世界のどこかで起きていること。

日本人の日常生活からは想像できない世界を垣間見たときに記しています(本棚11)。

宗教は“平和”を目指しているはずなのに・・・

2025-01-01 14:47:09 | 日記
もう一つ、宗教と平和に関する話題を。
仏教の僧侶が書いた宗教論を紹介します。

宗教は平和や寛容を求めるものであり、
宗教そのものが戦争を支持しているわけではない。

ただ、一神教には国民を一致団結させやすい特徴があり、
それがその時代の政治家に利用されてしまう。

それを未然に防止する方法として、
ふだんから宗教間で情報交換をし、理解を深めるシステムが役に立つと思われ、
現在稼働中である、とのことです。

▢ 滅ぼし滅ぼされの歴史は日本にも…慈悲と寛容と平和を“宗教”が国家対立の中で暴走するワケウクライナ戦争やイスラエル・パレスチナ紛争の泥沼化の根本問題
鵜飼 秀徳:浄土宗僧侶/ジャーナリスト
2024.12.24:PRESIDENT Online)より一部抜粋(下線は私が引きました);

▶ 2024年は戦争拡大の年 背景にある「宗教」
この1年は、世界が戦争拡大への不安に包まれた年であった。イスラエルによるパレスチナ侵攻が続き、ウクライナ戦争は泥沼の様相を呈している。そこに宗教が密接に絡み合い、問題を複雑化させている。
本来、宗教とは平和や慈悲を希求するもの。進んで殺戮を仕掛けるような教えはない。だが、有史以来、宗教の名の下に戦争の惨禍が止むことはない。なぜ、宗教が戦争を引き起こすのか。その構造を解きほぐす必要がありそうだ。

▶ 宗教戦争の歴史は古くて、長い。
11世紀末以降に展開され、キリスト教勢力によるイスラム教の聖地エルサレム奪還を目的にした「十字軍の遠征」は有名だ。16世紀の宗教改革では、カトリックとプロテスタントが対立。キリスト教同士で大規模な宗教戦争に発展した。

▶ 日本国内の宗教対立の歴史
わが国に目を転じれば、6世紀の仏教導入をめぐる争いは、神道側が反発した図式である。この内戦こそ、わが国における、宗教戦争の最初であった。つまり、仏教受容をめぐる争いは宗教的な論争にとどまらず、政治的な権力闘争へと発展したのである。仏教を国教に取り込み、仏教の力で国を収めようとする権力に対し、古来からの神の世界を守ろうとする権力とが対峙した。最終的には587年の丁未ていびの乱へと発展する。
丁未の乱では、朝廷における政治的な最高権力者である蘇我馬子と、祭祀の最高権力者の物部守屋が交戦した。聖徳太子(厩戸皇子)は蘇我勢に加わり、最終決戦の前夜に白膠木ぬるでで四天王像を彫り上げ、「この戦いに勝った暁には、四天王を祀る寺を建てることをお約束します」と発願し、結果、蘇我氏が勝利した。あえなく物部氏は滅ぼされ、仏教がわが国に根を下ろした。
時はくだって17世紀の島原の乱でも、宗教戦争の様相を呈した。構造としては、幕府が日本人を皆仏教徒にする政策「寺請制度」を敷く中で、キリスト教の弾圧を目的にした戦いが繰り広げられた。結果は、幕府軍が勝利し、鎖国政策の強化とキリスト教の徹底排除へと舵を切っていく。

