Being on the Road 2

日常の中に旅があり、旅の中に日常がある。僕たちは、旅の途上。
Being on the Roadから順次移行開始

美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/鉱都足尾・秋物語 その3

2025年01月12日 | 旅行

2024年の記録

足尾の燃える秋、9月~11月の散策の記録

 

 

春、夏、秋の下野市の自宅への帰路・粕尾峠、1月中旬になると約3ヶ月間通行止めになる。11月末、安全を考慮した最後の峠越え。

 

 

冬期閉鎖になる粕尾峠は、ワインディングロードが続くが、自宅までの最短ルートになる。(冬期は、大きく迂回して、日光、今市、鹿沼を通る。)

 

 

10月末、葉が色づき始めた頃の横根山道路。横根山道路は、日光市足尾町と鹿沼市の境界上に敷設されている。

 

 

11月初旬と中旬の粕尾峠。

 

 

粕尾峠を越えた南側の上粕尾(旧粟野町)は、標高がぐっと下がるため11月末でも落葉前の紅葉が見られる。思川に沿った県道は、走りやすい。もう1つ峠(大越路峠=現在は大越路トンネル)を抜ければ、関東平野の端にある栃木市へ。

 

 

11月30日、今シーズン最後の粕尾峠。すっかり初冬の景色になった。

 

 

【メモ】

まもなくトランプ第二期政権が始まる。すでに我々の想定を超えた発言。本気か、脅しか、判別できないところが、トランプ戦略なのか? 不謹慎かもしれないが、フィクションドラマを見ているようだ。ウクライナ戦争終結は、24時間から3ヶ月間に萎んだけどね。

カナダをアメリカ51番目の州に、続いてグリーンランド(デンマーク領)を買収、パナマ運河の返還・・・・。武器は、高率関税。

プーチンとやっていることは、限りなく同じ領土拡大願望。

かつて、「北方領土返還」を掲げていた日本だが、何らかの武器で、恫喝しないと、領土など還ってこない。

カナダやグリーンランドがアメリカになっても日本には、あまり影響がないのだろうか?

武力じゃなくても経済力による現状の変更を許して良いのか?

 

歴史にIfはないけど、

太平洋戦争後に日本がアメリカに併合されて、日本がアメリカ51番目の州になっていたら?

朝鮮半島やドイツ同様、日本が東(旧ソ連)と西(アメリカ)に分断されていたら?

時代をもっと遡り、満州国がそのまま日本に併合されていたら?

 

21世紀は、激動と混迷の世紀になるのか?

 

 

旅は続く

 

過去記事は、

https://blog.goo.ne.jp/dandyzhen/0

 


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/鉱都足尾・秋物語 その2

2025年01月04日 | 旅行

2024年の記録

足尾の燃える秋、9月~11月の散策の記録

 

 

足尾は、谷にあり15時になると太陽が山影に落ちてしまい夕焼けらしい夕焼けを見ることができない。それに対して、ひと山越えた日光市清滝では、美しい夕焼けが見られた。

 

 

半月峠、細尾峠以外は、旧日光市、旧今市市ということになる。

半月峠にクルマで行くには、日足トンネルを抜け、いろは坂を登ることになるが、半月峠展望台は、旧足尾町域である。

細尾峠は、足尾と日光の境界の峠で、国道122号線の旧道になる。その下を貫いているのが、日足トンネルである。

 

 

半月峠は、中禅寺湖と男体山を一望できる絶景スポットである。半月峠と記載しているが、厳密には半月山駐車場である。

南側の雲海に覆われているのが旧足尾町である。(この雲海のお陰で、夏は80%を超える多湿と日常的に朝霧が発生している。)

北側の中禅寺湖を眺めると、抜けるような青空が広がる。

 

 

役員を迎えに東武日光駅に向かうと、駅の辺りから煙があがっている。電車は不通となり、下今市駅まで迎えに行かないと、と思いながらも、ひとまず東武日光駅へ。何のことはない、蒸気機関車が来ていた。(東武日光駅に蒸気機関車が来るのは、平日限定である。)

