曜夜のダンスクラス(コンテンポラリー/舞踏)はいつも時間がたつのが早く感じる。きょうは「インプロヴィゼーション」つまり即興で踊る稽古の日だった。イメージのひろがり、自由表現の楽しみ、身体の反応、集中とリラクゼーション、自己との向き合い方、なんて列挙すればきりがない。言葉に説明することが表面的に感じてしまう、ダンスならではの「踊るべくして踊る」稽古がインプロヴィゼーション。僕はこれがこのうえなく大切なことに感じている。

レッスン中、僕はピアノ演奏をしながら声をかけたり動きの提案をしたりするが、次第に声がけの言葉とピアノ演奏の境目はなくなってゆく。音で、グルーヴで、ダイナミクスで踊る人と関わる。そしてすこし休みつつ踊りについて皆で話すのだけど、踊りの話は当然のように様々な話に関連し膨らんでゆく。音楽のこと、暮らしのこと、哲学や歴史もたびたび話題にからむ。そしてまた踊る。

最初は、ひとり、またひとり、と稽古場に来て、アップをしながらあれこれ話す。前回の稽古について、さいきん観たり読んだりという何かについて、気になっていることについて、、、。そしていつしか稽古になって踊りに踊る。

ちいさなことが大きなことに広がってゆく。日常のことが芸術のことに膨らんでゆく。ワタクシのことが人間のことに関わってゆく。ふとした気分が音楽とシンクロして膨らんで、カラダが揺れうごきジャンプとか回転になっていたりする。大切なことは、言葉になんかならないのかもしれない。

なにげない今日このひと時が、ダンスに変換されてゆく、それは、なんとも貴重な一瞬だったりする。理想の身体が踊るわけではない。いまここにある身体が、いまほんの少し、おそるおそるおどる。それが始まりなのだ。なにかの始まりが踊りなのだ。そんなことを、ふと思う。

きょうは深く踊れた。きょうは軽やかに踊れた。きょうは動けたが踊れなかった。きょうはちっとも動けなかったがなぜか踊れた心地がする。きょうは、きょうは、きょうは、、、。踊りはいつも「きょう」に関わっているのだろう。

踊りが関わるものは人間が関わる全て。それゆえにキリがないが、キリがないから面白く、話し尽きない。そしてまた踊り、踊るうち気付けばもう時間。毎週、惜しむように稽古を終えてまた来週と帰路に着く。

あす土曜日は基本稽古の日。これは僕自身にとってもうれしい重要な稽古で勉強日です。

1時からの「レギュラークラス」はダンス表現の基本を、3時からの「基礎オープンクラス」では僕も一緒に動いて身体操作の基本とダンス感覚の開発を丁寧にやる。ストレッチ、筋トレ、リズムやウォーキング、そしてシンプルな振りでクロスフロア。程よい発汗とメンテナンス。そして活力の保持。基礎の基礎というのは本当にずっと飽きない。楽しみにしています!



lesson 櫻井郁也ダンスクラス、オイリュトミークラス

stage 櫻井郁也/十字舎房:ダンス公演情報

daily 日々のこと

 



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レッスン報告(木曜、ダンス・フリー追加、2/7)

2019-02-08 | レッスン・WSノート
火曜日と木曜日はフリークラス。思い思いにうごく即興の稽古がこの曜日の主な内容になる。
きょうは誰が来るのだろうか、今夜はどんなことからダンスをしてもらおうか、何を話そうか。
その日その瞬間にしかできないことをやる、なかなか楽しみなレッスンでもある。

2/7は、踊りながら川端康成の言葉をきいてもらった。それまで踊っていたダンスに言葉が絡み、絡みつく言葉と関わりつつ身体の表情が二転三転する。スリリングだった。
川端の言葉というのは関東大震災のことを描いた文章だった。気になっていた文章がipadにのこっていたのだ。
稽古を見て、踊った人たちと対話しながら、ふと思いついた風景に重なった。

「都が炎上したのは、妖艶な女が天然痘で死んだやうなものだ。しかしね君、女優ナナが天然痘で死んだからと言って、彼女達の體を享楽していた男漣の欲望は死にはしなかつたらう。」という一節があったが、そこで非常に魅力的な座り方をした人があった。表面的なウゴキは言葉によって停止されたが、それ以上の動き蠢きが、その人の中から滲み出るようだった。

