実際の話。
全開で走った後、走りを思い出そうとしてもあまり覚えていません。
走っている時は忘我というのでしょうか。
走っていると刻々と変わってきます。
例えば、ミスなくコーナーを抜けるほどスピードが増してくるというか‥。
これを僕はぱよえ~ん走りと言っていました。
(パズルゲームぷよぷよでは連鎖時にばよえ~ん!と連鎖して高得点が狙える。僕には「ば」ではなく「ぱ」に聞こえる。)
ミスなくコーナーをクリアしていけばいくほど、いつものコーナーではなくなってしまう感覚。
忘我の時、僕の体はその変化に歓喜の中で全力対応しているのかもしれない。
このような感覚は走っていかないと見えてこない感覚なので、こういった感覚は非日常なのでこれに陶酔力があるのかもしれない。
あと、オリンピックの柔道を見ていて思ったのですが、“体が勝手に動くようにしておく”というのもデメリットの雰囲気を感じました。
ある条件に対応するように体が勝手に反応するように練習していても、それが100%じゃなかったら。
ということです。
80%で体に動きを記憶させてしまっていたら、気持ちは入り込んでいてもパフォーマンスは80%かもしれないのです。
僕の走りに例えると、例え忘我状態で走れていたとしてもそれが大した走りじゃないかもしれない。
そこから頭文字Dを観察すると、碓氷峠のマコちゃんはパートナーのサユキちゃんに客観的にその時の走りのレベルを見てもらっていたのかもしれない。トレーナー的な感じで。
僕はパートナーがいなかったので、普段は自分の走りを疑うようにしていました。
走りが上手くいった時は、疑うとか楽しいとかそういった感情はなかったかと思います。
「安全」と「速く」という言葉を頭のなかに留めておくようにしていて、そして、タイミングに集中していたかもしれません。
正直なところ全開時は雰囲気のような感じだけで詳細は覚えていないのです。