ETV特集▽らいは不治にあらず~ハンセン病 隔離に抗(あらが)った医師の記録
(2016年4月23日:NHK)
ハンセン病(ふるくは“らい病”)は古来、日本のみならず世界中で差別の対象でした。
日本では山道にさえ、らい病者専用のものがあったと読んだことがあります。
映画「」もらい病を扱った内容ですね。
医師・小笠原登はらい病の診療に一生を捧げました。
実家はお寺で、そこにらい病者が集まった経緯もあり、この病気を何とかしたいという気持ちが強く育ちました。
医師になり、らい病の伝染力は低く治療可能な感染症であることがわかっても、らい病患者への偏見は強く隔離政策が推し進められました。
らい病を診療する小笠原医師自身も差別の対象となり、働く場所がなくなっていきます。
一方、らい病患者の隔離政策を進めた医師は、時の岸首相から表彰される厚遇を受けました。
悲しい歴史です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/b7/938aa4da28f1e87ef5a9105d1e2878c2.png)
<番組内容>
ハンセン病患者の隔離を定めた「らい予防法」の廃止から20年がたつ。多くの患者を苦しめた「絶対隔離」という誤った政策。その闇を検証する上で重要な資料が最近見つかった。元京大医学部助教授・小笠原登の日記や書簡である。小笠原は「らい菌は伝染性が弱く治療も可能」との信念から国の隔離政策に異を唱え独自の治療実践を行っていた。なぜ小笠原の説は主流にならなかったのか。発見された文書や関係者の証言を基に検証する。
(2016年4月23日:NHK)
ハンセン病(ふるくは“らい病”)は古来、日本のみならず世界中で差別の対象でした。
日本では山道にさえ、らい病者専用のものがあったと読んだことがあります。
映画「」もらい病を扱った内容ですね。
医師・小笠原登はらい病の診療に一生を捧げました。
実家はお寺で、そこにらい病者が集まった経緯もあり、この病気を何とかしたいという気持ちが強く育ちました。
医師になり、らい病の伝染力は低く治療可能な感染症であることがわかっても、らい病患者への偏見は強く隔離政策が推し進められました。
らい病を診療する小笠原医師自身も差別の対象となり、働く場所がなくなっていきます。
一方、らい病患者の隔離政策を進めた医師は、時の岸首相から表彰される厚遇を受けました。
悲しい歴史です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/b7/938aa4da28f1e87ef5a9105d1e2878c2.png)
<番組内容>
ハンセン病患者の隔離を定めた「らい予防法」の廃止から20年がたつ。多くの患者を苦しめた「絶対隔離」という誤った政策。その闇を検証する上で重要な資料が最近見つかった。元京大医学部助教授・小笠原登の日記や書簡である。小笠原は「らい菌は伝染性が弱く治療も可能」との信念から国の隔離政策に異を唱え独自の治療実践を行っていた。なぜ小笠原の説は主流にならなかったのか。発見された文書や関係者の証言を基に検証する。
この機に再放送してほしいです。