10/17は、映画監督・若松孝二さんの命日だった。疾走という言葉は若松孝二のために発明されたのか。あの日、革命家が暗殺された瞬間のように、プツリと何かが停止した。
名作『キャタピラー』でベルリンの大きな賞を得られた間も無く、余りにも突然の喪失だった。
個人的には2012年の『千年の愉楽』という作品が好きで何回も見詰めていた。
中上健次の原作で熊野が舞台になっている映画だ。巷を揺さぶった連合赤軍や三島由紀夫を巡る作品ともピンク当時の過激さとも違うが、抑制されたなかに噴出寸前のマグマのような狂気が漂い、人物すべての肌や表情に行き場のないエロスが充満していて、それを熊野の山や森や滝が見守っている情景。存在するものと存在しない何かが、神秘的な呼吸を交わしているような、沈黙のなかで肌から生命の湿度がじわじわと染み出してくるようなデリケートで危うい感覚がスクリーンからはみ出していた。ダンスに近い呼吸と鼓動と狂気とエロスの、ひりひりするようなカンケイ。わけのわからない嫉妬が湧くのを抑えながら、溜息を漏らしながら見詰めた。その溜息の温度や水分をじっと味わっていた。そんな、人の骨の奥に食い込んでくるような「映画=蜃気楼」を、この世のものに出来る人が、他にいるだろうか。
そう思いながら、若松監督の映画をまた見詰めている。
見詰めながら至福し、至福のなかから喪失の断腸が込み上げてくる。
まだ、若松孝二の不在を受け止めることが、できないままだ。
名作『キャタピラー』でベルリンの大きな賞を得られた間も無く、余りにも突然の喪失だった。
個人的には2012年の『千年の愉楽』という作品が好きで何回も見詰めていた。
中上健次の原作で熊野が舞台になっている映画だ。巷を揺さぶった連合赤軍や三島由紀夫を巡る作品ともピンク当時の過激さとも違うが、抑制されたなかに噴出寸前のマグマのような狂気が漂い、人物すべての肌や表情に行き場のないエロスが充満していて、それを熊野の山や森や滝が見守っている情景。存在するものと存在しない何かが、神秘的な呼吸を交わしているような、沈黙のなかで肌から生命の湿度がじわじわと染み出してくるようなデリケートで危うい感覚がスクリーンからはみ出していた。ダンスに近い呼吸と鼓動と狂気とエロスの、ひりひりするようなカンケイ。わけのわからない嫉妬が湧くのを抑えながら、溜息を漏らしながら見詰めた。その溜息の温度や水分をじっと味わっていた。そんな、人の骨の奥に食い込んでくるような「映画=蜃気楼」を、この世のものに出来る人が、他にいるだろうか。
そう思いながら、若松監督の映画をまた見詰めている。
見詰めながら至福し、至福のなかから喪失の断腸が込み上げてくる。
まだ、若松孝二の不在を受け止めることが、できないままだ。