※まえに夢野久作の言葉からダンスを始めようと試みたことがあって、そのときのことも実に面白かったから、また書きたい。いや、またレッスンでやるほうが、先だと思うが、、、。


あらゆるものからことがらからダンスは始まるけれど、そこに火水を注ぎ熱し冷却してゆく力が、音楽や言葉には強烈にあると頻繁に感じる。
音楽には言葉が溶けていて、言葉には音楽がすでに響いていあるのではと僕はよく思う。
猛烈にそれを感じるのは自由なダンスのみならず、オイリュトミーにも時に感じることがある。
しかし、言葉や音の響きに囚われてしまっては、それらはむしろ常識的でつまらないハメコミ運動や手旗信号みたいなことになってしまい、そういうものも沢山みたことがある。共振状態とは、紙一重ともおもう。
言葉に対する、音楽に対する、渇きや愛憎や戦いがなければ、響きは響かないにちがいない。

記憶に深いものでは、簑助さんと住大夫さんの組んだ人形浄瑠璃で、存在するあらゆるものごとの響き合う瞬間というか、
壮絶な関わりを感じ震えたことがあった。
言葉と音が注入される瞬間、物質はその内的な爆発力を発揮して魂に変化するのかもしれない、などと思ってしまった。


※2/8、2/9は休講。来週は通常どおりの開講です。
2/12火曜のフリークラスは予約受付中です。
______________________________________________
stage ダンス公演情報
新作公演(4月6〜7日:東京)の詳細ページです。

lesson ダンス教室
コンテンポラリーダンス、基礎トレーニング、オイリュトミー




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言葉と体の関係が、、、(レッスン記録1/22)

2019-01-26 | レッスン・WSノート
西荻フリークラス記録より。1/8の稽古は音楽に身をゆだねること、そして一定の時間の流れを途切れなく踊り続ける経験をした。対して1/22の稽古では、詩の音読を聴きつつ踊るという体験をしていただいた。気持を確かめながら丁寧に動く稽古でもあったかと思う。言葉に交わろうとしてゆくようでもあったし、言葉に溶け入ろうとしているようでもあった。
喋る言葉、語る言葉、記す言葉、コトバと言ってもいろいろだが、詩の言葉はとりわけ一つ一つの音にまで深く問いながら書かれている。深い、そう思うことが多い。この日その場を共に過ごしながら思ったのは、言葉もまた命を支える食物なのかもしれないということだった。言葉を深く聴くとき、音や呼吸や文字やイメージや喜び哀しみが、栄養素のように身に染み込んでゆくように思えるのだった。
聴き、聴きながら踊り、話を交わし、からだをほぐしなおし、いくつかのエチュードを経て、ふたたび聴き、ふたたび踊り、ふたたび、と繰り返すうち、言葉と体の関係が次第に接近してゆくのを目の当たりにした。
踊りが鮮明になるにつれ、休憩時に発される感想の言葉にも焦点が定まってゆくのは面白かった。言葉から身体に熱や光のようなものが入ってくるのだろうか。
じっさい、言葉は火になる、言葉は氷にもなる。人の心を燃やしもするし冷やしもする。その力が、脳や神経を通じて、血や肉や骨にも確実に作用するのだろう。そして力は身を波打たせリズムになってゆくのかもしれない。
詩にひそんでいる音楽が、ダンスを通じて現れる気がしてならない。人が関わるあらゆるものごとから踊りは沸き起こると思うが、なかでも、ことば、は踊りに深い深い縁をもっていると僕は思っている。
踊りの発露と発語は、どこか似ている気がしてならない。詩は言葉によって書かれるが、その言葉はときに奏でることばであるし、その言葉はときに鼓動する言葉と思う。
詩と踊りには、さらには言葉と肉体には、特別な関係がひそんであるのではないかとも感じている。


stage ダンス公演情報
新作公演=2019年4月6〜7日:東京(櫻井郁也ダンスソロ新作)

lesson ダンス教室
コンテンポラリーダンス、基礎トレーニング、オイリュトミー



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レッスン報告:8/28

2018-08-29 | レッスン・WSノート
フリークラスで、とてもいい時間を過ごした。
一人一人の人が動きをさぐり、踊りになってゆく、そのプロセスがとてもデリケートで素敵に思えた。
レッスンをしながら思った。
踊る、というこの一言から連想することはさまざまだと思うが、
それは、心を静かにしてゆくことと、とりわけ深く結びついているのではないかと、、、。
何度も何度も思ったが、きょうもまた思うのだった。