▶ 聖地エルサレムを巡る衝突
現在、世界情勢を左右する戦争は主に2つ。
ひとつは長年、武力衝突を繰り返してきたパレスチナとイスラエルとの戦いであり、もうひとつは2022年以降のロシアとウクライナの戦争だ。いずれも土地や権益を巡る争いであり、宗教自体が戦争の引き金になっているわけではない。しかし、そこに宗教が入ることで、争いを複雑化させている。
まずパレスチナ問題。パレスチナには、世界を代表する宗教の聖地エルサレムがある。イスラム教、ユダヤ教、キリスト教、この3つの宗教の信者にとってエルサレムは、かけがえのない聖地である。
イスラム教にとっての聖地とは、ムハンマドが昇天したと伝えられる場所に建つ「岩のドーム」。メッカ、メディナに次ぐ第3の聖地としての位置付けである。
ユダヤ教は、かつての神殿の一部であった「嘆きの壁」が、世界最大の聖地になっている。神殿には「モーセの十戒」が刻まれた石板が収められた「契約の櫃」があったとされるが、紀元前にローマ軍によって神殿が破壊された。
キリスト教にとっては、イエスが十字架に架けられ、処刑された場所に建てた聖墳墓教会がある。
この地域の歴史を紐解くと2000年前、パレスチナはユダヤ人の王国であった。それがローマ帝国に滅ぼされると各地に逃れた。のちにパレスチナにはアラブ人が暮らすようになる。ユダヤ王国に生まれたイエスは、神の福音を伝えるために宗教活動を始める。だが、ユダヤ人聖職者らによって処刑されてしまう。
イエスの死後、教えはヨーロッパに広がっていく。だが、イエスの処刑を恨む人々によってユダヤ人への迫害が起きる。19世紀末になってパレスチナにユダヤ国家を建設しようとするシオニズム(祖国復帰)運動が展開される。
ユダヤ人はさまざまな迫害の歴史を経て、第二次世界大戦後、この地に国家を樹立した。それがイスラエルである。だが今度はアラブ人が反発し、泥沼の中東戦争へと発展。1993年のオスロ合意に基づき、ヨルダン川西岸とガザでのパレスチナ自治が始まった。
だが、双方の武力衝突は止むことはなく、現在、イスラエルとパレスチナ武装組織ハマスの間で報復の連鎖が続いている。この紛争は、聖地の支配権を巡る宗教的な対立と、民族的な怨嗟、欧米を中心とする第三国の思惑などが、複雑に絡み合う構造になっている。

▶ ロシアとウクライナの対立を複雑化させるウクライナ内の宗教間対立
ウクライナ戦争も、宗教対立の要素も多分に含んでいる。ウクライナとロシアの国教は同じキリスト教のグループ、正教会同士である。正教会は1国に1つの教団を置くことを原則にしている。
ソ連時代には共産主義による無神化が広がっていく。迫害にさらされたロシア正教会だが、ソ連崩壊後には蘇った。現在、ロシア人の7割強が入信していると言われ、事実上の国教となっている。プーチン大統領もロシア正教会の敬虔な信者である
他方、ウクライナの宗教構造は複雑だ。大きく分けるとウクライナ正教およびカトリック教の勢力が強い。ウクライナにおける正教会は、ロシア正教会からの独立を目指してきた歴史があり、現在は3つに分裂している
ウクライナ大使館によれば、ひとつはプーチン政権に近いロシア正教会モスクワ聖庁の権威を認めるウクライナ正教会。2つ目は、そこから独立し、ウクライナ政府を後ろ盾とするウクライナ正教会。さらに、ウクライナ独自のウクライナ自治独立正教会がある。両国の対立をより複雑なものにしている一側面として、ウクライナの中での宗教間対立がある

▶ 日本を含む多くの国家がアイデンティティ形成に宗教を利用
以上のように宗教と、国家のアイデンティティは密接に結びついている。宗教は、個人や集団のアイデンティティを形成するのに不可欠な要素だ。したがって、多くの国家が、アイデンティティ形成に宗教を利用してきた歴史があるのだ。
わが国の近代でも同様である。明治維新時、岩倉使節団が欧米の宗教視察を実施。キリスト教支配の国家構造を、取り入れようとし、結果的に国家神道体制がつくられた。これは、まさに国家が宗教的アイデンティティを利用した例であった。
ゆえに、ひとたび国家同士が対立し始めると、宗教は暴走を始める。多くの宗教は、自らの教えを絶対的真理と考える傾向があるため、対立構造の中では妥協を許さない
普段は信者らに「寛容」を求める宗教が、一転して他の集団に対する「不寛容」の連鎖となって熱狂をつくる。そこに政治的指導者たちによる権力の保持や、富の獲得などの思惑も入り込み、人々は戦争を正当化しだす。
しかし、宗教そのものが戦争を引き起こすわけでは決してない。これまで述べてきたように、あくまでも領土や資源といった経済的利益の追求や、個々の権力者の欲望の実現、特定のイデオロギーをもつ集団の熱狂などが戦争の根源である。むしろ、宗教は戦争の口実として利用されてきたと言える。

▶ 宗教を利用することを抑制する仕組み
したがって、「慈悲」「寛容」「平和の実現」「平等」といった宗教に通底する理念を、政治利用されない仕組みづくりが必要になる。翻って、宗教の本質に立ち返りさえすれば、紛争の解決への道を見出せる、ともいえる。
そのためには、異なる宗教間の国際対話の場がとても重要になってくる。相互理解を深めるとともに、宗教指導者や政治家が宗教を利用することを抑制する仕組みを構築しなければならない。
宗教間の国際対話の場としては、世界宗教者平和会議(WCRP)がある。これは1970年に京都で発足した世界最大の諸宗教間対話組織である。この会議は、宗教を超えた対話を促進し、平和のための宗教協力を目的にしている。2024年7月には国際会合が広島で開催された。だが、世間一般でWCRPの存在はほとんど知られていない。認知度を高めていく努力が必要だ。
宗教戦争の歴史は長く、その原因や構造を理解することは難しい。しかし、先にも述べたが宗教の本質的な教えに立ち返れば、平和的共存の道を見出すことができるはず。宗教が持つ平和と慈悲の精神を活かす、新たな仕組みづくりが求められる。

ユダヤ教・キリスト教・イスラム教・・・同じ神様を信仰しているのになぜ争うのだろう?

