今週は九州各地でパウロ秋元牧師の聖会がもたれ、大変祝福されました。
ノンクリスチャンの最後の審判、またクリスチャンのさばきがあることが聖書から語られ、また、主を信じる者が与えられる御霊の体がどのようなものであるかが語られました。
というのは、だれも、すでに据えられている土台のほかに、ほかの物を
据えることはできないからです。その土台とはイエス・キリストです。
もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、
各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするからです。
というのは、その日は火とともに現れ、この火がその力で各人の働きの真価を
ためすからです。もし、だれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。
もし、だれかの建てた建物が焼ければ、その人は損害を受けますが、自分自身は、
火の中をくぐるようにして助かります。 コリント人への手紙第一、3章11~15節