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美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/下野の北、奥州の南 第6回

2024年12月08日 | 旅行

2024年の記録

10月の木曜日に仕事を終えてから出発、福島経由で山形県を散策し、翌日夜に帰宅した弾丸旅行の記録。

 

 

今回の散策は、白壁のカトリック鶴岡教会を見たくて企画した。目論見通り、青空に白壁の映える記録を残すことができた。

 

 

夜、7時頃に足尾を出発し、今市で給油したあと国道461号線経由で、矢板まで行き国道4号線を北上し福島市へ。(仮眠のため弁天山公園に行くも、駐車場が見つからず、福島市役所駐車場で仮眠) 福島駅周辺を散策したあと、月山を越えて一気に鶴岡市へ。昼すぎにトンボ帰りで、山形市内散策、赤湯温泉で一休みのあと、国道を南下して、米沢、会津若松を経由して日光へ戻り帰宅。

 

 

福島市内の散策予定地は、すべて仮眠した福島市役所から徒歩圏内。逆にクルマが邪魔になる?早朝なので、短時間の路上駐車が許されたので、助かった。

 

 

福島交通飯坂線曾根田駅は、JR福島駅から飯坂温泉を結ぶ飯坂線の始発駅福島から600米のところに位置する。(駅脇は、JR東北本線、奥羽本線、東北新幹線、阿武隈急行線が走っている。)

 

駅舎は、1942年(昭和17年)建築当時のイメージに2022年(令和4年)リニューアルされたものである。

 

なお、2008年(平成20年)に12階建ての高層ビル(1階に駅舎やコンビニエンスストア、4階には医療モール、5階から12階にマンション)に更新が計画されたが、福島交通の会社更生法申請や東日本大震災の影響により頓挫した。

 

1日の平均利用者数は、1000人に満たない駅である。通勤時間帯の前に訪問したので、駅舎周辺は、ほぼ無人だった。

 

 

日本基督教団福島新町教会は、1927年(昭和2年)にウィリアム・メレル・ヴォーリズ設計で建設された木造平屋一部3階建て、寄棟、瓦葺きの質素な洋風建築である。

近隣には、同じくヴォーリズ設計の日本基督教団福島教会があったが、東日本大震災で大破、解体となってしまった。

 

 

繁華街の路地裏にある福島聖ステパノ教会は、1905年(明治38年)献堂。綺麗にリニューアルされているため、築100年超の建築物には見えない。

 

 

福島大笹生ICから東北中央道、山形道を経て、月山道路を走り、鶴岡へ。

月山は、紅葉の始まり、まだ、まだ、緑が強い。

 

 

鶴岡市の散策予定のカトリック鶴岡教会、致道博物館、大寶館は、近隣にあり徒歩圏内。

 

 

一目散に向かったのは、言うまでもなくカトリック鶴岡教会。意外にも武家屋敷のような長屋門の奥に白い木造教会の建物が見えた。門内の教会堂周囲は、幼稚園の園庭となっていて、カラフルな色の園服を着た子供たちが、遊んでいた。

 

1903年(明治36年)に建てられたヨーロッパ中世紀頃のロマネスク様式をもつ教会で、1979年(昭和54年)から国の重要文化財に指定されている。

 

白亜の殿堂、赤い塔屋、白い雲がアクセントになる紺碧の青空。

「美しい!」の一語に尽きる、来た甲斐があった、そして、天候に恵まれたことを神に感謝!

 

 

鶴岡公園の西隣に位置する、庄内藩主酒井家の御用屋敷地だった場所に立つ致道博物館には、国指定重要文化財の貴重な歴史的建築物が移築されている。美しく整備されていても、所詮“剥製”である。信仰の場として、生きている教会堂の放つオーラはない。

 

 

ゲートを入って右側にある旧西田川郡役所は、庄内を代表する建築家、高橋兼吉が手がけたルネサンス風の擬洋風建築で、1878年(明治11年)竣工である。1969年(昭和44年)に国の重要文化財に指定。1970~72年(昭和45~47年)、現在地に移築復元、保存された。

 

 

旧鶴岡警察署庁舎は、1884年(明治17年)竣工。木造2階建ての擬洋風建築で、設計・施工は大工棟梁高橋兼吉があたった。

1956年(昭和32年)に現在地に移築され、2009年(平成21年)に国の重要文化財に指定された。

 

 

旧庄内藩主御隠殿は、1863年 (文久3 年)に藩主忠発が建てた隠居所である。1864年(明治元年)江戸の中屋敷を解体して、その一部を鶴ヶ岡城三の丸の御用屋敷地に移築した。木材や瓦などは、江戸から西廻り航路で酒田へ、さらに川船を利用して鶴岡へ運ばれた。

 

 

江戸時代末期に建てられた2階建ての土蔵で、当初は藩主の武具や調度品類が収納されていたという。

 

 

