Being on the Road 2

日常の中に旅があり、旅の中に日常がある。僕たちは、旅の途上。
Being on the Roadから順次移行開始

アジアの街角から/広州

2024年07月20日 | 旅行

2024年の記録

6月に中国からASEANに出張した時の記録

 

 

広州の中心軸である珠江ニュータウンにある中国農業銀行。背後に広州で最も高いビルのチャウタイフックセンターが建つ。

 

 

羽田から広州~ジャカルタ~バンコク~ホーチミン~羽田へと、ほぼ3日ごとに越境する。移動が休憩時間から疲労源に。ジジイになっちまったんだなぁ~。

 

 

如何にも中国的な金ピカの成金感マル出しの高層ビル。行き交うクルマの数も少なく、不景気感が溢れる。

 

 

中国では、圧倒的に愛飲される王老吉(ワンラオチー)。

王老吉は、仙草、インドソケイ、破布葉 、菊、スイカズラ、ウツボグサ、リコリスといった草のエキスが入った涼茶の漢方ドリンク。飲みやすくするための白砂糖を大量に使っているので、“健康的” であるかは、?

写真背景のタワーは、広州塔(広州タワー)。

 

 

【メモ】

広州へ来たのは、5年ぶりの「好久没見(お久しぶり)」

空港には、30年以上前からお世話になっているYさんが、待っていてくれた。

Yさんは、栃木の田舎町で生まれ、“金の卵”として上京し、製缶工として働いた後に帰郷し、地元の鉄工所に就職。僕が20代の頃には、すでに専務として、僕の会社に出入りしていた。日本の製造業を支えた黄金世代である。その後、後継者不在の会社を買い取るも、元々経営者でないYさんは、会社を潰すことに。Yさん曰く、「あの頃は、慣れない経営の仕事で、完全にアル中だった。」 その後、インドネシア企業の工場に技術指導員として駐在。「インドネシアで良かった、技能職に戻れてよかっただけでなく、インドネシアなのでアルコールを断つことができた。もし、いきなり中国だったら今はない、死んでるだろうね。」 10年以上前から広州で仕事をしているものの60歳をすぎ、就労ビザを取得できなくなってからは、出張ベースで、日中半々の生活を続けている。まだまだ元気で、僕と同じ速さで、スタスタと工場を歩く。ただ、パスポートの更新が1年後に迫る。すでに一番弟子はもちろん孫弟子も育っている。「70歳を越え、パスポートの更新を会社が認めてくれるか?」と、周囲は心配する。日本向け輸出ができる品質に中国工場を指導したYさんは、工場では、大袈裟でなく神様。そのYさんの存在は、僕にとっても心強い。もしかすると、Yさんと中国で会う最後になるかと思うと、凄くさびしい。

 

 

旅は続く

 

過去記事は、

https://blog.goo.ne.jp/dandyzhen/0

 


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/アラカルト

2024年07月17日 | 旅行

2024年の記録

3月になり、関東1都6県に新潟県、福島県に出張やら散策に出掛けたときと日々の記録

 

 

前衛的なイラストの看板

 

 

国内は関東、ほぼ日帰りなので、それなりに疲れる。(齢だなぁ~) 自分で運転することもあれば、部下の運転で、乗っているだけってこともあるが、居眠りすることなく、機関銃のように喋っている。(笑)

 

 

ネットで見つけた新しい取引先の所在地が、蕨市(ワラビスタン)。まったくの偶然に驚く。さすがに7年間暮らし、コロナ禍を過ごした街、懐かしい!

