2024年の記録
6月にインドネシアに出張した時の記録
バイク修理屋に集まる若者。かつての日本でも、バイクショップには、若者がたむろしていた。今のバイクショップにいるのは、30年前の若者、つまりオヤジばかり。
広州・ジャカルタ直行便は、1日1便のため、土曜日の朝5時に広州のホテルを出発。ノービザで入国すると、入国した広州から出国しなくてはならない。インドネシア入国は、事前にe-VISA、e-CD(税関の電子申告)を済ませていたのでスムーズに。以前は、何かと“賄賂臭”が残る入国やビザ取得だったが、電子化で払拭された。電子化の副産物か、それとも“賄賂臭”の一掃が電子化の目的か?
チカランは、ジャカルタから1時間半ほどクルマで東に走ったところにある工業地帯。東京で例えると、かつての川崎、川口。現在だと、北関東ってことになるかな。
以前にも投宿しているホテルで、価格、設備には満足している。スタッフは、親切だけど、ちょっと抜けているというか、おっちょこちょいなところがある。15時すぎにチェックインしたのに部屋のクリーニングが終わってなくて、カフェのチケットを渡されるとか・・・・・・。
ホテルの前は、新しい道路が延び、中央分離帯にヤシの木、ちょいリゾート気分。
インドネシア、初ショット。カメラに写ったインドネシアの人は、みんなスマイル。「人は幸せだから笑うのではなく、笑っているから幸せなのだ。」
屋台を見ると、「インドネシアにいるんだなぁ」と。
「MASAKAN SUNDA=スンダ料理」、「OTAK=焼きかまぼこ」、見ての通りのフルーツ」、「BATAGOR BANDUNG=バンドンのバタゴール(豆腐と魚のすり身を混ぜて餃子の皮で包んだ揚げ物) CRISPY=サクサク」
世界一のムスリム人口を抱える国、10分も歩くことなくモスクを見つける。
大通りから横道に入ると、その土地ならではの空気が漂う。貧民窟ではないが、出稼ぎ労働者の仮住まいのアパートが連なる。
ダメもとで、おばちゃんに撮影の許可を求めると、意外にも快諾してくれた。
数分歩くとモスク。1日5回の祈りの場である、近くにないと、ね。
家族が身を寄せあって生活している。「仲が良いんだね。」というと、「違うよ、いつも一緒にいるから仲良しになるの。」
インドネシアは、総菜店、雑貨店のパパママショップ(家族経営の零細店)が、依然として主力。もちろんコンビニもあれば、チェーンストアもあるけどね。
この建物が、THE CAPITOL (=国会議事堂)。嘘だろ!
小綺麗なショッピングセンター。
グリーンのモスク。ムスリムにとって グリーンは、楽園とほぼ同義で、預言者ムハンマドのお気に入りの幸運と愛のシンボルのラッキーカラー。 そのためイスラム教国の国旗にはグリーンがしばしば使われている。
食堂の店員も、チョイコワ系のお兄さんもカメラを向けると、ほとんど条件反射的にポーズをとってくれる。
再び路地裏に入るとき、僕は、例えようのないドキドキを感じる。今まで、見たことのない世界に出会えるだろうか?ってね。
モスク、モスク、モスク、宗教が、生活の一部になっているインドネシアのイスラーム。
モスク前にいた敬虔なムスリムの親子、聞けば、彼は日系企業の従業員だった。
さまざまな果物が溢れる、南国のストリート。
【メモ】
インドネシアで生活していた期間は、1年にも満たないが、それまでの価値観への疑問をなげかけられるものだった。「昨日より今日、今日より明日」と日々改善・発展させることがあたりまえ。それゆえ、1年前と同じことをやっていることは、恥ずべきことだった。ところが、インドネシアの人たちは違った。「自分が貧しいのは、貧しい家に生まれたのだからしょうがない。」 それ以上も以下もなく、敬虔なムスリムであれば、来世は豊かな家に生まれられる。「そんなことだから国が発展せず、貧しいのだ。」と批判する人がいる。そもそも、何のために国を発展させ豊かになろうとするのか? 国民が幸せになるためだ。ところが、先進国の我々は、幸せだろうか?我々は「改善」、「発展」の呪縛に苛まれている。
インドネシアでの生活をサポートしてくれたのは、グランド・パパことSさん。物心ついた時からインドネシアに貢献することを夢見て、外国語大学のインドネシア語学科を卒業して、インドネシア駐在を条件に貿易商社に入社したものの任地はマレーシア。インドネシアに住み始めたのは、定年退職後。それから20余年、あいかわらず機関銃のように喋り、足腰もしっかりしている。(バイデン大統領よりはるかに元気) 変わったところは、アルコールをやめたこと。ムスリムのSさんは、非ムスリムとの会食では、「やむなく飲んでいる」といった建前で、飲んでいた。年齢のためか、ムスリムの家族の猛反発を喰らって、止めたとのこと。
僕はSさんのお陰で、間違いなく価値観の巾を広げることができた。Sさん宅に居候していた僕の息子は、インドネシアで何を学んだのだろうか?
旅は続く
過去記事は、
https://blog.goo.ne.jp/dandyzhen/0
最近は核家族が幅を利かせて、年寄りと一緒の子供が少なくなりました。
「一緒に居るから仲良くなる」
良い言葉ですね!🌸
インドネシアのオートバイは、自家用車の代わりなので、ふつうに3人、4人乗りで、通勤通学に使っています。
そんな彼らは、2、300キロ離れた故郷に帰省する時もオードバイ。熱帯の国で・・・。
ほんとうに仲良くなきゃ、途中で喧嘩になるのでは、と思うが、逆で、そのように身を寄せあって行動するので、仲良くなるのだ。
インドネシア人は、偉大だと思います!(笑)
改善改善 も大切ですが、今いる状況で
幸せを感じて生きる という事も大切なんでしょうね。
何かに追い掛けられながら あくせく働いているより
こういう良い顔しながら生きて行く事も
良い事ですよね。
東アジアの国は、どこも日本と同じく、日々改善があたりまえの価値観を共有していると思います。右肩上がりの社会では、それは、発展を下支えする大切な価値観だったと思います。しかし、人口が減少し、社会の成熟化、衰退期に入ると、どんなに頑張っても、成長が望めなくなり、とてつもない圧になり、笑顔が消え、不幸せな社会になるような気がします。
衰退期に入った日本人には、インドネシア人に学ぶべきところがあるのかもしれませんね。