旧渋谷家住宅は、鶴岡市(旧朝日村)田麦俣に1822年(文政5年)に創建された多層民家で、高層部には養蚕飼育の様子が伺える。昭和44年(1969年)に移築された。

 

 

大寶館は、大正天皇の即位を記念して1915年(大正4年)竣工した洋風建築で、赤い尖塔と白亜の殿堂として大正建築の優美さが、内部を含めて原形をとどめている。

開館当時から戦前にかけては、主として物産陳列場として使われたが、1951年(昭和26年)から1985年(昭和60年)までは、市立図書館として地域の人々に利用された。

 

 

山形市の目的地も福島市、鶴岡市と同様、街の中心部に集中している。今回、3都市を夜行日帰りで散策できたのも、この立地の良さのお陰だ。

 

 

カトリック山形教会は、1926年(大正15年) 竣工。 外観は純西洋風のロマネスク様式。 外部壁面には鉄板が張り巡らされ、現在はその上にコンクリートが薄く塗られている。内部は木造が基調で、 昭和30年代は畳敷きであった。

 

 

山形聖ペテロ教会礼拝堂は1910年(明治43年)竣工。木造平屋建(搭屋付)、切妻、鉄板葺き、外壁は下見板張り、ペンキ仕上げとなっている。2002年(平成14年)に国登録有形文化財登録。

 

 

山形六日町教会は、1914年(大正3年)竣工の木造平屋、日本基督教団所属。

次に紹介する山形県郷土館「文翔館」の奥にある。

 

 

山形県郷土館「文翔館」は、1916年(大正5年)竣工の英国近世復興様式建築物で、県庁舎及び県会議事堂で、構成されている。1984年(昭和59年)、国の重要文化財に指定され、1986年(昭和61年)から10年の歳月をかけて復原工事が行われた。

 

実は、元々の訪問先リストには載せてなかった。山形六日町教会に向かう途中で偶然発見、訪問の運びとなった。無料駐車場もあり、ラッキーな発見だった。

 

 

旧県会議事堂はレンガ造り一部2階建てで、当初から県議会で使用されないときには演奏会等の会場としても使用され、現在でもさまざまな催しに使われている。

 

 

旧県庁舎はレンガ造り3階建てで外回りの壁面は石貼りで覆われ、重厚感のある佇まいである。文翔館のシンボルで4辺に顔を見せる時計台は、現在日本で稼働している中で札幌の時計台に次いで2番目に古いものとのこと。時計職人が振り子を動かす分銅を5日に一度手動で操作し、大切に使われている。

 

 

山形県郷土館「文翔館」訪問で、今回の教会散策は終了。帰路、山形県南陽市の赤湯温泉で一服して帰った。赤湯温泉は、学生時代に自動車免許合宿で滞在したなつかしい町だ。40年振りの訪問。何しろ、学科が終了してしまうと、1日2時間の実地のみ、毎日、片道約10キロの山中にある蛭沢湖までランニングして湖に飛び込み、再びランニングで帰る毎日。若かりし頃の夏の思い出である。ホテルは、三食、昼寝、温泉付き。

 

赤湯温泉から足尾の居宅までは、グーグル先生の思し召しに従って一般道を走行。国道もあるが、冬季には通行止めになる県道、町道もあって、日が暮れてからの走行は、ちょっとの勇気と細心の注意がいるルートだったが、夜11時前に無事帰宅した。

 

 

【メモ】

アメリカの次期大統領が、トランプ氏に決まった。アメリカ国民が彼を選んだのだから僕がツベコベ言うべきではないことを百も承知している。彼の当選で、2つの戦争が悪い方向に進むかもしれないとか、世界の分断に拍車をかるとか、もちろん円安が進行し、日本社会が、貧しくなるとか、そのような憶測で彼を批判するつもりもない。彼に対する不満は、あまりにも品格のないことだ。僕自身、品格があるとか、ないとか、ひとを批判できるほど品格がある訳でもない。彼が、アメリカではなく、アフリカか、ラテンアメリカの新興国の大統領ならば、許容できるといった話でもない。

 

トランプ氏は、移民排斥を主張しているが、本心でも、そう考えているとは思えない。移民排斥は、集票ツールにすぎない。アメリカが、グレートであった原動力は、流入し続ける移民の力だ。実際、トランプ氏を強く支持したイーロン・マスク氏も南アフリカ移民だ。(父親のルーツは、アメリカにあるが、母親から受け継いだカナダ国籍によってアメリカに入国している。) トランプ氏の妻だって、ユーゴスラビア(現スロベニア) 移民であることは、広く知られている。トランプ氏自身が掲げる「メイク・アメリカ・グレイト・アゲイン」に移民が必要なことを彼は知っている。集票のためならば、何でもやってしまう彼は、政治家ではなく、政治屋なのだろう。

 

 

旅は続く

 

過去記事は、

https://blog.goo.ne.jp/dandyzhen/0