Being on the Road 2

日常の中に旅があり、旅の中に日常がある。僕たちは、旅の途上。
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美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/下野探訪記 第18回

2025年02月27日 | 旅行

2025年の記録

日光、鹿沼、下野国分寺を散策した記録

 

 

旧日光市清滝の市街地にひっそりと建つ日光キリスト教会。青空と木壁のコントラストが美しい。

 

 

足尾と下野国分寺、関東山地を越える夏と比較して、日光、今市、鹿沼を経由する冬は、かなりの遠回りであることが、あらためて見てとれる。

 

 

関東で蒸気機関車の運行があるのは、JR上越線・信越線(群馬県)、秩父鉄道(埼玉県)、真岡鉄道(栃木県)、そして東武鉄道鬼怒川線であるが、煙が映える冬季の運行があるのは、東武鉄道のみ。その東武鉄道の蒸気機関車を買い物ついでに眺められるのだからありがたいことだ。

 

 

日光キリスト教会は、旧日光市中心部からは遠いい清滝にある。 (全国的な組織に属していない) 単立教会で、ネット情報もない。信者さんと遭遇したこともないし、礼拝堂はカギがかかっているものの荒れ果てていないので、司祭や信者さんの信仰の場になっているのだと思う。

 

 

鹿沼ハリストス正教会の聖使徒ペトル・パウェル会堂は、1991年(平成3年)竣工の新しい会堂である。先代会堂は、1891年(明治24年)竣工で、意外にも歴史がある教会である。

住宅街の最奥部にあり、周囲は、小洒落たカフェ、雑貨店のある根古屋路地である。

 

 

鹿沼ハリストス正教会から僅か数分のところにカトリック鹿沼教会があり、意外にも初訪問である。。1952年(昭和27年)竣工のゴシック様式の聖堂は威厳がありながらも威圧的ではない。2015年(平成27年)公開の映画「はなちゃんのみそ汁」のロケ地として使用されている。

 

 

日光カトリック教会は、居宅に至近のカトリック教会である。ミサは月2回、ちょっと寂しいが、僕がミサに参列することは稀で、教会の敷地に行き、聖堂を眺めているだけで、心の平安を保てる都合の良い不信心な信者だ。(苦笑)

 

 

旧日光と今市、鹿沼方面の往復は、国道119号を通らず、一本北側、大谷川の南岸の県道を通る。今市から旧日光に向かうときは、日光だいや川公園を抜けると、女峰山が正面に見える。

 

 

日本聖公会日光真光教会は、日光で最も有名な教会。東照宮から奥日光中禅寺湖へ向かう国道120号線沿いの土産物屋が軒を連ねる一角にあるものの、いつも静寂を保っている。

 

 

2月に入ると雪の日が増える。雪が止んだので、日光カトリック教会に行った。

 

神父さんはもちろん信者さんも見あたらなかったが、教会までの坂道は、綺麗に除雪されていた。誰もいないが、聖堂は、開錠されていて、礼拝することができる。昨今は、防犯の観点で、ミサの時以外、施錠されている聖堂も少なくない。「悩めるときは、いつでも教会に来なさい。教会は、いつでも、誰でも、受け入れるところですよ。」と子供の頃に受けた教えの通りであって欲しいと思うのは、僕だけか。

 

 

再び日本聖公会日光真光教会へ。地味ではあるが、重厚さと歴史を感じる。

 

 

JR日光駅の駅舎は、北方ヨーロッパの建築技法であるハーフティンバー様式が用いられた木造2階建構造のネオルネサンス建築で、1912年(大正元年)に平屋建築の初代駅舎を改築して2代目駅舎として竣工している。

 

 

東武宇都宮駅近くにあるカトリック松が峰教会は、1932年(昭和7年)竣工。地元産の大谷石を使った美しい聖堂は、地元カトリック教徒の誇りである。

 

礼拝記念の手製のカードの言葉は、心に沁みる。

「み言葉は、・・・・・・・・・・あなたの口、あなたの心にある。」

「人は、全世界を手に入れても・・・・・・・・・・。」

 

 

旧国分寺町の自宅近くの風景、風は冷たいが、田畑があるだけで、殺伐とした足尾と違う穏やかな風景が広がる。

 

 

 

【メモ】

ドナルド・トランプという男の言動には、怒りを通り越してあきれ果てている。

ガザ地区からパレスチナ人を追いだして、ビーチリゾートにするというのは、“地上げ屋”の発想だ。ウクライナを支援してきた代償にウクライナのレアアース権益の半分を寄こせ、というのは、まさに“火事場泥棒”だ。

