コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー
からだづくりから創作まで、初心者から取り組めるレッスンです。
拠点は東京・荻窪。
各曜日のレッスン内容や参加方法など、上記クリックしてください。
櫻井郁也によるダンス公演の情報や記録を公開しております。
作品制作中に記されたテキストや写真なども掲載しておりますので、ぜひ、ご覧ください。
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紫陽花に吸い込まれる。
吸い込まれながら色や音を浴びているような気がする。
静かな高揚感もあるし、
溜息が聴こえてくるみたいでもある。
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せっかく大阪に行ったので天王寺の絵金展を再見するつもりが大変な大雨になり、
新幹線が動かないというから帰京を一夜延ばしたが朝晴れてなお動かないという事態になり、
待つうちついに夜となり、
途方にくれくたびれたが久々に苦労して家に辿り着いたこの経験は、
久々にほっとするという経験でもあったのだろうと思っている。
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ドクダミの花が咲く瞬間は、
僕にとって毎年の楽しみのなかでもピカイチで、
とても小さなこの花から、
なんとも言えない眩しさを、今年もまた、感じている。
この可憐な白い光は、雨の季節を前に、
眼を下におろして、地に落ち着かせて、
いま、このここに、居る、
ということを寿いでくれているみたいに、思う。
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こないだハリー・ベラフォンテが亡くなったことは音楽と行動と思想のことにおいて大きな節目なのではと思っている。
自身、この数ヶ月、近しいひとをおくる、ということがおどろくほど次々に続いて「変わり目」ということについて深く感じているさなかだ。悲しみや哀しみや喪失よりもはるかに速いスピードで、膨大な作業と支出と消耗があり、それらがもたらす疲労とともに、生活と身体にゆるやかに染み込んでくる鉛のようなこの何かの正体は未だ分からない。
ドタバタのさなかに飛び込んだ大江健三郎氏のこと坂本龍一氏のこと、それから、と数えればさて、もう無言にならざるを得ない。やはり人は順番に透明になると分かっていても、残念というものは薄まりも消えもしない。
常に新しくあること、新しくあらしめんとすることは、どこかで生き死にの問題に接しているに違いない。
なんだかこのごろ、ひとつひとつの仕事が、ひとつひとつの行為が、ひとつひとつの悩ましささえもが、やけに大切に思えてくる。
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4/08より、年度替わりの調整を経て、クラスを再開した。
この時期、さまざまな事務に追われるがなんとか一泊でも故郷の奈良に行って桜を見る、というのが楽しみだった。
けれど、今年は大阪に暮らす母の介護と先日亡くなったばかりの義父の諸仕舞いをしつつ新年度の準備作業をやることで手一杯となり、電車に乗れば奈良なんか小一時間で行けるのに、諦めた。心残り。(写真は去年の桜なのだが、思い出がてら、のせた)
3月30日はルドルフ・シュタイナーの命日だったが、上記のことで読書も稽古も叶わず。その代わりというのも変だが、週末の新幹線に高橋先生訳の概論を持ち込み久々にゆっくり目を通し得たのは極楽だった。筑摩が文庫化したのはやはり画期的と思う。
宗右衛門町に用があったついでに夜の道頓堀川を眺めながら、ダンサーとして創作家として生活者として長く関わり続けてきたこの人物を思った。良し悪し含め、やはり親しんできたことは確かなのだ。
彼の拠点だったドルナハ(スイス)に滞在中に命日にあたったことがあったが、そのとき彼のアトリエは花でいっぱいだった、ため息がでるほど沢山の花が空間を満たし、美の力が時間を引き留めていた、あの景色がいまだ鮮明。たしか、青い花だった。青い花で満たされた空間が、底の無い宇宙みたいで、ルドルフ・シュタイナーという人の存在感を示していた。記憶が遠いが、そんな感覚が残っている。
僕は少年期より言葉なるものを疑い音楽を信じていたが、いくつかの文学と暗黒舞踏を通じて、言葉それ自体への興味が再び湧き起こり、生活が変わり始めた。そして、言葉に血を通す、いや、言葉に通っている血を探り、それを踊る、踊りたい、もとより言葉は身体から出ているのではないか、そのようなことを思っていた時に出会ったのがシュタイナーだった。