 

 

細尾峠は、国道122号線の日光・足尾間の難所となっていたが、日足トンネルが開通し現在は旧道となっている。すれ違うクルマも少なく、舗装されているものの、落ち葉がそのまま堆積している。

 

 

今市に買い物に行くときに利用している県道248号線と大谷川の間に広がる日光だいや川公園。オートキャンプ場を併設した自然型の公園で、以前から気になっていた。友人を下今市駅に向かいに行くときの時間調整に寄ってみた。公園の紅葉ではあるが、美しかった。

 

 

下今市駅に友人を送るときに寄った日光口PA(上り線)。今市まで来ると、標高もグッと下がり、「孫生え(ひこばえ)」で緑色になった田んぼが広がる穏やかな景観となる。

 

 

【メモ】

年末年始を息子とすごして、あらためて思ったこと。

親バカと嘲笑を買うことを覚悟して書くと、自慢の息子だ。頭(理路整然と話ができるとか、学歴とか)もルックスも僕に優っている。でも、気になることが何点かある。

勝ち目がなくても、挑戦するという気概がない。石にかじりついても、といったことをしないのだ。今の若者(といっても息子は、すでに32歳)は、みんなこうなのか?

僕は就職してからは、親からびた一文貰ったこともないし、貰いたくなかったが、息子は、買い物に行けば、チャッカリ自分のものまでカートに入れる。飯を喰いに行っても、払う気などサラサラない。母親の教育の問題なのか、僕には理解できない。

一番気になることが、中卒、高校中退、非正規、無職、半グレ・・・・・といった人を見下しているところだ。確かに息子は、それなりに頑張って、一流高校、大学、企業とエリート街道を歩んできているが、学歴、職業、収入なんてものは、人間の一面でしかない。最後の1点だけは、早々にスイッチしないと、人生の階段を踏み外すことになりかねない。親がガミガミ言って、どうにかなるものでないことが、悩ましい。

 

 

旅は続く

 

過去記事は、

https://blog.goo.ne.jp/dandyzhen/0

 


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/鉱都足尾・秋物語 その1

2025年01月01日 | 旅行

新年あけましておめでとうございます。

新年に紅葉期のブログも如何なものかと思いますが、秋のブログにおつきあい願います。

 

 

2024年の記録

足尾の燃える秋、9月~11月の散策の記録

 

 

正直なところ、僕は紅葉にあまり興味がなかったし、足尾の紅葉が、そんなに美しいものだと思っていなかった。足尾に住み、日々刻々と紅く燃える景色を目のあたりにして、紅葉の美しさ、足尾の紅葉を知った。

 

 

その1では、居宅を中心とした旧足尾町中心部の写真をアップする。

 

 

9月8日、秋雨前線のためか、激しい雨。「ああ、夏が終わったか」(足尾町掛水)

 

 

十五夜(9月17日)翌日の満月。居宅のベランダから撮影。

 

 

居宅前の足尾銅山記念館(1912年竣工の足尾鉱業所事務棟の復元)の建設も2025年5月の開館に向けて、着々と進んでいる。

 

 

11月になると足尾の美しい空が、益々美しくなる。(足尾町下間藤)

 

 

居宅駐車場前、わ鉄(旧足尾線)脇の樹々が、日々色づき、秋が深まる。(足尾町掛水・定点観測)

 

 

銀山平は、居宅と足尾鉱山をはさんで反対側に位置する。国道から外れているので、かじか荘(温泉・宿泊施設)と登山客ぐらいしか行かないが、紅葉は素晴らしい。(銀山平)

かじか荘には、庚申の湯があり、日帰り入浴もできるが、泉質も良いし、露天風呂の眺めも良い。(冬季の雪見は絶景)

 

 

足尾から粕尾峠を越え、鹿沼市粟野に通じる県道15号線の入り口から約800米のところにある内ノ籠湧水を汲んで飲用にしている。(念のため煮沸) 湧水から先に進み、粕尾峠のつづら折りが始まる手前に内ノ籠川に下りれるところがある。