 

確かに米軍が、血を流すことなく、権益を得られるので、米国にとって悪い話ではないようにも思えるが、そんなことをほんとうに実行すれば、米国やそんな男を大統領に選んだ米国人へのリスペクトは吹っ飛ぶだろう。かつて、日本人は、エコノミックアニマルと揶揄されたが、それ以下のエコノミックアニマルだよ。

 

そんなトランプにスリスリと媚びる日本を含めた各国のトップも情けないに尽きる。まぁ、自国の経済を守るため、恥を忍んでのことと信じたいけどね。

 

トランプとプーチンによってウクライナの行く末が決まるというのは、世界大戦後に戦勝国、宗主国によって、当事者の意思とは無関係に国境線が引かれたときと進歩がない。その不条理が、依然として勃発する国境紛争の火種となっている訳で、我々人類は、歴史どころか、経験にも学べない愚か者だ。

 

力による現状変更を認めると、世界は、軍事大国の自由になる。北欧、東欧の国が戦々恐々となるのはあたりまえで、むしろ、日本が吞気なことが、不思議だ。「そもそも、むかしは、我が国」という理屈を許してはならない。そのような意味でいえば、すでにロシア人が実効支配し、二世三世が住んでいる北方領土は日本固有の領土という理屈は、(関係者には申し訳ないが)取り下げなくてはならない。そうしないと「北海道は、もともとアイヌ民族の土地、日本に蹂躙されているアイヌ民族を開放する。」といった、日本人には理解できない理屈でロシア軍の侵攻を許しかねない。

 

クリミア半島は残念だけど、3年前の2月24日直前の国境線に戻すことが、現実的な線じゃないだろうか。

 

 

旅は続く

 

過去記事は、

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美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/鉱都足尾・冬物語 2025

2025年02月21日 | 旅行

2025年の記録

鉱都・足尾で迎える2回目の冬の記録

 

 

わたらせ渓谷鉄道の各駅が、イルミネーションで飾られると、「あ~、冬になったな!」と。

 

 

旧足尾町の大半は山林で、渡良瀬川とその支流沿いの僅かな土地に住宅がある。全盛時の1916年(大正5年)には、宇都宮市に次ぐ38,428人の人口を有していた。その後、銅山閉山後は過疎化が進行し、日光市との合併した2006年(平成18年)に3,220人、2020年(令和2年)に1,770人となった。

 

 

居宅最寄りの足尾駅が、12月1日からライトアップされた。待合室には、サンタ帽をかぶった大きな雪だるまのぬいぐるみが飾られる。

 

 

わたらせ渓谷鐡道終着駅の間藤駅もイルミネーションで飾られている。「かもしかの見られる駅」の看板があるものの足尾に住んで2年、ニホンカモシカに遭遇したことはない。サルやシカは、しばしば目撃するのだが。蛇足ながら、話は聞くものの僕自身がクマと遭遇したこともない。

 

 

居宅のベランダから眺めた月と雲。

 

 

日の出前の古河鉱業足尾鉱業所(復元)

 

 

居宅駐車場から足尾駅方面を眺める定点観測地点。夕方、西の空が、僅かに赤らむ。

 

 

高崎まで出張した帰り、わたらせ渓谷鐡道本社のある大間々駅に立ち寄った。本屋は1941年(昭和16年)竣工、木造平屋建セメント瓦葺、壁面はモルタル塗り、待合室の腰壁には人造石が使われるなど昭和初期のモダンな建築様式に沿った造りとなっている。登録有形文化財。

 

土日祝日に足尾駅まで来るトロッコわたらせ渓谷号を牽引するディーゼル機関車が、留置されている。運行は春夏秋の土日祝日。

 

 

大間々駅で雲一つない青空を見たあと、足尾に向かって国道122号線を北上すると、みるみるうちに空が厚い雲で覆われ、白いものが落ちてきた。翌朝は、ご覧の通りの雪景色。

 

 

下間藤の道路沿いには、木造住宅がならび、鉱都・足尾の面影が感じられる。

 

 

雪の日の夕方、定点観測地点から。

 

 

旧日光市との境界となる日足トンネル足尾側にある凍てついた地蔵滝。

 

 

珍しく真っ赤に焼けた。居宅ベランダから古河鉱業足尾鉱業所(復元)。もう1つの定点観測地点。

 

 

【メモ】

先週ぐらいから米価に関する報道が増えている。コメ農家の端くれとして思うところを書き残しておく。

 

