週末、見たことのないラベルの
ビールを飲みました。
Orionビールが出した
那覇市市政100周年記念ラベルです。
それは見たことがないわけですね。
それにしても100周年とは
素晴らしい、というか想像もつかない。
100年前の1921年はどんな世の中だったのか。
少し調べてみました。
1921年は大正時代(大正10年)
1月に日本橋が開橋したのだそうです。
出張の際に通ったあの橋は
そんなに昔からあったのかぁと
今頃その重みを知ることになりました(^^;)
今の時代との差を感じてしまったのは
11月に起きた原敬首相の刺殺。
総理大臣が、しかも東京駅で・・・
当時の人たちにとっても
ショッキングな出来事であったに違いありません。
同じ月に皇太子(のちの昭和天皇)が
摂政になっています。
歴史の時間に習った「摂政」が
この時代にはまだあったのですね。
実はこの摂政が、
現在のところ日本最後の摂政。
日本最初の摂政が推古天皇の時の聖徳太子
日本最後の摂政が大正天皇の時の裕仁親王(のちの昭和天皇)です。
あまり明るい話題がない中で
テニスではデビス杯に初めて出場とありました。
デビス杯もとっても歴史があるんですね。
1900年に米英対抗戦として始まったものが
1904年以降は希望する国が予選に参加して
予選の勝者が前年度の優勝国と試合をする形式になったそうです。
初めて日本がデビス杯に出場した100年前。
なんと日本は準優勝しました。
それは100年前の主なニュースになるわけだ。
その当時の人たちは
まさか100年後の日本が
このような国になっていたとは想像もできなかったことでしょう。
これから100年後(2121年)。
どんな世の中になるのか。
人口推移の予測では2100年のものを見ることができます。
アメリカのワシントン大学は
2064年の97億人でピークを迎え
2100年には88億人くらいと見積もっています。
国連では2100年がピークで109億人くらいとしています。
ただ、その一方で
日本はその人口をどんどんと減らし
2100年には現在のおよそ半分6000万人になると
予測されています。
(諸説あり、7500万人程度とするものもあります。)
この数はおよそ第2次世界大戦前の水準です。
これだけ人が少なくなると
生活の仕方もずいぶん変わってくるのでしょうか。
この予測は出生率などを勘案して作成されています。
ウイルスで人間が淘汰されることがないことを
ただただ願うばかりです。