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ハンス・ベルメールの命日が23日だったのを思い出し、この写真を掲示しました。
いづれも横浜美術館に所蔵されているもので、ほかにもたくさん展示されています。
ベルメールの人形や絵画にはじめてまみえたのは大きな回顧展で、すこし恐くもあったのですが、どうにも忘れることが出来なかった。
作品を見ているつもりだったのが、実は、作品なるものの向こう側から誰かがこちらをじっと見つめられているように思えました。
渋谷だったと記憶しますが、会場を出たあと街のさまざまなものが、非常に不安定にぐらついて感じたのでした。
それをきっかけによく見るようになりましたが、上の、手の写真がベルメールのものだとは僕は知りませんでした。
この写真の手は、不思議な手だな、なんだろう、この少し悲しいような接触感は、、、と思ってキャプションに近づくと、ベルメールが撮影したものだったのでした。ごく自然にひきこまれましたが、やはり強く脳裏に残りました。
手は、その人のさだめを反映しているみたいに思えますが、それゆえに裸よりも裸がそこにあるのかもしれず、オドリでも、こういうふうに、ああいうふうに、としている手はいやらしいけれど、自然のままで嘘つきではない手の美しさに、どきっとするようなことも、ときにはあるのだと思います。
下の写真はとても有名だと思うのですが、こちらには手がありません。
まるいものが連なって、つぎつぎにまたまるいものを生んで、いつのまにか女の人の足になってしまったけれど、これは土の中から放り出された樹木の根っこみたいにも思えて、痛さを感じさえする。さびしい、かなしい、だけれど官能もあるのだから、ちょっと眼のやり場に困りました。
いったい何が刻印されているのだろう、、、。
それを言語化するのはあまりにも、もったいないのだけれど、手からも、人形からも、あ・あ・あああああ、と、とてもとても深い溜め息がもれてきているように僕には思えてしまうのです。
1930年代のドイツ、すばらしい音楽や詩や哲学が生まれた彼の地で、気がつけばヒットラーが選挙で選ばれている、いつしかあらゆるものに優劣のレッテルが貼付けられてゆく、生産性や実利や有用性が、健康というものが流行し、、、というなかで、ベルメールは作品を制作しはじめたといいます。このころの雰囲気を推察するとき、どこか背筋に冷たいものが走ります。いま、僕らの何かが重なってしまいます。
ダンス公演情報(櫻井郁也ダンスソロ最新作)
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