さまざまな響きに耳を傾けること。
内側の声に耳を傾けること。
そのような、開放性が、運動する身体には現れてくると思う。
そのためには、まず動かなければならない。
動きに専念すればするほど、無邪気に近づいてゆける。
身体の動きと心の動きは確実に結びついている。
身体の状態は心の状態と相互にかかわり合っている。
さまざまなこわばりをとって、すこしずつ、からだのすみずまでを運動で満たしてゆこうと、
まず試みてゆくしかない。
心配ごと
情報
迷い
見栄
考えすぎ
とか、とにかく邪念というやつを燃やしてゆくハタラキが、踊りに集中する身体の奥から出てくるようにも思う。

心の中を、透明にすること。
聴くことが、感じることが、うごきに直接結合しているような身体。
それは、身体が速度そのものになる、ということかもしれない。
ひたむきに動きつづける時。
それは、本当にうれしいことは何か、本当にかなしいことは何か、自分というものはどんなものなのか、
というようなことを掘り下げてゆく時でもある。
体を動かすには、やはり心の動きが必然なのだから、
ひたむきに動くということは、感情も思考も非常に燃焼するのだ。
激しいかどうかではない。おだやかに燃える火もあるのだから。
ひたむきに動きつづけるとき、
そのとき、ふと静けさが訪れることがあるのだ。
静けさは拡がりでもあると思う。
静けさの中には心の言葉があるとも思う。



クラス案内


___________________________________________________
Stage
櫻井郁也ダンスソロ新作公演『白鳥』9/29.Sat.~30. Sun. 2018
Sakurai Ikuya dance solo "SWAN"
29th and 30th Sept.2018 at plan-B Tokyo


↑website is availablenow ↑作品サイト↑



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レッスン報告(5-8フリークラス 踊り入門)

2018-05-10 | レッスン・WSノート
風に立ち、雨を歩き、音楽を旅して、数を遊び、たとえばたとえば、、、と無数の関わりを身体は生み求め揺れ動くのだけれど、なかでも言葉との関わりは非常に複雑で面白いのではと思っていて、その点でも今週5/8のフリークラスでは参加者の方々のダンスが実に興味深い展開となりました。

いつも始めに話す時間をもつのですが、そこで出た言葉がピンと来たならば気持ちの変化やイメージを促すのでしょうか、動きが始まってからも、言葉の交換が続いているような関係感をこの日はとりわけ強く感じました。

そして、ストレッチなどと同様に思考回路の準備運動もやはり大切だなぁと改めて思いました。
もちろん踊りの中でも準備したテキストを読み、これを伴奏としました。

この日のテキストはあえて詩的なものではなく、何かしら考えを誘うようなものを、考えることと身体をなんとかして結びつけようとするようなことを準備していました。

人体における代謝や循環について、社会における代謝や循環あるいは経済と貨幣制度の変化について、人体と社会の相互の影響について、エトセトラ、というような、ちょっと固い語感のものを次々と構成しました。

にも関わらず、動きはどんどん変化を重ねて膨らんでいきました。

言葉を聴くことから生まれる思索の力、言葉を聴くことから始まる脳内のドラマ、それらが運動感覚に結びついて、有機的な呼吸を息吹き始めているようにも感じました。

きこえてくる言葉の一つ一つが面白かったんだよね、と参加者の一人は教えてくださいました。そこから、また会話を展開して、さらに踊ってもらいました。

言葉を食べないと始まらない何かが踊りにはある。何を話すかで心は変わるのだから、動きも踊りも可也かわる。
気持ちが動くから体が動くのは当たり前なのですが、この日の稽古は、言葉と聴覚と思索と運動が、ある種の刺激を働きかけ合うような空間体験でした。