 

 

旧国分寺町の自宅に帰省したとき、「美味いさかなを食べに行こうか」ってことで、那珂湊に行った。前回は、味、価格とも大満足だったが、今回は、ハズレ。時期が悪かったのか、店が悪かったのかは、わからないが、高速代、ガソリン代を掛けるなら栃木の高級店に行った方が良い、といった残念な結論。ひたちなかにいる友人同行に限るのだが、なかなか割り勘とならないところが、ね。

 

 

那珂湊に隣接する阿字ヶ浦にあるのが、「ホシイモノ(欲しいもの)は総て手に入る」をご利益に掲げる「ほしいも神社」。干し芋全国日本一のPRを目的に県や市、観光協会が、令和元年新たに堀出神社の境内に建立した。金ピカなのは、成金趣味ではなく、干し芋の黄金色。

 

「神聖な宗教施設を何だと思っているんだ!」という正論もあるが、ここまで、ブン抜けると、許しても良い気持ちになる。

 

 

旧茨城交通(現ひたちなか海浜鉄道)阿字ヶ浦駅には、北海道の羽幌炭礦鉄道から茨城交通が購入した車両が留置されている。それだけならば、よくある鉄道車両保存なのだが、キハ222(ブルーとクリームのツートン車両)は、全国一位の気動車長寿車両、さらに無事故で運行を続けてきたことから「長寿」「無事故」「交通安全」のご利益がある「ひたちなか開運鉄道神社のご神体」となっている。阿字ヶ浦地区、神社と観光をどこまでコラボするのか。(笑)

 

 

金曜日に東京で役員報告、土曜日の午後、川崎で自主勉強会。以前ならば、東京で泊った方が、経済的にも良かったが、東京のホテル代高騰の昨今。東京よりリーズナブルな川崎のビジネスホテルに投宿。偶然にも、以前に訪問しているラ チッタデッラの近隣だった。

 

ラ チッタデッラは、初訪問時の新鮮さは薄れたが、魅力ある被写体。24時が近くなっても、周辺には、写真2枚目のようなアンニュイな若者がたむろしていた。

 

 

毎月のように新潟に出張している、それも別々の取引先に。一遍に、と行きたいところだが、取引先には、取引先の事情があり、思うようにならない。

 

上段は、4月末の関越道越後川口サービスエリア展望台から眺めた信濃川の蛇行。下段は、同じ展望台の7月初旬の眺め、田圃の緑が増えているのが分かる。

 

 

自宅は農家(米・麦)なので、コメ、野菜に恵まれている。長期的には、食糧危機。短期的には、コメや野菜の高騰の影響は、最小限で済んでいる。妻には、感謝しないと。

 

ピーマンやナスは、収穫期を迎えると、一気に収穫しないとならず、来る日も来る日もピーマン、ナス料理。豚肉とピーマン、ナスを味噌で味を調えゴマ油で炒めただけ、いわゆる“男の料理”。

 

 

玉葱、ジャガイモは、比較的日持ちするものの(発芽を抑制する)放射線をあてていないので、暗所で保存して、発芽に注意しなくてはならない。冷凍保存のニンジンと鶏肉を加えてチキンカレー。

 

 

【メモ】

先般の都知事選56人立候補は、自由や権利をはき違えているバカが、行政の想定を超えて増殖しているんだな、という残念な話だったが、アメリカ大統領選のドタバタにも落胆した。

 

僕が、まだ現役のアスリートの頃、オリンピック陸上競技のアメリカの代表選考は、全米選手権一発勝負だった。世界記録保持者であっても全米選手権で、3位以内に入れなければ、オリンピックには出場できない。一方、日本は、複数の選考会を経て、日本陸連の総合的な評価で出場者を決める。その理由について、僕のコーチは、「日本は、メダルを獲る戦略を立てないとメダルを狙えない。一方、アメリカは、誰もが納得する可視化された選考をするだけで、メダルを狙える人材が代表になる。それだけ、選手層が厚く、ハイレベルの人材に恵まれているのよ。」と教わった。

 

移民を受け入れ続け、先進国の中で、唯一人口の増加するアメリカ。僕の頭の中には、アメリカに「人財不足」といった言葉はないものと思っていた。ところが、大統領選に見るアメリカの凋落は、何を意味するのだろうか。

 

バイデン氏が、高齢で次期大統領選候補者として不適格なのは、誰の目にも明らかだ。ゼレンスキーウクライナ大統領を前にして、敵国のプーチン大統領と言い間違える。自身の腹心、ハリス副大統領のことをトランプ副大統領と言い間違える。前代未聞の失態だ。(ゼレンスキー大統領は、怒るどころか、あきれて苦笑い) 問題は、バイデン氏ではない。民主党にバイデン氏に代わる大統領候補がいないことだ。かつてのアメリカでは、考えられない人財不足だ。

