風の吹くまま、気の向くまま

日々感じたことや、疑問、悩み、アイデア等

死の瞬間(とても怖い話です)

2022年06月19日 | 日 記
※注意!

この話はタイトル通り、死の瞬間に感じたことが書かれています。

”死” について、あまり近づきたくないとか、死というものにあまり縁がないとか、そういった方は無理に読まないでください。

精神的に不安定な方は、一人で読まないでください。

こんなこと書くと嫌がられるかもしれないけど、
でも、身近に ”死”を感じてる人には どうしても伝えたかった。

これは、私が体験したことであって、その体験から 目前の死に逝く人に文字通り最期の最後にしてあげられることを書きました。






















--------以下本文--------------


それが起きる前 私の脈拍は32回/分で、時々不整脈に襲われる状況でした。2秒に1回しか脈がないところに不整脈があると4秒に1回になります。そしてそれは、起きるべくしておきました。

心臓の鼓動が停止する前に、心室細動が起きます。
 心臓が壊れたバイブレーターのようにぶるぶる震えます。


「もしかして、お迎えが来たのか? まさかな・・・・」
と、同時に不安感、全身が恐怖でガタガタと震えるような感覚。

 胸を右手の拳で強く叩く、1拍おいた後 乱れながらも脈が戻る。



いつもと違う、ほとんど止まりかけているかのよう、



 あれ? 2回・・・・・・3回・・・・不整脈じゃない!
すでに、3回動いてない・・・ 力が入らなくなってきている

 渾身の力を込めて、右手の拳で胸を強く叩こうとするが、腕を上げるところまでしか力は続かなかった。  だが、胸を叩くことには成功した。




 しかし、脈は戻らない。

(あぁっ これで終わりか、もう 腕を上げることが出来ない・・・・脳に血液が循環しなくなってもすぐには、脳の機能は停止しない。斬首による死刑囚の実験では、約7秒ほど瞬きを繰り返したという話があるが、それは、筋肉が反応しなくなるまでの時間だったことが今回わかった。だからといって、それを誰かに伝えることも出来ないか・・・・・まぁ やりたいことはやったし、自分なりにそのとき出来ることをしたし、・・・・ただ失敗の方が多かったが・・・・もう疲れたし・・・・・ようやく やすめる・・・・・・)

   ※括弧内は、そのとき考えていたことです





 心臓が止まり、指1本動かせなくなり、呼吸も止まり、そして次に来たのが、

 視界の異常。

 ボツッ    ボツッ    ボツッっと見えている世界が消えていく、
見えている世界が失われていく、

 気を失う時のブラックアウトではなく、KOされた時のホワイトアウトでもない。

    無に飲み込まれていく感じ。

今までに感じたことのないような喪失感。それと同時に 寒気。

 自分の身体が冷たくなっていく寒気、四肢の一部を壊疽により失ったことがある方は何となく想像できると思う。




※死の瞬間で一番怖くて心細いのがこの瞬間なのです。


 まるで魂が無に飲み込まれていくのと同時に肉体を失っていく感覚。

ここで私が皆に伝えたいことは、この一番怖くて心細いこのとき
まだ、聴力が残っていると言うこと。

 周りの音はだいぶ遠くへ行ってしまったのか、音も無に飲み込まれているのかは わからないが、とにかくまだ聞こえる!

 だからもし、目の前に死に逝く人がいた時 大きな声で言ってほしい
「私はここにいるよ! ずっと傍にいるから! もうすぐ暖かい光が見えてくるから!」

 多分 強く手を握りしめれば、そのぬくもりは伝わるはずだから、
両手でその人の手を包んであげて、

 どんどんと、視力が奪われ  気がつくと 

 自分以外に何も存在しない場所。

 光も闇も音も、   何もない   暖かさも冷たさも


後は、臨死体験でよく語られる世界  たいした違いはない。
 暖かな光が見えてきて、その光のトンネルを通ると 光に包まれた暖かくて、とても居心地が良さそうな世界。

 このことに関しては、生まれ出た時の原初の記憶であるとか言われているが、そうなのかもしれないし、そうでないかもしれない。

 最後にもう一度、心臓の鼓動が止まってもまだ意識はあるから

   ”手を握って 大きな声で話しかけて”   