 

 

11月17日前後が、紅葉のピークだったのかもしれない。11月下旬になっても、青空は相変わらず美しいが、16時をすぎると薄暗くなる。(足尾町下間藤)

 

 

内ノ籠川に1週間後の11月23日に再訪、紅葉の季節の終わった晩秋の風景が広がる。12月になれば、雪が舞うようになり、冬が訪れる。

 

 

【メモ】

年末年始、もともとTVは、そんなに見ないが、自宅でゴロゴロしているので、何となく見てしまう。昭和時代のリバイバル的なものが、多いこと多いこと。TV視聴者のボリュームゾーンが、そのまま加齢していることが明々白々。確かに30代前半以下の世代は、TVを見ない。そもそもの話、日本の平均年齢は48歳(2025年)である。国そのものが、年とってしまっているのだ。残念なことは、単に年とっただけでなく、貧しくなっている。

 

経済を活性化させて、再び豊かになるには、人口増加が肝だ。そんな話をすると、移民解禁だとか、外国人労働者の門戸を広げろ、といったことを主張する人がいるが、大きな勘違いをしている。「貧しい国に移民は流入しない」ということ。アメリカに不法移民が後を絶たないのは、アメリカが豊かで、魅力的な国だからだ。

 

人も社会も、成長とともに、できなかったことが、できるようになるが、衰退期に移行すると、今までできたことが、できなくなる。

 

例えば、僕が子供の頃、外食そのものがイベントで、外食にワクワクした。それが、外食が単に腹を満たす1つの選択肢になった。再び、外食がイベントになるかもしれない。

 

外食がむずかしくなる理由は、供給側の労働力不足も1つの原因だろう。午前11時から夜9時頃まで、毎日営業していた食堂が、定休日を設け、閉店時刻が早くなり、昼休みを設けるようになり、フロアを縮小し・・・・・・。また、ワンコイン・ランチなんて言葉が死語になり、千円でも足りなくなった。

 

最近まで、美味しいレストランをたくさん知っていることが、女性にモテる要素の1つだったが、これからは、気の利いた手料理のレパートリーが豊富なことが、女性にモテる要素の1つになるかもしれない。

 

社会が貧しくなることを良いとは思わないが、そのことに抗うことよりも経済的な貧富ではなく、精神的な豊かさを獲得する術を身につけることが、幸せへの近道じゃないだろうか。

 

 

旅は続く

 

過去記事は、

https://blog.goo.ne.jp/dandyzhen/0


大連の街角から 第5回

2024年12月29日 | 旅行

2024年の記録

大連出張最終日の朝、やっと散策らしい散策をした、といっても1時間ちょっと。ロシア風情街と烟台街ロシア式建築群散策の記録。

 

 

敢えて、赤レンガの大連芸術展覧館を外して、瀋陽鉄路局大連工務段をトップ写真にした。

 

 

スイスホテルから解放路を北上して長江路を東に歩き、勝利橋を渡って、ロシア風情街と烟台街ロシア式建築群に行ったあと、勝利橋を引き返し上海路経由で、中山広場を廻って戻る予定だったが、グズグズしていて出発が遅くなり、中山広場をパスしてホテルに戻った。

 

 

勝利橋は、鉄道の跨線橋で、大連の機関区に停車している機関車が眺められる。かつては、煙をモクモクと吐く蒸気機関車が見られたのだろう。

 

 

ロシア風情街入口正面に建つ大連芸術展覧館は、1900年(明治33年)創建のゴシック様式建築である。創建時の帝政ロシア時代は、ロシア将校の官邸、日本占領時代には南満州鉄道株式会社の図書館であった。1949年(昭和24年)の新中国成立後に解体され、現在の建物は、レプリカであるとの話もある。元祖のレプリカは、大連市と姉妹都市の北九州市門司港にある大連友好記念館で、大連芸術展覧館は、レプリカのレプリカとなる。

 

 

