2024年の記録
足尾の短い夏、6月~8月の散策の記録
週末になると茶色とゴールドのツートンカラーのディーゼル機関車が、客車を牽引して、足尾駅まで運行される。
世間では、酷暑、酷暑と呟かれる2024年の夏。しかし、日足トンネルを抜けて旧足尾町に入ると、別世界の涼しさ。標高600~1000米の高さに加え、周囲を山に囲まれているため、良くも悪くも15時をすぎると、日が沈んでしまう。ほとんど、エアコンを使うこともなかった。(足尾が長い人は、涼しさに慣れてしまい、それなりに暑くて、使っているが・・・・。) ただし、朝晩には、霧が発生するため、湿度が高く、除湿のためエアコンを使うことがあった。
梅雨の最中、雨あがりの空に一瞬のあいだ虹が掛かった。(足尾町掛水)
虹が消えた後、夕焼けを映した東の空が、燃えるような紅色に変った。(足尾町掛水)
旧国鉄色のキハ35型ディーゼルカーが停まっている足尾駅。
DE10型ディーゼル機関車と12系客車で編成されるわ鉄・トロッコわたらせ渓谷号
僕の勤務先の目の前の岩壁、今でこそ、植樹の成果で青々としているが、“日本のグランドキャニオン”と呼ばれ、岩肌剥きだしの絶壁になっていた。
粟野町(現鹿沼市)上粕尾と足尾町(現日光市) を結ぶ粕尾峠は、最高地点が標高約1100米。
1896年(明治29年)に鉄索(ロープウェイ)が設けられ、粕尾の材木や木炭が運搬されていたが、現在、鉄索の跡はみつからない。写真は、最高地点の市境付近から足尾側の展望。
足尾製錬前の古河橋を渡り、本山坑口前を抜け、銀山平に至る足尾の裏道の最高点が舟石峠である。冬季通行止め。
松木川左岸(上流から下流側を見る)の自動車の通行できるドン詰まりにある銅(あかがね)親水公園。
粕尾峠を越え、国道122号線のバイパスと交差した付近の足尾町向原の内ノ籠川。
粕尾峠旧粟野町側の青空、白い雲、そして路傍の花。
山林からしみだす水、その流れは、思川となり自宅のある下野市をかすめて、野木町で渡良瀬川と合流、利根川を経て太平洋へ注がれる。
居宅のベランダから見る空、住めば都。どこよりも落ち着く場所かもしれない。(足尾町掛水)
足尾は、山に囲まれた谷底にあり、北東と南西が僅かに開けている地形のため、夕焼けが見られるのは稀だ。日光市今市のショッピングモールの駐車場で、久々に夕焼けのパノラマを見た。
【メモ】
自民党の新総裁が決まった、日本の新総理大臣が決まったに等しい。そのことを深く議論するつもりはない。まぁ、タカ派のTさんが総理になって、対中関係が荒れると困るなぁ、といった心配は、杞憂に終わり、やれやれ、といったところだ。
僕の祖父は、戦前、政商みたいなことをしていたらしい。そのためか、父は、政治家を政治屋、政党を政治業者と呼んで、軽蔑していたが、その一方で、義父もその父も、そして義母の父も政治家というのも皮肉か。
政治家の世襲は、良くないという人もいるが、悪くもないと思う。世襲議員の方が、ある意味で、自由なのだ。政治家が、政治家でいるためには、選挙に勝たなくてはならない。世襲した地盤があれば、絶対安泰という訳ではないが、地盤もなく選挙に勝つためには、人脈やカネの面倒を見てくれる親分に仕えなくてはならない。そんなことをしていると、自身の志など、どこかへ吹っ飛んで、地位や権力を掌握することが目的となってしまう。
頭脳明晰で、弁が立ち、世襲でもない議員がいるが、どうも彼らは、日本を変えたいのではなく、日本を変えられる権力が欲しいだけに見える。自身の政治信条を語るのではなく、マーケッティングの手法でリサーチした、大衆に受ける、票を集められることを言う。世界的な大衆迎合主義の一端か?
義父を悪く言いたくないが、議員になる方が、医者や弁護士、教師になるより手っ取り早く「先生、先生!」と呼ばれると考えたのではないか?世襲の地盤を最大限活用してね。
旅は続く
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