熱と思索と感情と身体運動が対流するような展開となり、進めながら感じるもの多々ありました。

さまざまな思いを、さまざまな言葉を、携え、通過し、受けとめ、身体は広がってゆくのだと思います。

次回がまた楽しみです。

※フリークラスは毎月第2第4火曜日の夜、西荻窪です。つぎは5/22、来週中に当サイトで詳細告知もします。








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レッスン報告:フリークラス・踊り入門 2/13

2018-02-14 | レッスン・WSノート

いつものように少し話し、いつしか少し踊り、また少し話し、また踊って、、、。と時間が流れました。

時間ごと揺れているようだった。

言葉をめぐって、音楽をめぐって、呼吸をめぐって、参加者とお話を交わし、すすめながら、踊る方々の姿を見つめながら、同じことは矢張り二度はないと思った。あたりまえだけれど、それは心しないと大切なものが流れ去ると思いました。

瞬間瞬間に始まって消えてゆく出来事が、とてもデリケートに空間をひろげてゆく。

踊る、というのは立ち止まってみることから始まるのだけれど、それは、まず落ち着いて、じっとすべてに耳を傾けてみること、そして、向こうがわから訪れる何かに、身を開いてゆくことかもしれない、と思うことがあります。

背負っているものを、抱えているものを、たずさえたまま、まず立ち止まってみる。

そして、そして、、、。



フリークラス・踊り入門2018



Stage 3/31〜4/1 櫻井郁也ダンスソロ新作公演「かなたをきく」
Sakurai Ikuya dance solo "FAR BEAT"
on  31th Mar. and 1st Apr. at plan-B Tokyo








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レッスン報告 11/14

2017-11-15 | レッスン・WSノート
11/14西荻窪のフリークラスは、集まってすぐの会話も楽しく、準備運動ではジャンピングをやったりしました。
やがて、イメージをひろげるエチュードを繰り返し、なかなか面白い動きが出てきました。

たまには互いに見せ合ってみたい、ということになり、じゃあ最後にそうしましょう、と、各自のイメージをクリアにしてゆく作業を進めていき、ラストで見せ合いました。

最初はスローな探り合いに見えましたが、気持ちを変え、動きに動き、全身から表情が出るまでやってほしい、さまざま指摘しつつ、ハイ始め、ハイそこまで、と、何度も繰り返すうちに、それぞれ自らが生み出すエネルギーが、だんだんと出てきました。

ダンスになる瞬間。
バイブレーションが伝わる瞬間。
探し、試行錯誤を重ねていくなかで、ふと自分でも自分がみえてくる瞬間があるのでしょうか。

私はこんな人なんだよ、私はこんな気持ちで居るのよ。と、だんだんと伝わってきます。

みなさん、果敢でした。そして、見つめる僕も、この人にはこんな事を伝えたい、この人のこんなところを引き出したい、という目標が改めて見つかりました。タイミングを見計らってまたやりたいです。

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クラス報告 11/11

2017-11-11 | レッスン・WSノート
土曜13時のレギュラークラスでは、バッハとメンデルスゾーンの小曲を一つずつ、引き続き踊っていますが、いつのまにか、次第に流れが出来てきています。

細かく、ああでもないこうでもないと注文しつつも、内心、あぁいいなぁなどと感じています。

これと並行して、言葉と身体の関係も深めたくて、きょうからは、あたらしい練習作品を始めました。

選んだテキストは、瀧口修造さんの詩のひとつ。

詩をよみ、そして受けた刺激や感動から、ダンスを紡ぎだしてゆく試みです。

鮮やかで、跳躍感に満ちた、すごくエネルギッシュな言葉たち。
そのスピード感、その炸裂感に、どう関わってゆくことができるか。

冒険し、実験し、遊び、そして学びたく思っています。
わくわくします。

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レッスン報告 10/24-25

2017-10-27 | レッスン・WSノート
火曜水曜と二日つづけて、レッスンでは、詩の言葉と関わり踊っていただきました。

火曜のフリークラスでは、思い思いにイメージがわくままに身体を動かす。踊る。たわむれ、遊ぶ。遊ぶというのは、体験を積み重ねて身体感覚を磨くことでもあるかとおもいます。子どもは遊ぶことで自らを確立してゆくというが、大人にもそうことはあるかもしれない。私たちはいつも新しくあろうとする。かつてをふりはらい新しい呼吸を始める。そんな感じがする場でした。