 

人財不足は、共和党も同じで、何かと問題のあるトランプ氏以外に党内に彼に代わる候補者が現れないこと。バイデン氏は、81歳と高齢で、痴呆が疑われるが、トランプ氏だって78歳、元気ではあるが、クレージーだ。

 

蛇足になるが、銃規制に対して、否定的なトランプ氏が、共和党員に銃撃されたことは、何とも皮肉。銃撃直後にも拳をあげ、健在をアピールしたトランプ氏は、皮肉な形で強いアメリカをアピールした。

 

 

旅は続く

 

過去記事は、

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美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/下野探訪記 第17回

2024年07月13日 | 旅行

2024年の記録

旧日光市内の比較的マイナーな観光地散策の記録

 

 

日光の穴場観光地として、Zhenお薦めの憾満ヶ淵の化地蔵(ばけじぞう)

 

 

JR日光駅からほぼ国道沿いに社寺(東照宮、輪王寺、二荒山神社)、いろは坂、華厳の滝、中禅寺湖、竜頭の滝、戦場ヶ原・・・・と有名観光スポットが連なる。利便性の良い反面、一本道であるため多客期は、大渋滞になる。

 

 

旧日光市庁舎本館は、1919年(大正8年)に訪日外国人旅行者を対象とした「大名ホテル」として建築されたが、実際にはホテルとして営業したことはなく、古河電気工業社員寮、進駐軍ダンスホール、旧日光市役所本庁舎(木造最古の市庁舎)として利用された。登録有形文化財、近代化産業遺産、日光市指定景観重要建造物。

 

 

今回の散策で唯一のメジャー観光スポット・竜頭の滝。国道沿いに位置する。山桜やツツジの開花時期は、お手軽な映えスポットになる。

 

 

裏見の滝は、国道からクルマで5分ほど走ったところにある無料パーキングにクルマを停め、川沿いに5分ほど歩いたところにある。絶景といったところではないが、観光客も疎らで、渓流の撮影をするには良い。今回は、すべてスマホで撮影したものだが、三脚、一眼レフ、超広角レンズを担いで再訪するつもりだ。

 

 

トップ写真でも紹介した憾満ヶ淵と化地蔵。写真に見るように美しい苔に覆われている。大谷川から立ちのぼる水蒸気で、湿潤な環境が保たれるのだろう。

 

日光山慈雲寺の奥にある約70体の地蔵群は、数えるたびに数が違うことから「化け地蔵」と呼ばれている。

 

 

【メモ】

先日、ジャーナリストの友人を介して、長野県でインバウンドの観光産業に携わっている方とお話しした。国際的観光地・日光市在住者として、思ったところをメモする。

 

あらかじめお断りするが、こと観光について、僕はズブの素人。僕の見えないところで、日光市観光協会ほか関係者の奮闘、苦労はあると思う。以下記載は、一市民の肌感覚のコメントとして、ご容赦いただきたい。

 

昨今の活況なインバウンドの光と影の光を享受しているのが、旧日光市域(以下、「日光」と表記)だと思う。いわゆる“観光公害” や住民のアンチ・インバウンド感情は、抑えられている。なぜだろうか?

 

日光は、国内外に知名度のある超・有名観光地であったことだ。外国人に「日本のどこに住んでいるか?」を説明するとき、「栃木県」と答えても理解されないが、「日光」と答えれば、かなりの確率で、「知っている、行ってみたい」といった反応がある。知名度の高さは、最大の武器になっている。

 

むかしからの世界的な観光地ということでは、京都も同じだが、深刻な観光公害を抱える京都と大きく異なる点は、日光には観光しか産業がないことだ。僕の勤める企業グループ以外には、ほとんど鉱工業もなければ、農業もないのである。京都のようにインバウンドの“負”の直撃を受ける人が、極端に少ないことだ。