瀋陽鉄路局大連工務段は、大連芸術展覧館と上海路をはさんだところにある。中東鉄路(東清鉄道)建築群の1つになっている。

 

 

ロシア風情街は、旧ロシア人街に建つ、中国的テーマパークと理解した方が良いかもしれない。

ロシア人街は19世紀末期頃、大連に港湾施設を建設し都市開発を進めたロシア人たちが最初に造ったエリアで、まさに大連発祥の地であることは、歴史的な事実である。

 

 

ロシア風情街のドン詰まりに建つ旧大連自然博物館は、正真正銘の歴史的建造物である。

帝政ロシア時代の1900年(明治33年)頃に東清鉄道事務所として建てられ、1902年にダーリニー市役所に。 1904年(明治37年)に開戦した日露戦争により大連の覇権が日本に移ると、1907年(明治40年)に南満州鉄道株式会社本社となった。 但し、ロシア軍が大連を引き払う時に、この建物に火を放ったらしく、屋根が落ちた無残な姿の写真が残っているので、内部は修復されオリジナルは外観(外壁)だけかもしれません。

1年で満鉄がここを引き払った後は、大連ヤマトホテル、満蒙資源館として使用された。新中国成立後は、1998年(平成10年)の大連自然博物館移転まで使われたが、その後は、廃虚同然の状態が続いている。

 

 

ロシア風情街に隣接したところにある「鉄道1896花園酒店」、すっかり綺麗にリノベーションされているが、烟台街ロシア式建築群として保存対象の歴史的建築物である。ロシア人住居、満鉄職員宿舎を経て、リノベーション直前は、出稼ぎ労働者が住むスラムであった。

 

僕はスラム時代から足を運んでいたのだが、夏は悪臭がする当時の方が、味があったと思うし、歴史的な価値も高かった気がする。現在の別荘型ホテルとなっているが、建築物の骨格は、創建時のままで、何棟もあるが、それぞれ別の形をしているのが、とても良い。

 

2023年、そしてスラム時代の写真をアップした「大連の街角から 第2回 /人民歴史建築」

https://blog.goo.ne.jp/dandyzhen/e/498a3ef93cc212311d946d6a8eb3b1d8

 

 

大連周水子国際空港は、市中心部から約10㎞、クルマでも20分、地下鉄もあり、中国で最も便の良い空港だと思う。歴史的には、1927年(昭和2年)に大日本帝国海軍が建設した。現在でも、軍民共用空港であるため、中国人民解放軍の軍用機も駐機・離着陸することがある。

なお、渤海の金州湾に新空港・大連金州湾国際空港を建設しているが、予定工期を経過している現在も竣工には至っていない。(個人的には、今のままの方が、便が良いので、新空港は完工しない方がありがたい。笑)

 

 

やはり富士山を見ると、「日本に帰って来たな」と思う。あたりまえのことだが、海外に渡航する時も機中から富士山を見ていると思うが、ほとんど記憶がない。

 

 

【メモ】                                      

先月、還暦を迎えた。一般的には、定年退職、できれば引退、悠々自適といきたい年齢だが、幸か不幸か、僕の会社は、数年前から65歳に定年が延長となった。給料が激減することもないが、「疲れちゃったので、辞めます。」と言えば、自己都合退職、退職金半減となる。仕事は楽しく、やりがいもある。健康上の問題も、まったくないので、辞める理由もなければ、辞める気もない。特別に偉くなった訳ではなく、後進の教育のために国内外の出張もひとりで、という訳にいかなくなった。

 

国内はともかく海外となれば、1人より2人が楽なことは間違いない。仕事であれば、それは、それで良いのだが、プライベートで、好奇心が楽チンに負けるとなると悲しい。言葉も通じず、勝ってもわからない異国に好奇心だけで、行ってしまう気になれなくなってきたのだ。これが、“加齢” ってもので、受け容れるべきものなのか、否か?