2025-01-01 10:41:51 | 日記
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が信仰する唯一絶対の神は共通している・・・
今から10年ほど前に知りました。

それなのに、なぜ争うのだろう?
血を血で洗うような戦争をするのだろう?

という素朴な疑問も持ってきました。
池上さんが答えている記事が目に留まり、読んでみました。
なんと、
「同じ神を信仰しているから争う」
という論理です。

▢ 池上彰「中東情勢を理解する第一歩」…エルサレムがユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地になった理由なぜ同じ神を信じながら、長い間対立が続いているのか
2024.12.25:PRESIDENT Online)より一部抜粋(下線は私が引きました);

中東では、ガザ・イスラエル紛争やイランのミサイル発射、シリアのアサド政権の崩壊など不安定な情勢が続いている。ジャーナリストの池上彰さんは「ユダヤ教とキリスト教、イスラム教は同じ神様を信じているため、それぞれにとっての聖地も同じイスラエルのエルサレム旧市街にある。このことが衝突の原因にもなっている」という――。

▶ 神=ヤハウェ=ゴッド=アッラー
中東を扱うときに必ず登場するキーワードが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の一神教です。いずれも一神教ということは、この世界をお創りになった唯一絶対の神様を信じているということ。要は同じ神様を信じているのです。
ヘブライ語ではヤハウェ、英語ではゴッド、アラビア語ではアッラーと呼ばれています。それなのに、なぜ対立しているのか。基礎から考えましょう。
まずユダヤ教は、唯一神(ヤハウェ)を信仰し、自分たちだけが神から救われると信じる宗教です。そこでユダヤ人の民族宗教とも呼ばれます。
ユダヤ教徒は、過去にエジプトで奴隷になるなど、数々の悲惨な体験をしてきました。これは、神のいいつけを守らなかったために神の怒りを買ったからだと考えます。過去に試練を受けたのは神への信仰が足りなかったというわけです。

▶ 「1週間=7日」の根拠は聖書にある
ユダヤ人たちは、紀元前12世紀頃から「神に与えられた地」とされるカナンに住み着いたと考えられています。彼らは、神がどのように世界を創造したのかなどが書かれたヘブライ語の聖書を信仰しました。
ユダヤ教徒でもキリスト教徒でもない私は、まだ人間が誕生する前のことなのに、どうして聖書に天地創造が書かれているのだと突っ込みを入れたくなりますが、これは霊感を得た人間が、神の教えにもとづいて記述したと考えられているのです。
聖書には神は6日間かけて世界を創り、7日目に休まれたと書いてあります。これが「1週間」の始まりです。私たちは7日間を1週間として生活しています。これはユダヤ教とキリスト教の生活リズムが、明治以降に日本に入ってきたからなのです。

▶ 火も電気も使えなくなる「安息日」
ユダヤ教徒は聖書に書かれた戒律を守ることが求められ、とりわけ「安息日シャバット)」を守ることは大切です。安息日には仕事をしてはいけないとされ、これは具体的には火も電気も使ってはならないという意味になります。
ユダヤ教の安息日は金曜の日没から土曜の日没まで。この間、火も電気も使えないので、各家庭は金曜の午後は、土曜の夜までの食事の作り置きに追われます。
電気を使ってはいけないのですが、あらかじめタイマーをセットしておいて、金曜の夜になると部屋に電気が点灯するようにしておくことは構いません。しかし、エレベーターに乗って行き先階のボタンを押すと、新たに電気が流れますから、これはご法度。そこでホテルやアパートでは、エレベーターの一つが「シャバット・エレベーター」に変身。利用者は、エレベーターが自動で一階ずつ止まりながら上下するのに合わせて乗り降りするのです。

