櫻井郁也ダンスブログ Dance and Art by Sakurai Ikuya/CROSS SECTION

◉新作ダンス公演2024年7/13〜14 ◉コンテンポラリーダンス、舞踏、オイリュトミー

白紙は希望ナリ

2013-05-10 | アート・音楽・その他
GW。思い切って休みをつくった。信州の空気を吸いに行った。稽古もなし、ネット環境もなし。アルプス、それから夜の星。猿とも会った。
一日、そんな日を作るだけで、やはり元気になれた。

立ち寄った「安曇野ちひろ美術館」の企画展が良かった。
『手から手へ』というタイトルの展覧会。絵本作家が呼びかけあって集まりヨーロッパから巡回する展覧会。世界の絵本作家から3.11以後の私たちへのそして子どもたちへのメッセージが込められた原画の数々が集う。近く、東京にも来るとのこと。もう一度行こうかな。

一枚一枚、絵はエネルギーを放つ。ふとキャプションに目を移すと、ひとこと、作家の言葉が添えられている。絵の世界と言葉の世界が響き合う。気がきいている。

いい言葉をもらった。

白紙は希望である。そこにはどんなものでも描くことが出来るのだから。

思い出して書いているのだけれど、たしかそんな言葉だったと思う。

出品作家のひとりが添えたメッセージ。すこぶる共感しちゃった。

3.11あの直後、僕自身も白紙をテーマにした作品を踊った。タブラ・ラサ(白紙還元)というタイトルのダンスだった。

白紙に還ること。いったん何もかも捨てて、やり直すこと。
それはあの時ならずとも、生の一瞬一瞬に誠実であろうとするならば、時には必要になることなんじゃないかしら。

画家が一作一作、真っ白な白紙にじっと向き合うことから始めてゆくように、白紙の感覚は、どんな人生にも必要と思えてならない。

降り積もる出来事や経験は自分を豊かにしてくれるけれど、反面、知らず知らず出来上がる価値観は自分の行動や考えを硬く縛りつけて希望を狭くしてしまったり、あるべき道を閉ざしてしまう事もあるから、、、。
だから時には思い切って真っ白な白紙に向き合うような時間を、自ら用意しないといけないと思う。いつだって新しい出発をすることが出来る、そのために人間には考える力やイマジネーションの力があるのだから。

白紙は不安だけれど自由であるという事だ。何が起きるかわからない、というのは、何だって起こせるということだ。

そういえば、レッスンでも、しばしば僕は白紙というイマジネーションを使う。

アタマをからっぽにして動き続けてゆくと、音楽や言葉をスッと受け止められる状態になる。いままで自分になかったリズムやイマジネーションと一体になれる。

踊るとき、わっと激しい動きを入れたりするのも、身体だけに意識を絞って思いや考えを削ぎ落とすためだ。真っ白になれば、思いがけない力が、湧いてくる。

そういえば、いまさっき、出雲大社の大遷宮のニュースが流れていた。
今年は伊勢遷宮もある。
神様だって、たまに全て新しく真っ白になるのだ。

白紙は希望である。

この一言から、大切にしたい事を確かめることが出来たみたい。
ちょっとスッキリしている。

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