水曜のオイリュトミークラスでは、さまざまな動きをおぼえ、何度も繰り返し練習して深めます。そして詩の朗唱や音楽に関わってゆくのですが、オイリュトミーには、踊りと学びの楽しみが満載で汲めど尽くせない魅力があります。

それぞれ異なるタイプのレッスンながら、今週のように二日続きで言葉と踊りの、言葉と身体の、かかわりを稽古してゆくと、人が言葉を生成し、人が言葉を受け止め、また、、、という、そのエネルギーの行き来のデリケートさ面白さを、あらためて体験した感がありました。息吹を交わしているように感じました。


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レッスン報告:からだづくり・基礎オープン(櫻井郁也ダンスクラス土曜)

2017-10-23 | レッスン・WSノート

レッスン報告です。

毎週土曜日15時の「基礎オープンクラス」のこと。

このクラスは、姿勢・柔軟・筋力・呼吸・バランス、などを中心に身体のコンディションを整えるクラスです。

先週末10/21。

この日は、リラクゼーションのあと簡単なヨガアサナで気持ちを切り替え、身体に意識を向けてゆく導入。

前半は、
座位でのコアトレーニングを中心に、背中を柔らかくするエクササイズをたっぷり。

後半は、股関節の柔軟性を促すエクササイズを導入に、脚力の強化と体軸形成のトレーニングが中心。最後は音楽にのって軽快なフットワークの練習でフィニッシュとしました。

皆さんかなり汗をかかれていました。僕もご一緒して身体が芯から温かくなりました。

季節のほう、次第に大気は冷えていきますが、身体はしっかり温かさを、と思います。

参加者の方々は20代から50代までさまざまですが、けっこう皆さん動くのが楽しいみたいです。

だから僕もメニューを考えたり、お手本をしたり、ということが楽しくなっております。

練習を積み重ねてゆくことが楽しみになるように、身体が軽くなって動きやすくなるように、と、工夫や勉強を重ねていきたいです。

練習メニューはパターン化/習慣化しないよう、毎週かならず変えています。一般的なバレエ・モダンのワークアウトのほかに僕自身のセルフトレーニングからも良い発見があればアレンジして取り入れます。

基礎オープンクラスは毎週土曜あります。
また週末のレッスンを楽しみにしていて下さい。

※初めて参加される方は、下記リンクの「クラス案内」をご覧いただき申込をしてください。

ダンスクラスClass info.

※明日24火曜は、フリークラスがあります。上記クラスとは対照的に、お手本をつかわず各自が自由に踊るイメージ中心のレッスンです。













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レッスン報告10/14(櫻井郁也ダンスクラス・土曜レギュラー・基礎オープン)

2017-10-15 | レッスン・WSノート
土曜日は2クラスあって、いづれも基本的な内容のレッスン。その様子を。

午後1時は「レギュラークラス」。

前半では、空間の広がりを意識した振付ですがメンデルスゾーンの無言歌といっしょに踊りました。
この振付には初夏から取り組んでいますが次第に柔らかい雰囲気が出てきました。これからはメンデルスゾーン独特の歌の感覚と全身で、ということになるのでしょうか。

後半では種田山頭火の俳句から各自が思い思いのイメージを膨らませて動きました。
もちろんそんなやすやすとできるものではないと思う。でも山頭火の言葉というのは自立して強いから、言葉の中に立とうとすれば踊る人の立っている場所というものも透けて見えてくる、いくら何を思っても考えてもその人が立っている場所からしか踊りはないから。だから、これは見入ってしまった、人一人一人を感じました。何が何やらみんな咲いてゐる、ということでしょうか。咲いてください。

3時からは「基礎クラス」、コンディショニングとトレーニング中心のレッスンです。

きょうは、体軸の構築とフットワークの稽古が中心でした。
身体の中心を意識することに始まり、呼吸、胸部を主として上半身の無駄な力みを抜いてゆく練習など。フットワークはあまり細かいものではなくゆっくり大きく動かす作業をしたので、バランス、キープ力、ハムストリングを鍛えるトレーニング、お尻の大臀筋を動かす練習などを含めました。
たっぷりと動きました。