▶ パレスチナ生まれの改革者・イエス
いまから2000年ほど前、現在のパレスチナにイエスという人物がマリアから生まれたと伝えられています。イエスは、ユダヤ教がユダヤ人だけのための宗教で、厳しい戒律を守ることが求められていたことに対して改革運動を始めます。このためユダヤ人のボスに睨まれ、ローマ帝国に引き渡され、イエスの改革が反ローマ帝国の運動に発展することを恐れたローマ帝国によって十字架にかけられ処刑されてしまいます。
ところが、イエスが処刑されて3日後、イエスが復活し、信者たちの前に現れて説教をした上で昇天したという話が広がりますと、「イエスこそが救世主だったのでは」と信じる人が出てきます
ユダヤ教にはメシア(救世主)信仰があります。いまは苦難に満ちた人生であっても、いずれメシアが降臨して人々を救済してくれるという信仰です。イエスをメシア(ギリシャ語でキリスト)ではないかと考える人たちが、やがてキリスト教徒と呼ばれるようになるのです。
それまで土曜日がユダヤ教の安息日だったことから、キリスト教徒たちは、日曜日を新たに安息日としました。

▶ イスラム教の「預言者」はムハンマド
イエスが処刑された後、使徒(弟子)たちはキリスト教を布教しながら、教えを集大成。『新約聖書』が編纂されます。「マタイによる福音書」や「ルカによる福音書」など4つの福音書を中心に構成されています。
キリスト教徒たちは、イエスが地上に遣わされたことにより、神との新しい契約を結んだと考えます。それが『新約聖書』。新約は新訳ではなく、「神との新しい契約」という意味です。それまでの聖書は、「神との古い契約」として『旧約聖書』と呼びました
もちろんユダヤ教徒は、自らの信仰の対象を旧約などと呼ぶことはなく、あくまで『聖書』(律法の書)と呼んでいます。
また、いまから1400年ほど前、アラビア半島のメッカに住んでいた商人のムハンマドが、「神の言葉を聞いた」として神の言葉を人々に伝えます。ムハンマドは神の言葉を預かったとして「預言者」と呼ばれます
ムハンマドは読み書きができなかったため、「神の言葉」を人々に口伝えで伝え、人々もそれを暗唱していました。
しかし、ムハンマドの死後、「神の言葉」を暗唱していた人たちが次第に姿を消すことから、神の言葉を残そうとして、信者たちが暗唱していた内容をまとめたものが『コーラン』です。

▶ 異教徒を攻撃するイスラム過激派の理屈
私の学生時代は『コーラン』と習いましたが、いまの高校の教科書には、なるべく現地の発音に近づけようと『クルアーン』と表記されています。この書名は「声に出して読むべきもの」という意味で、黙読ではなく声に出して読まなければならないのです。
ユダヤ教は土曜日を安息日、キリスト教は日曜日を安息日としていたので、イスラム教は金曜日を安息日としました
『コーラン』によると、神(アッラー)は、ユダヤ教徒に『旧約聖書』を、キリスト教徒に『新約聖書』を与えたにもかかわらず、人々は教えを曲解したり、戒律を守らなかったりしているので、最後の預言者としてムハンマドを選び、神の言葉を伝えたとされています。ですので、ユダヤ教徒もキリスト教徒も同じ神の言葉を信じる「啓典の民」として扱わなければならないと書いてあります。
イスラム過激派がユダヤ教徒やキリスト教徒を攻撃したりしていますが、『コーラン』には、ユダヤ教徒もキリスト教徒も大切にしなければならないと記述されているのです。
イスラム過激派は、ユダヤ教徒やキリスト教徒が「神の教えを逸脱している」「イスラム教徒を攻撃してくるので、教えを守る聖戦(ジハード)を戦っているのだ」という理屈を立てているのです。

▶ エルサレムには3宗教の聖地が集中する
では、そもそもエルサレムは、なぜ3つの宗教の聖地なのでしょうか。ここにはユダヤ教徒の「嘆きの壁」と、キリスト教徒の「聖墳墓教会」、イスラム教徒の「岩のドーム」という聖地が集中しているからです。
ユダヤ教の聖書の中にユダヤ人の祖先であるとされるアブラハムが神から試される話があります。
敬虔なアブラハムの信仰心を試そうと、神は、息子のイサクを生贄として捧げるように求めます。アブラハムは命令に従い、丘の上に登り、イサクを岩に横たえて殺そうとした瞬間、神はアブラハムの忠誠心を確認して制止したというのです。
このときアブラハムは、岩の陰にいた羊を代わりに神に捧げました。そこから「犠牲の子羊」という言葉が生まれました。
その後、アブラハムが神の声を聞いたという岩を中心に、紀元前1000年頃、古代イスラエル国家を統一したダビデ王が神殿を建設しました。いったんはバビロニアによって神殿が破壊されますが、ユダヤ人たちは同じ場所に神殿を再建します。