日本の農業、コメに関することは、どんな切り口でもクレージーに尽きる。以前にも書いたが、日本の農家の大半を占める兼業農家にとって、農業は事業ではなく家業。稼ぐことが目的ではなく、田圃を田圃として承継することが目的なのだ。ひと言で言うと、トントンならOKなのである。(どう考えても、これって、クレージーでしょう。) さらに収支トントンというのは、政府の補助金を貰うことが前提だ。その補助金とは、コメの転作(減反)など、政府の言うとおりに従ってはじめて頂ける。経営努力とか、経営の自主性など考えず、イエスマンでいれば、収支トントンになる仕組みなのだ。(これまたクレージーだよね。) 今では死語の“共産主義計画経済”下のコルホーズ(ソ連の農業生産協同組合)や中国の人民公社に近い。(3つめのクレージー) 何ゆえにそんなことになっているかというと、食糧安保の大義を掲げているものの1番の理由は、政権与党である自〇民〇党の票田である農家を守るためだった時代の残影だ。農家を辞めて、会社勤めになって、労働組合員(社〇党支持)にでもなられたら困るからだ。

 

トランプ大統領の「相互関税政策」であからさまになったが、アメリカから日本にコメを輸入した時の関税は、キロあたり341円、率に直すと、以前は778%、国際的な穀物価格の上昇で280%となる。桁が、一桁、二桁違うんじゃないかと思うクレージーさである。

 

コメの高税率は、それだけ日本の米作の生産性の悪さを示している。農免道路の両側には、四角に区画整理された水田が広がるものの、その所有者は、バラバラで、1枚の田圃を2戸で所有していることもある。元専業農家とはいえ、大した土地持ちでもない我が家の田圃は、3市町に分散している。(跨っているのではなく、分散。) そもそも、同じ市内にある田圃もまとまってあるのではなく、分散している。それだけでも、十分に非効率なことに加え、農業機械の稼働率は、2~3%なのだ。

 

日本の農民は、自営業者なので、最低賃金法が適用されない。2023年度の最低賃金の全国平均は、時給1,002円となり千円の壁を突破した。ところが、ある研究者の試算によると、日本の米作農家の時間あたりの平均収益は10円。つまり時給10円である。ほぼ、ボランティアじゃないか。そのボランティアに日本の食糧安全保障を委ねている。これをクレージーと言わずして、何と表現すれば良いのか?

 

現在、農地の法人所有は、認められていないが、仮に解禁となっても、既述した通りの飛地のオンパレードじゃ、何もできない。バブル時代、都市部で暗躍した“地上げ屋”に農村部で、再び活躍してもらわないと、ほんとうの区画整理は、進まないだろう。

 

最期にちょっとだけ明るい話をすると、コメは小麦と比較すると圧倒的にパフォーマンスが良い食材だってことだ。コメは、収穫後、乾燥、脱穀、精米して、水を加えて炊くか、蒸せば、食べられるが、小麦は、製粉やパンならイースト菌その他を加えて練ったのち焼かなくてはならない。麺類でも水で練って、伸ばして、茹でて・・・・といった工程が加わる。広義の調理の簡単さが、コメの優位性である。

 

 

旅は続く

 

過去記事は、

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美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/彩の国散策物語 第9回

2025年02月08日 | 旅行

2025年の記録

久しぶりに彩の国(埼玉県)を散策した時の記録

 

 

深谷で1番のフォトスポット・七ッ梅酒造跡。規模は小さいが、昭和レトロ感でいっぱい。

 

 

友人の「ガチ中華食べたい!」のリクエストに応えるための西川口が最終目的地。居宅・西川口間の移動は、公共交通機関でも可能だが、それだと終電が早く、夕飲みはできない。という訳で、一泊コースにした。ホテル代、駐車場代、電車賃を勘案して、ベストチョイスが、埼玉県深谷泊となった。

 

 

鬼平江戸処は、池波正太郎の時代小説「鬼平犯科帳」の舞台である江戸の町並みを再現したパーキングエリアで、東北道羽生PAにある。イミテーションと言えば、その通りなのだが、雰囲気、手軽さは、悪くない。

 

1月末に千葉県に出張したときに一服休憩での立ち寄り。天候に恵まれ、真っ青な空が拡がっていた。

 

 

旧本庄警察署は、1883年(明治16年)に本庄警察署として建てられ、その後、本庄消防団本部、簡易裁判所、区検察庁、本庄公民館、本庄市立図書館として使用された。1979年(昭和54年)から1980年(昭和55年)にかけて、一度解体されたうえで復元された。

