新しい社会について真剣に考える時期が突然に来た、そう思えてならない。
地球規模で、だれもが同じことに困り、同じことを解決しようとしている。人と人は、いかに助け合うことが出来るか。というミッションを世界中が共有してゆくことになると思う。
危機の時代には友愛精神が試されるにちがいない。そして、おなじくらいに、危機の時代は全体主義を生みやすい。
ひじょうにびみょうな状況を、僕らは漂っているのかもしれない。
ウイルス状況のなかで、国民の声を、世界の声を、人間の声を、政治家はどのような思いで聴いているのだろうか。(2020.4/12)
上は、ちょうど一年前の4月に(最初に緊急事態が発出された頃に)書いた記事の一部です。
そのままの思いが延々と続いている今なのですが、ちょうど同じ頃に公表された、哲学のマルクス・ガブリエルの小論文にもまた、気がかりな提示があり、いまだ、引っかかっています。
それは、ごく短い文章なのですが、気候変動のことに言及しながら、私たちの時代に対する批評とコロナ収束後の私たちの世界構築へのヒントを、示そうとしていたのではないか、とも思えるのです。
例えば、このような一言があります。
人間の自己絶滅はコロナによって、わずかのあいだ食い止められている。コロナ以前の世界秩序は、普通ではなく、致死的なものであった。(引用元 LINK )
かなり挑発的な言葉の使い方ですが、僕は不自然を感じません。コロナによる困窮も混迷も、本当に、こりごりですが、前のままに戻ってゆくべきかどうか、ということについては、思いあぐねる点がとても多いのです。
この一年のなかで、途方にくれつつ、この東京で虹を見たり流星を見たり、庭に蜻蛉や蛙さえ見た経験もあり、つまり、僕らが、人が、活動を少し減少すると自然の生態系はもとへ蠢き始めるのかしら、と思えるような風景が、やはりいくつかあったし、コロナが無ければ社会がおおむね良かったかというと、それはそれで擬問はある。さらに、危機回避を共有せざるを得ない社会のなかで、同調圧力の発生などを含め、全体主義的な雰囲気をいかに招き寄せないようにするかという点に関しても歴史から学ぶべきことが多く、いま、なかなか複雑な思いをしてしまうのも確かなのです。
上掲の一文の中で、自己絶滅、という言葉が強烈ですが、あながち否定はできないなと思いつつ、この若い哲学者の一言を、時々、読み返します。
本当はどんな世界が幸せなのか。どんな暮らし方が、人間らしいのか。
コロナ収束のその時までに、やはり考えなければ、この今の苦しさは無駄になるかもしれない。
新しい社会について真剣に考える時期の、ただなかにある、のかもしれないと、いま、いまの今、思います。
_____________________________________
次回公演(2021年7月)の開催情報を掲載中です。
平日昼間のフリークラス(火・14時)が加わりました。