  思想や信念に関係なく、本人は耐え難い孤独感に包まれているのだから、死んでしまいたいほどの不安感を感じているのだから。

ブログで感動の嵐

2007年11月15日 | 日 記
10月14日、私の情報商材を扱ったアフェリエイトブログ(詐欺商材情報と、アフィリエイト情報)で 事件が発生しました。


詐欺商材を追放をモットーに掲げたブログなので、嫌がらせは度々ありました。


そして、人気ブログランキングのアカウントが削除されるという事件が発生しました。


何者かによる、ランキングの不正操作による攻撃を受け IDを削除されてしまったのです。


そのことについて、ブログの中で、上記ランキングにメールを送って欲しいと協力をお願いしました。


こちら側には、攻撃を受けた証拠がないにもかかわらず、私を擁護するメールを ブログに訪れた人たちがしてくれたんです。


それも、その多くが ライバル達ですよ。
同じ情報商材を扱うライバルで、
同じランキングで戦うライバル達が、

 アカウントを復活させて欲しいとメールを送ってくれたんです。


こんなこと 現実世界にだってそうある事じゃないですよ。
ましてや、ネット上の見知らぬ相手に 

メールを送ってくれただけじゃなくて、
メッセンジャーで応援してくれたり・・・・


もう 涙腺ゆるみっぱなしです。


ちょうど1ヶ月前の事になりましたが、今でも、彼らとの交流は続いています。
そして、この時の事を 決して忘れる事はないでしょう。


    ”感 謝”

 彼らのためにも、良い情報を提供していきたい。
また、続けていく事で、力になれる事もある。

存在理由-8歳の娘を見ていて

2007年08月19日 | 日 記
最近娘がはまっているのが、「お手伝い」

この「お手伝い」のサービスを利用すると 娘が作った
スタンプカードにスタンプを押してもらえます。

カードがいっぱいになったら、景品がもらえます。

娘はお手伝いをしても、お小遣いをもらえるわけではあ
りません。私は娘に肩をもんでもらって、スタンプ押して
もらって、景品までもらえます。(ビー玉ですけど)



自己啓発等では、自分の存在理由を明確にします。
そして、自分は人に何を与えられるかを宣言します。

それらは誰かに決めてもらうことでも、教えてもらうことでもなくて、
自分で決めること。探すのではなく宣言することです。

例えば自分には人に与えられるモノなんて何もない、
そんな風に感じているとしたら
「私の存在理由は、相手に安らぎを与えることです」
というよう事でも良いでしょうし、決まりなんて無いのですから。

あなたが知っていることを、他の全ての人が知っているわけでは
ないですし、知っていたけど忘れてしまっている人だって沢山います。

ですから、誰もが情報提供者になることが出来ます。
(特にこのネットの世界では)

多くの人が、自分の大切な人の笑顔を見て幸せを感じることが出来ます。
しかし、天涯孤独で、大切な人なんていない。そういう人もいるでしょう。

もし、自分から誰かに 与えることが出来なかったら、ず~っと孤独かも知れないですね。誰かから、与えてもらうことを待っているだけでは。

ただ、「受け取る側よりも、与える側にいたい。」
そう思う人が多ければ、受け取る側にいることが すでに機会を与えて居る事にもなりますが。

哲学的な存在理由では、生きるための存在理由にはなりません。
ここで言う存在理由とは、幸せに生きる為の自分の立ち位置のことです。

これが決まると、生きることがとても楽になります。

自分の存在理由を決意された時点で、おそらく生きる目的も見えているはずです。

自分の立ち位置がわかって、目的が定められれば、そこには真っ直ぐな線が見えてきます。後は小さな目標を定めて進むだけ。

疲れた時は好きなだけ休めばいいのです。
自分の人生なのだから。

いつか、こういう話を娘にしてあげたいな。
いくつになったら、こういう話聞いてもらえるかな?