この人物の考えには、共感できるところも沢山ある反面、なにか反抗心のようなものもあり、会ったこともない人なのに妙に生々しい感触をおぼえながら、いままできた。少なくとも、彼の考えの道筋の革命性に身震いすることが年々増えているのは確か。
踊りの毎日の地稽古の中に、彼が生み出した「オイリュトミー」なるものを取り入れ、日常的に練習するようになり40年ほどたったが、このことは僕の「ダンス」「踊り」にとって、重要な力になっているのではないかと、最近あらためて思っている。
今年度、どのようなことが起きてゆくのか、また一歩を。
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大阪に行ってきた。写真は、道頓堀。父の故郷だ。
戦前、祖父母がこの橋のすぐ近くで商売を営み暮らしていたが、3月に始まった大阪大空襲により全て奪われ、幼い父を連れて奈良に逃れたときく。そして父はそのまま暮らし、そして僕が奈良で生まれ育つことになった。
僕は幼い頃からこの辺りの昔をよく聞いたし、かつ、なんとなくこの辺りに遊びに連れて来られることも多かった。
僕にとってのかけがえのないフルサトは奈良なのだが、大阪の空気が体の血に溶け込んでいる感じはすごくある。根(ルーツ)なのだろう。だから、奈良にいたときも、東京に長く暮らしていても、なぜかたまに、ふと、この景色を思うことがある。
大阪の街と自分が、どこかでつながっている気がしてならない。東京と奈良と大阪、三つの街が、自分のなかに動いている気がする。
この道頓堀川の夜景と喧騒を、そこはかとなく美しいと思いながら、歩いた。
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寒い夜道で花を見つけた。
春が、もうすぐ始まるのだろう。
少しずつでも、何か明るいものが近づいてくるといいのに、と思う。
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この木の写真は、毎年ではないだろうけど、もう何回も載せている。
この木は、寒い時に美しくなる。
この木が好きで、時々眺めに行く。
私が木を見ているのだけど、この木に私が見られている、ような感触もある。
少しづつ少しづつ、木は大きくなっている。
そのことに、ふと気がついた。
木は、力をくれる。
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冬もピークなのかな、とか思いつつ、抱えるもの一つ一つをなんとか解決しようとする。
そして、春を待つ。
写真は昨年のサクラ、奈良で撮影した。
ちょうどこの辺りで生まれて育った。
あの日、見ておいてよかったと、いまなぜか思う。
近ごろ身の回りで、命に関わることが多く、花の美しさが、かつてなく刺さる。
花というものが、こんなにもきれいなのだということを、いまさら、覚える。
こういうことが少し増えてきた気もする。
あの日、あの絵を見ておいてよかった。あの踊りを見ておいてよかった。あの音楽を、、、。
そんなことを思いつつ春を待つ。
春を、思い始める。
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冬の夜は光が際立ってきて、月も、やけに眩しく感じる。月下の人まで眩しく見える絵もあった。たしか応為だった。月も描かれてはいるが、その下に居る女性が、何やら光を吸って変異してゆく百合みたいに感じる。ちょっと前の月食の日にも思ったことだが、月のチカラは心を少し変えるみたいに思う。(あの日、駅前の人混みが異様にその場に停止して等しく月光に目を注ぐ有様を面白く見て、そのあと稽古だったが、集まった人は踊り、月を見て、また踊って、何だかとても良かった。)
月の諸相を眺めながら思い浮かぶことも考え及ぶことも、太陽の及ぼすそれとは明らかに違う。
反射光だからか、自ら輝く太陽とは全く別の温度感が、見えない針のように降り注いでくる。
月の魔力によって壊れてゆくピエロを歌った音楽があるが、あれはやはり良く分かる。半音階も太陽より月に似合う。月には人を「一人」つまり「身ひとつ」にするチカラがあるに違いない。
身ひとつ、になる時は私自身なるものからも少し遠ざかることができるかもしれない。そうすると何か知らないものがこの体に入ってくるかもしれない。
踊っていると、底が無いような沈黙に入り込んでゆくようなことがある。あれは、なんだろう。イマジネーションと沈黙と月の関係に、なんだか気が向いてく。
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