積み重ねるうちに「からだが変わってきた」という人がやはり多いですが、それはあくまで結果で大事なことは楽しんで動くことだと僕は願います。気持ちを込めて丁寧に動く、気持ちを解放できるまで大胆に動く。気持ちを入れ替えてゆく。

この毎週の内容を提示することは試行錯誤を続けないとできないので、僕自身にとっても発見が多く新しい楽しみがあります。始めて良かったです。

ダンスする、踊る、ということについて、からだ、意識、なるものについて、さてこれからどんな掘り下げが出来るか、しっかり向き合いたいと思います。

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レッスン報告:10/13金曜ダンスクラス

2017-10-13 | レッスン・WSノート
毎週の金曜に行なうダンスクラスはインプロヴィゼーション(即興)に比重をおいています。
きょうは第一セッションの踊りが途切れず気がついたら一時間近いセッションになっていました。
非常に興味深い展開でもあったので検討のときは沢山の言葉も出て、そのあと短いショートセッションで終えました。
充実感がありました。

この金曜のダンスクラスを中心とした即興ベースの稽古は、お手本といっしょに動きをたのしんでゆく稽古の納得感(土曜の基礎・レギュラー、水曜のオイリュトミーはすべて手本と振付をしての練習です)とは対照的な面白さがあります。
月二回あるフリークラス(西荻ほびっと村「踊り入門」)はゆったりとしたテンポで進めていますが自由に踊ります。

金曜ダンスクラスは毎週の積み重ねだったり、メンバーが一定だったり、いろんなことがあるのでしょうが、なかなかスリリングで変化に富む動きが見られるようになってきました。
僕自身も踊りの渦中で楽器や声がけでけっこう刺激しているかもしれません。
ことばでも色々と言うようになってきましたが、それを懸命に受け止めながら動いている姿は、セッション感が強いです。

毎週懸命に踊る身体のなかに身を置いている、そこから出現するものが非常に貴重です。
コトバにするには時間がかかります、なったら書きます。
心理、イメージ、動き、などなど総動員の身体感覚稽古といってもよいかもしれませんが、本来それらが別なわけもなく。
また、一瞬一瞬に向き合う稽古といってもよいかもしれませんが、一瞬一瞬に向き合おうともしないで生きているわけもなく。
ということでありましょうか。直感の、決断の、交感の、、、、まあ、ともかくやるだけです。

自分でもこれは何かと分からないような内部の噴出共鳴を、こうだろうか、ああだろうか、と、やる。
失敗も一杯する。とにかくカラダで。ということだと思います。
時間に空間に自分に挑戦してその累積から何が現れてくるか。エネルギーの稽古ということかもしれないです。

ダンスクラスClass info.
※新たな方のご参加、お待ちしています。

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レッスン報告・基礎オープン

2017-10-01 | レッスン・WSノート
土曜午後に行っている「基礎オープンクラス」の報告です。きのうがその日でした。

体の中心を意識する練習、背中と肩のほぐしかた、体幹部のトレーニング、それからダイナミックな解放運動をやりました。秋は、全身のバランスを整え、呼吸と動きの合わせ方を、より深く体験したいと思います。

毎週末、仕事や家事から解放されて自分のカラダを整える、
くまなく体を動かして溜まった疲れや凝りを徹底的に追い出して、新しいエネルギーを蓄えてゆく、そのようなことが大人にとって非常に貴重な時間だと思います。

のびのびと踊るには、まず体を動かす喜びや充実をいっぱい味わうことからだと思います。

ダンスはカラダの解放から生まれます。
ダンスの動きは、「がんばる」のでなく「たのしんで」動くことから始まり、広がり、それゆえ想像力や表現力にも結びつくのだと思います。

むだな力や強張りを抜いて、エネルギーの循環を促してゆくのが基礎練習の大部分です。

毎週このクラスで手本をしたり一緒に練習したり、すこし休憩しながらダンスや音楽や美術の話をしたり、というのは僕にも貴重な時間です。

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