ヴィーゲランという彫刻家がいます。この人のことを友人に尋ねられ、話しこみました。以前、僕がこの人の作品を好きだと言っていたのを、ふいに思い出したのだということでした。
グスタフ・ヴィーゲラン(Gustav Vigeland 1869-1943)はノルウェーの彫刻家で、この人の特徴は、創作の中心に夫婦や親子の問題が深く捉えられてあることだと、僕は思います。子育てや家庭のことや愛する人との何かしらの問題を抱えたときに、この人の作品のそばに行きたくなるのです。
彫刻の良さの一つは、その存在の仕方だと思います。彫刻の存在は、場所に人間的な力を与えます。
例えば、上野の近代美術館にはロダンの「地獄門」や「カレーの市民」の像があり、あるいは、ルーブル美術館の踊り場にはサモトラケのニケ像がありますが、それらがそこに在り続ける限り、そこ=その場所は、それぞれの彫刻の存在が導いてくれる特別な磁場になっています。
また、野外に置かれているものには特別な存在感が育ってゆくように思います。野外では、雨の日も雪の日も、彫刻は、ある地点にじっと存在し続けます。作者の作業場からも持ち主の部屋からも離れた場所で、濡れても乾いても汚れても錆びてもヒビが入っても、じっと存在している。じっと在り続けることで、自然の力に溶けて、次第に変容し、作家のイメージや持ち主の印象から、少しづつ独立して、自立した存在になってゆくかのように見えます。
ヴィーゲランの彫刻から、僕は、そのような感じを特に強く受けます。個々の彫刻が、それぞれの独立した存在として屹立し、いま生きている人間の毎日を激励してくれるように、僕は思うのです。
泣いて怒っている赤ちゃん、いたわり合うカップル、年老いた夫婦、小さな子どもをあやす父親、、、、。
そのような沢山の彫刻から、人と人の間にある絆、人が生まれ年老いてゆくことの喜怒哀楽が、溢れ出てきます。そして、個の人生を超えて、生命や知の譲り渡しをしながら、時を紡いでゆく、人間存在なるものへの思索を、この人の彫刻群は、私たちに促します。
僕がこの人の作品に強く心を揺さぶられるようになったのは、まだ子ども達が小さかった頃でした。育児のさなか様々な辛さを抱えていたのですが、この人の作品の写真を見ると、少し心の中が明るくなるのでした。助けられていたのです。
尊敬する芸術家は沢山いるのですが、ヴィーゲランの場合は、どこか深いところから、こちらを見守ってくれているような視線を今も感じます。心を支える力とでも言えばいいのでしょうか。
これは実に凄いことで、滅多にあるものではないと思います。人生に必要な、何か、非常に切実なものが、この人の作品には宿っているのではないか、と思います。
コロナのせいで海外からの大きな展覧会が少なくなったこともあり、これまで好きだった作家の画集などを眺める日はずいぶん多くなりましたが、なかでも、ヴィーゲランの作品集や古い展覧会カタログを見つめていると、いまも、生命感覚が蘇ってくるような気持ちになります。
オスロにある彫刻公園はとても有名で、コロナが収束したらぜひ行きたい旅先のひとつです。
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Stage info. 櫻井郁也/十字舎房:公式Webサイト
ただいま前回ダンス公演(2021年7月)の記録をご紹介しております。次回公演情報は、いましばらくお待ちください。