 

正直なところ、勝負は、あと10年間だ。僕同様、病気と無縁な父親が70歳をすぎても、ヒョイヒョイ遊びまわるとき、「頼むから、おとなしくしていてくれ、何かあったら、責められるのは、息子だ。」と言っていたのは、他ならぬ僕自身だからだ。

 

 

旅は続く

 

過去記事は、

https://blog.goo.ne.jp/dandyzhen/0


大連の街角から 第4回

2024年12月28日 | 旅行

2024年の記録

1年半ぶりの大連出張。散策する時間も精神的な余裕のない中、窓から見た大連の街と徒歩10分のプチ散策の記録。

 

 

大連瑞詩酒店(スイスホテル)は、大連に初めて来たときに投宿した5つ星ホテル。南面の部屋からは、美しい朝焼けが見れる。

 

 

高鉄(中国版新幹線)と高速道路の延伸で、日帰り出張が続いた。最も遠くの東港市も2時間ほど。蛇足ながら東港市は、北朝鮮国境の丹東市に属する県級市、目の前は、北朝鮮である。

 

 

ホテル脇の解放路には、お洒落な露店がならぶ。大連には、中国No.1のモデル学校があり、旧満州地域では、異彩を放つお洒落な街だ。

 

 

清涼感のある空気と青空が、大連の魅力だ。

 

 

ホテルの1階には、日系スーパーのマイカルがあり、買い物も便利だ。

 

 

大連から東港市に向かう高鉄の車窓。どこまでも、どこまでも、トウモロコシ、コウリャン畑が続く。LINEで送った写真を見た友人が、「穀倉地帯?」とリアクション。穀倉地帯というと豊かなイメージがあるが、それはない。

 

 

下車したのは、高鉄・大狐山站。見ての通りで、一軒も商店がない。停車する列車は、1日数本。駅舎内にいる職員は、乗客より多いありさま。中国インフラ投資の負の遺産とならなければ良いが・・・。

 

 

大連の路面電車は、日本統治時代の昭和初期(1937年頃)の日本車輛製が現役で走っている。日本統治時代の建築物はともかく、当時の路面電車が、修理を重ねて現役で活躍していることには驚きを覚える。Made in JAPANの堅牢性と誇りに思うのは僕だけか?

 

 

部屋の窓から眺めると、昼間は眼下に労働公園が拡がる。やはり、夜景とまだ暗い早朝の景色が美しい。

 

 

取引先総経理との会食。コロナ禍の中で、メールとTeamsで取引を始めて、今では、1~2億円/年の取引に成長した。すでに僕は、その取引の担当ではなくなったが、「喝水不忘掘井人」(水を飲むとき,井戸を掘った人を忘れてはならぬ)のことわざ通り、僕をもてなしてくれる。

写真は、プライベートレストラン(第一線から退いた料理人が、知人限定、要予約で、週2、3日、旧日本人住宅をリプレースして、営業している。) の前菜、その後は、写真右上のキチガイ水(52度白酒ストレート) の乾杯の餌食。(笑)

 

 

【メモ】

トランプが大統領に再選され、韓国では、非常戒厳が敷かれ(約6時間後に解除)、大統領の弾劾訴追案が発議された。(否決) ユン大統領は、逮捕されるかもしれない。韓国大統領の逮捕は、しばしば繰り返されてきたが・・・・。世界は狂気の時代に突入したのかもしれない。

 

海外に比較すると、日本は、平和でまともな気もするが、狂い始めている。

県議会の不信任決議を受け、失職した知事が、出直し選挙で再選を果たした。不信任決議は、全会一致で可決した。要するに県議会議員が狂っているのか、投票した県民が狂っているのか?

 

景気が悪いのに最低賃金があがり、人手不足が続いている。景気が悪いのに物価があがるのは、円安効果、つまり日本が貧しくなっている証拠だろう。

 

正直なところ、僕の世代は、何とか逃げ切れそうな気がするが、子、孫となると????

子や孫が、海外に働きに行くことを悪いとは思わないが、生活のため、やむなくは、悲しすぎる。僕の祖父のように大志を抱いて海を渡って欲しい。

 

 

旅は続く

 

過去記事は、

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