 

 

深谷商業高校は地元の有力者である渋沢栄一らの努力により、1921年(大正10年)開校した。校舎はフレンチ・ルネサンス様式を基調とした和洋折衷の木造2階建校舎で、1922年(大正11年)に完成、県内で唯一、完全な大正期の木造校舎となっている。2011年(平成23年)から保存修理工事が実施され創建当時の外観である三緑色(淡いグリーン)で復元された。

 

どうも横長の建物を上手に写真に収められず、いつも悩んでいる。ドローンで、上空から撮影できれば、それなりに撮れるのだろうか。

 

 

深谷商業高校の道をはさんで反対側にある河田歯科医院は、1921年(大正10年)建築の旧養蚕伝習所である。(現在もバリバリで診療をしている現役施設)

 

高校敷地内には、駐車スペースはないと思って、近くの100円ショップの駐車場を利用し、徒歩で向かったため発見した。(高校敷地内に記念館来館者用駐車場あり) ピンク色の板壁が、美しい。

 

 

七ッ梅酒造跡には、深谷シネマを中心に昭和建築を利用した「ふっかちゃん横丁」がある。なかなかの昭和レトロ感。規模が小さいものの来場者数も少なめで混雑なくお薦め。(もちろん無料、深谷シネマは、酒蔵跡を利用したミニシアターなので、こちらは有料。)

 

 

深谷の玄関口であるJR深谷駅は、東京駅丸の内口を模した赤レンガ造。

 

七ッ梅酒造跡散策のあと駅前のホテルにチェックインして、深谷駅から高崎線、京浜東北線を乗り継ぎ約1時間で西川口へ。

 

 

今回の最終目的地「金豊園」(西川口駅徒歩3分)へ。ワラビスタン在住時代の馴染みの「郷村鉄鍋屯」は、経営者が替わっていたのでパス。ワラビスタン在住の中国人の友人の推薦で「金豊園」をチョイス。基本的に中国語オンリーのガチ中華、といっても、メニューはタブレット写真付きなので、服務員と余計な会話をしなければ、中国語を喋らずとも大丈夫。

 

 

翌日は朝から雨、深谷市内で1週間分の買い物をして、一路足尾へ。群馬県旧東村辺りから雪になり、県境のトンネル付近から積雪。それでも、住めば都の足尾に無事到着。

 

 

【メモ】

アメリカ大統領に就任したトランプ氏は、就任前に公言していた通りに大暴れしている。25%の関税で、カナダ、メキシコをねじ伏せた。経済力を武器にした恐怖政治だ。開発援助を餌に途上国を蹂躙した中国とやっていることは同じだ。トランプ氏の掲げる“Make America Great Again”って、習近平氏の“中華民族の偉大な復興”と、何が違うのか?

 

トランプ氏の諸外国を跪かせる恐怖政治の先には、“Make America Great Again”はなく、むしろ逆行する“終わりのはじまり”じゃないのか。確かに目先の経済は、好転するかもしれないが、“Great”とは、リスペクトされる存在でなくてはならない。自国の利益より世界全体の利益を優先させるふるまいがあって、リスペクトされる。「世界の警察官」という言葉は、必ずしもポジィティブなものでないかもしれないが、「アメリカ軍を駐留させるならカネを払え!」は、まさに「それを言っちゃ、お終いよ」である。ディール(取引)からリスペクトは生まれない。見返りを求めない人類愛の先に“Make America Great Again”がある。

 

先進国で唯一人口が増加し、経済成長を続けるアメリカの原動力は、移民である。異なる文化、価値観をも受け入れる懐の深さがアメリカの魅力でもあった。自身の渡ってきた橋を自ら破壊するような国は、魅力を失う。魅力のない国に移民は来ない。移民を制限しなくても移民が来ない貧しいアメリカへ向かって走り始めて欲しくないな、アメリカ人じゃないけど。

 

アメリカを象徴するUSスチールの買収問題、その一方の当事者である日本を代表する製鉄会社は、僕が社会人になった頃、日本の産業界の盟主たる気概があった。民間企業でありながら自社の利益の前に日本産業界の利益を考えていた。鉄鉱石や原料炭が高騰しても、それを価格転嫁すれば、日本の輸出競争力が弱まると考え、身を削って耐えた。しかし、時代は、重厚長大から軽薄短小へシフトし、産業界の盟主は、時代から取り残された。その後、身を削る合理化、縮小、合併を経て、力を回復させると、「もっと儲けたい」といった理由で、値上を強行した。その瞬間、「この会社は、(悪い意味の)ふつうの会社になっちまったんだ。」と僕は思った。