 

コロナ前のインバウンドの活況でない頃は、東武日光駅前から社寺群へ向かう道は、観光シーズンでさえ、平日は、シャッター通りだった。国内観光客はクルマでの来訪が多く、休日でも歩行者は疎らだった。そんな訳で、日光は過疎化が進み、観光で細々と暮らす人だけになっていた。今の日光には、残存者利益を享受した住民が多い。

 

インバウンド観光客は、圧倒的に平日に多く、しかも鉄道利用が多いため日光を歩き、多くの店舗に立ち寄る。(逆に国内観光客は、休日に集中して、クルマで来訪するため、駐車場周囲の“点”でしか店舗に立ち寄らない傾向が強い。) インバウンドが、観光業の繁閑差問題の解決になっている。

 

宿泊施設問題も他都市と比較すると少ない。なぜなら、日光の社寺観光を中心のインバウンド観光では、ホテルに空室がなかったり、バカ高い宿泊料を提示されたりすれば、ベースとしている東京に日帰りする選択肢があるからだ。(東京中心部から2時間強、社寺中心に訪問先を絞れば日帰圏) そのため、ホテルは、満室だが、異常な高値にはならないし、ホテルが増えることもない。

 

もちろん、休日、特に紅葉シーズンになると、道路は大渋滞するが、インバウンド活況以前からのこと。観光シーズンの休日しか営業できない観光業の衰退にストップを掛けた光の側面しか、僕の目には映らない。

 

 

旅は続く

 

過去記事は、

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美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/鉱都足尾・春物語 3

2024年07月07日 | 旅行

2024年の記録

G.W.の旧足尾町内散策の記録。

 

 

銅鉱石の採掘、製錬、その光と影の象徴でもある旧足尾製錬大煙突と緑化の進む山々。

 

 

居宅ある足尾駅前から北方。個人的な好き好みで記録を残しているので、観光地、史跡を網羅している訳ではない。例えば、重要文化財指定・日本最古の鋼橋梁の古河橋・・・・。

 

 

居宅前にある古河掛水倶楽部。

古河掛水倶楽部は、足尾銅山の隆盛期に貴賓客の接待や宿泊施設として利用されていた迎賓館である。大正初期に改築され、外観は洋風、内部は和洋、それぞれの様式を用いた2階建ての建造物で、鹿鳴館や古河庭園などを設計したジョサイア・コンドルの影響を受けている。(G.W.から11月までの土、日曜日、祝日のみ一般公開となる。)

 

僕が入社直後のハナタレ小僧の頃に足尾に出張したとき、掛水倶楽部で夕食と宿泊をした記憶がある。2006年(平成18年)に国の登録有形文化財に登録される以前のことだ。

 

 

古河掛水倶楽部に隣接する旧古河鉱業幹部社宅。映画のロケ地として、度々使用されている。

 

 

公害のイメージのある足尾だが、現在の足尾の空は、四季を通じて、驚くほど美しい。居宅から。

 

 

春から秋の観光シーズンになると、ディーゼル機関車に牽引されたトロッコ列車が、桐生・足尾間で運行される。(トロッコ型のディゼルカーは、終点の間藤まで運行。)

 

 

5月5日のこどもの日には、足尾駅に留置されているディーゼル機関車も走行する。

 

 

一般旅客営業区間は、JR足尾線時代から間藤駅までだったが、その先、足尾製錬所まで専用線が続いていた。現在、線路は、一部区間を残し、撤去された。

 

 

足尾銅山閉山後も輸入鉱石の製錬を続けていた旧古河鉱業足尾製錬所であったが、1989年(平成元年)操業を停止した。

これをうけ監督官庁の経済産業省から解体・撤去するよう指導を受けたが、その解体事業が本格化するのと同時期に、足尾銅山の世界遺産登録を目指す取り組みが動き始め、これを受ける形で日光市側は文化財としての価値を損ねないような保存を古河側に要請し、古河側は同製錬所のシンボル的な存在であったこの大煙突を含む11施設・機器を残すことにした。

大煙突の高さは48メートルあり遠目からでもその巨体を見る事ができる。施設内は(鉱山施設として扱われることから)鉱山保安法の制約を受けており、一般人の立ち入りが認められず、観光施設としては法整備を待つ段階にある。

 

 

“足尾のビバリーヒルズ”と呼ばれる上ノ平、急な坂道の上にあり、冬季の通行には、難儀しているが、居住者は意外に多い。住み心地が良いのだろうか?