人間関係とか、自己啓発とか

2007年08月03日 | 日 記

相手に働きかける。与えるということ

 私は今アフィリエイトで生計を立てているのですが、アクセスアップの為と情報収集の為にコメントを書いていて、昔私が自己啓発のトレーナーをしていた時のことを思い出しました。


◎自分を変えると言うことは、自分を取り巻く環境に積極的に
働きかけること、そしてそれを継続すること。

これを参加者に体験してもらっていました。


自分自身を変えるということは、自分の意識を変えること。
自分の意識を変える為には、行動を変えることです。


そして多くの方が自分を変えたいと思う理由が、

・対人関係が思うようにいかない。
(もっと積極的に行動したい。自分の意志を思うように伝えられない。嫌いな人ばかり。相手が自分のことを理解してくれない。等々)
・もっと明るく生きたい。幸せになりたい。

要約するとこんな感じでした。


☆行動を変えるとはどういうコトか?

・相手に与えること、積極的に働きかけること。


セミナーでは、
「この会場の中で、一番怖いと思う人、普段なら絶対話しをすることがないと思われる人、 最低1人に話しかけて下さい。」
と言う指示を出します。

  それが出来なくて来てる方が多いのに。

 見ていると、ぶるぶる震えながら怖そうな人に近づく人や、話しかけることが出来て泣き出す人もいました。(私の一番の嬉しい瞬間!)
 それを見ている私も泣いています。

こういう体験を繰返すことによって、意識と行動を変えていきます。

 
 受け身で居るのではなく、積極的にまわりに働きかけることが成功者と呼ばれる人たちが目的を達成する為に続けてきたことです。

 環境に自分を合わせること、環境を自分に合わせること、両方が必要ですよ。私は楽して生きたい方なんで、人にあわせてもらってます。

 嫌いな人や意見が合わない人と話しをしないのは、自分の人生にとってとてももったいないことだと私は思っています。

 嫌いな人や意見が合わない人は、自分と価値観が違う所からくることが多いでしょ?

 だから、その人達の価値観を知ることが出来たら、より多くのことが見えてくるようになると思いませんか?

 その人達が理解できるようになると、人より多くの楽しみが増えるんですよ!

 食わず嫌いみたいなモンですよね?食べてみたらメッチャうまいジャンって。

 ブログとかのコメント書いていたら、積極的にコメントを書いて回っている方が居て、そして自分もコメントを書いて回っていて、そうするとコメント書いてもらった方が自分の所にコメントを返しに来てくれて、

 まぁ お約束的な所もありますが、それでも、自分の行動に対して結果が出ていることがとても面白く感じられて、知らない人とコミュニケートするのは新鮮です。

 いくつになっても楽しいことは沢山ありますよね。


ちょっとトリップ気味です

2007年07月23日 | インターネット
「2001年宇宙の旅」で

「降るような星だ・・・」といったクダリをふと、思い出した。


このインターネットの世界。

 わずか10年ちょっと前には、「インターネットは巨大なゴミ箱」
とまで言われていたのに、この変わりよう・・・


 目をつぶると、まるで情報が降り注いでくるような情景が頭に浮かぶ。

そして今は、情報が双方向で行き交っている。

スパムのようなメルマガにだって、意外な情報があったりする。

そして、今のネットの状況を空気か何かのように、当たり前のことと思っている若者達。

 こんなコトを書いていて、「随分と年寄りじみたことを」と思われるかも知れないが、
 パソコンというものはゲームをするモノ・仕事でシュミレーションをするモノ・物理計算をするモノ・一部の機械を制御するモノでしかなかったんですよ。

 そういいながら、今このネットの世界にどっぷりはまって、お金までもらっているわけですが、改めて 今のネットって凄いな~と感じ入りました。
 
 あなたは、ネットのことどう感じてます?
あって当たり前のことですか?