櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

◉新作ダンス公演2024年7/13〜14 ◉コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

リゲッティ氏、逝く。

2006-06-20 | アート・音楽・その他
ワールドカップに一喜一憂する中、数日前の新聞で、作曲家ジョルジュ・リゲッティの訃報を見つけ、ショックを受けました。現代音楽におけるパイオニアである氏は、僕にとっては、決定的な芸術体験をもたらしてくれた心底尊敬する芸術家の一人です。

何才だったかは忘れましたが、亡父に連れられて初めて大きな映画館で見たのがスタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」という映画。台詞が少なく、大部分が映像とクラシック音楽によって、始源から超未来へ、輪廻転生を体験するかのごとく構成されている、あまりにも有名な映画です。その、クライマックスで使用されていたのがリゲッティの音楽でした。

リヒャルト・シュトラウスによる4度・5度の威丈高な響きの繰り返しのなかで、人類がひた走りに前進するプロットが、ある瞬間から狂い始め、猛スピードで宇宙をさまよう一人の宇宙飛行士の眼を通して、理解を超えた世界の存在が垣間見えてきます。
不安と快楽が背中合わせになったような、速度と光だけが唯ある世界。
ストーリーは現実から非現実へと飛躍し、その展開の中で花火のような光の渦があらわれます。
そのようなシチュエーションで鳴り響いている神秘的なリゲッティの音楽に、僕はとことん魅了されました。
人の声とも楽器とも区別のつかぬ音の震えが重層化し、どこまでも終わりの無い世界が開かれ続ける。その音響世界は、スクリーンに展開する視覚効果を遥かに超えて、心の奥深く問いかけてきます。「お前はどこにいるのか。お前は何ものか。お前はどこに向かっていくのか」と。

映画の意図とは全く別に、「何もわからなくていい。ただ目の前にある、この美しさにどっぷりと浸っていたい」という、不思議な心地よさが思春期を目の前にした僕を襲いました。

とってつけたような、しかし圧倒的な結末を迎えて映画は終わってしまいましたが、僕の内部では、暴走する光と果てしない音の渦とがどこまでも続いていました。
「これが映画だ」と連呼する亡父の笑顔とともに、その体験は強く残り、それ以来、僕は芸術というものに取り憑かれてしまったのです。

感極まった時に、僕ら人間は言葉で表せないような声を発します。
喜怒哀楽に要約出来ないような、自分でも理解できない感情の発露。
それを音響化するという営みを最初に知ったのが、このリゲッティという作曲家の仕事だったのです。

坂本繁二郎の能面であって能面ではないタブローに出会ったときも、イブ・クラインのそこはかとないブルーの世界と出会ったときも、どこかでリゲッティの音楽が鳴り響いている感覚がありました。もちろん自身のダンスにおいては尚更です。

理解を超えた世界が、僕らの外側にも、内側にも果てしなく存在している。
そのことを受け入れようとするときこそ、僕らは正直になることができます。知性の傲慢さを抜け出たところ、孤独の最果てにある、ただ驚きのみがある世界。「わからないことがある」という豊かさこそ、この世に生まれた楽しみではないでしょうか。
そのことを予感することこそ、芸術の本質ではないかという、僕の根本方針を決定づけてくれたのがジョルジュ・リゲッティの音楽です。

鬼籍に入られたことを哀しむと同時に、感謝の念を氏の精神に捧げたいと思います。
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