上ノ平から本山方向を眺めると、既視感を覚えた。大内宿(福島県南会津郡下郷町)の光景だろうか?違う。南大夕張だろうか? 今から、30年以上むかし、大夕張炭山閉山直後に訪問した街だ。街全体を眺められる高台など、あったっけ? すべてが、曖昧な記憶の中でのこと。

 

 

【メモ】

まだ、梅雨の真っ只中のはずだが、連日の猛暑。幸い、足尾は、比較的冷涼、かつては、エアコン要らずと言われていたが、近年は、そうとも言っていられなくなった。暑さに滅法強いので、余程の暑さでないとエアコンを使わないのだが、家族、友人、部下から「エアコン、使って!」と警告された。まぁ、ありがたい話である。室温31℃、基準としている30℃オーバー、素直にエアコンをONにした。

 

 

旅は続く

 

過去記事は、

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美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/鉱都足尾・春物語 2

2024年07月02日 | 旅行

2024年の記録

G,W,前になると閉鎖されていた峠道が次々と開通、周辺の峠散策の記録。

 

 

鹿沼から古峰ヶ原峠を越えたところにある勝雲山駐車場から遠く山桜を眺める。

 

 

日光から細尾トンネルを抜け足尾を経由して群馬県旧大間々町へ至る国道122号線は、閉鎖されることがなく通年通行できる。

一方、粕尾峠、古峰ヶ原峠、金精峠は、冬季閉鎖となる。足尾から自宅のある旧国分寺町までは、粕尾峠を越えて行けば、1時間半弱だが、旧日光市、旧今市市を経由する冬季は、2時間近く要する。

 

 

鹿沼市街地から大芦川沿いに走り、古峰神社の大鳥居を抜けた先に古峰ヶ原峠がある。

県道草久足尾線は、よく整備されていて、粕尾峠までの道は走りやすい。

 

 

粕尾峠手前にある勝雲山駐車場には、桜が植えられ、小休止するには駐車スペースもあり、とても良い。

 

 

栃木の山々にある鮮やかなツツジの花。

 

 

日足トンネルの足尾側の目立たないところに地蔵滝がある。この流れが、神子内川となり旧松木川と合流して、渡良瀬川となる。

 

 

奥日光を経由して群馬県沼田市に続くのが、金精道路であり、その頂点の金精峠は、冬季閉鎖となる。栃木県側、群馬県側ともに冬はスキーのメッカとなるだけの豪雪地帯である。

 

 

旧粟野町から思川に沿って県道鹿沼足尾線を走り粕尾峠に至るルートは、かなりのワインディングが続く。休日は、ワインディングを楽しみにきた通行者が多い。

 

 

粕尾峠から足尾方面の眺め。

夜間でない限り、夏季は、粕尾峠を越えて帰省する。

 

 

【メモ】

足尾町内ベトナム人強盗事件があったのが4月。その後は、平和かというと、クマの目撃情報があり、物騒と言えば物騒だが、山間部ならではの話で、致しかたないと思っている。先日も僕の勤務する工場敷地内で、クマの糞を発見したと、従業員が騒いでいたが、夜間は、シカ、カモシカ、サルが、闊歩しているのだからクマが、ウロウロしていても不思議ではない。操業時間中であれば、忌々しき事態だが、夜間は獣と遭遇するので、「歩行や自転車は危険」と言われているので、想定の範囲だ。と、のんきなことを言っていたら旧足尾町内、それも日中にクマの襲撃による負傷者が発生してしまった。そんなニュースを見た直後にマンションのドアを開けると、猿軍団とはちあわせ、ヤレヤレである。

 

 旅は続く

 

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