▶ 一度追放され、戻ってきたユダヤ人の嘆き
その後、ユダヤ教の改革を進めていたイエスが神殿にやってきて布教を始めたために逮捕され、十字架にかけられて殺害されます。イエスの弟子たちは、イエスこそ救世主(キリスト)だと考え、墓があったとされる場所の上に聖墳墓教会を建設します。これがキリスト教徒にとっての聖地となります。
その後、ユダヤ人たちはローマ帝国からの独立を求めて戦争となりますが、このユダヤ戦争に敗れ、ローマ帝国によって神殿は破壊され、ユダヤ人たちは追放されてしまいます
やがてエルサレムに戻ってきたユダヤ人たちは、廃墟となった神殿のうち残された西の壁に対して祈りを捧げるようになりました。この西壁が「嘆きの壁」と呼ばれます
ユダヤ人たちが、自らの過酷な歴史を嘆いて祈りを捧げるので「嘆きの壁」と呼ばれるようになったとか、朝になると夜露に濡れている壁が、まるでユダヤ人のために泣いているように見えるので、この名がついたなど壁の名前の由来には諸説あります。

▶ 「この岩からムハンマドが天に昇った」
次にイスラム教です。イエスが処刑されてから540年ほど後、アラビア半島のメッカで生まれたムハンマドは「神の声を聞いた」として「神の言葉」を広めます。これが『コーラン』にまとめられました。
さらにムハンマドの言行録が『ハディース伝承)』としてまとめられます。
この『コーラン』と『ハディース』の中に、ムハンマドがメッカにいたある夜、天使に付き添われ、天馬に乗って「遠くの町」まで行き、そこから天に昇って神や預言者たちに会い、再び地上に戻ってきたという記述があります。この「遠い町」がエルサレムだと考えられるようになりました。
エルサレムの神殿が破壊された後、アブラハムが我が子イサクを横たえたとされる岩は、剥き出しのままになっていました。ムハンマドは、メッカからエルサレムまで空を飛んできて、この岩に降り立ち、ここから天に昇ったと考えられるようになります。

▶ 「岩のドーム」がイスラム教徒の聖地に
ユダヤ教の神殿が破壊された後、ユダヤ人たちは追い出され、世界各地に離散。エルサレムにはイスラム教徒たちが住むようになります。イスラム教徒たちは、岩が風雨にさらされて崩れるのを恐れ、岩を覆うドームを建設。692年に完成し、ドームには金箔が貼られました。これが「岩のドーム」です。
ここは聖なる岩を保護する建物であり、祈りの対象ではありません。イスラム教徒たちがメッカの方角に向かって祈りを捧げるモスクは、岩のドームの近くに建設されました。それが「アル・アクサモスク(遠い町のモスク)」です。「遠い町」とはメッカから見たエルサレムの表現です。
その結果、ユダヤ教徒にとって聖なる場所である神殿の丘(神殿の跡)が、イスラム教徒にとっての聖地にもなっているのです。

▶ 歴史が利用され、現在も争いが止まらない
現在は、神殿の丘はイスラム教徒が管理し、嘆きの壁はユダヤ人が管理しています。一般の観光客は時間を限って神殿の丘に上がることが認められていますが、ユダヤ人たちが上がると紛争になるため、境界はイスラム教徒とイスラエルのボーダーポリス(境界警察)によって共同警備され、ユダヤ人が立ち入らないようにしています。異なる宗教を信じる人たちが共存するための知恵です。
しかし時々、ユダヤ原理主義の政治家が神殿の丘に上がってお祈りをしようとするため、イスラム教徒との間で小競り合いが起きることがあります。
この3つの宗教の聖地がある地区がエルサレム旧市街(東エルサレム)です。同じ神様を信じているがゆえに聖地も同じなのです。
そして11世紀末からローマ教皇は、イスラム教徒によって占領されたエルサレムを取り戻すとして十字軍を組織してエルサレムを攻撃します。イスラム教徒にとっては、突然十字軍の名のもとにキリスト教徒の軍隊の攻撃を受けたという歴史の記憶が残ります。
これを利用して、イスラム過激派は、欧米諸国を「新しい十字軍」と決めつけてテロなどの攻撃をすることがあるのです。


・・・ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地が同じ土地にある理由は、
同じ神を信仰しているから、とのこと、合点がいきました。

何かにつけて小競り合いから大きな争いまで発生する様子を見ていると、壮大な“宗派争い”と言い換えができるかもしれません。
それにしても、イエスは宗教改革者だったとは・・・。