 

自国優先主義に走るアメリカと日本の製鉄会社変貌が、奇しくもシンクロして見えたのは、僕だけだろうか。

 

 

旅は続く

 

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美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/下野探訪記 第17回

2025年01月19日 | 旅行

2024年の記録

秋の記録の最終回、帰宅した時のワン・アワー・ドライブの記録

 

 

メタセコイアの紅が眩しい。一昨年は、メタセコイア並木を求めて、滋賀県まで行った。灯台下暗しというわけではないが。

 

 

「下界に降りる」と表現するとちょっとオーバーだが、日光市足尾町と関東平野部とでは、標高差が500m以上あるので、「下界」は、紅葉のピークもグッと遅くなる。

(下野市海抜約63m、わ鉄足尾駅610m)

 

 

下野市よりさらに下って、渡良瀬遊水地に隣接する野木町は、海抜20m。旧下野煉化製造会社煉瓦窯の前にメタセコイア並木がある。滋賀県マキノのメタセコイア並木には、遠く及ばないスケールではあるが、気軽に楽しめる。

mailto:https://blog.goo.ne.jp/dandyzhen/e/82f621830a4862c51acdca4468193bb9

 

 

野木町を散策した翌週・12月に初旬に北西にある益子町散策。益子町は、下野市と比較するとちょっと標高があがり海抜80 m。写真は、県立自然公園「益子の森」の1枚。

 

 

「益子の森」の紅葉にもの足りなさを感じて、「益子の森」の反対側・南面にある益子西明寺を訪問。確かに見事な紅葉。

 

 

【メモ】

3泊4日の合宿で、大型特殊自動車(大特)免許を取ってきた。(落ちる人はいないと言われているが) 無事ストレート、卒検1発合格できた。何しろ、10回やって9回できたことが、本番でできない1発勝負激弱な人生を歩んで来たので。(笑)

 

大特免許といっても馴染みがないので、簡単に説明すると、建設機械、ラフタークレーン、フォークリフト、トラクターで、公道を走行するときに必要な免許。(走行するのみ、作業は、別の免許必要)

 

何でまぁ、いい歳をして取得することになったこというと、義父が亡くなり、継ぐはずの義弟が農家を継がず、電撃的に妻が継ぐことになったことに起因している。以前のトラクターは、小型特殊自動車は、普通自動車免許で運転できたのだが、性能がアップ、最高速度が15㎞/hを超えた途端、大型特殊自動車になってしまった。そのことを知らずに公道を運転している農家の人も少なくないが、検挙されれば、1発免停、乗用車も運転できなくなる。警察も大々的に検挙すれば、農家は大混乱、それこそ農産物の生産がストップすることになるので、今のところは、見て見ぬふりだが、警察に密告する困った輩がいるので、取得を決めた次第。

 

僕は、40年以上むかしに普通自動車運転免許も合宿で取得しているが、さすがに時代が違うので、住環境は、相部屋とはいえ、まったく別物。(完全に壁で仕切られてる。共用なのは、トイレとエアコン、それに壁が天井までないため声が漏れる。) 息子から「〇〇自動車学校の合宿って、ヤンキーばかりって口コミだよ」と心配されたが、自慢ではないが、ヤンキーとは相性が良い。高校までの友達は、ヤンキーも多い。今でもつきあっているのは、めでたく “元”ヤンキーとなって、正業に就いている。本職(指定暴力団員)になった奴とは、つきあいがなくなった。という訳で、「気合いのある若い衆がいたら、現場従業員にスカウトするか?」くらいの勢いで参加した。(我が社の現場も元ヤンがいる。)

 

実際に入校してみると、期待を裏切り、品行方正な若者ばかり。大半は、20歳前後の普通自動車免許合宿参加者で、挨拶もできるし、マナーも守る。少数だが、牽引、大型・・・・・大特の参加者の方が、多彩である。絵に描いたようなトラック運ちゃん、つまり、傾斜付きのヤクザメガネ、角刈り、部分茶髪、ピアス・・・・。一般人には、近寄りがたい“圧”がない訳ではないが、ちゃんと挨拶もするし、話せば、なかなか人懐こいイイ奴なのだ。また、先月普通自動車、今月大特、来月車両系建設機械とフォークリフト運転技能講習と矢継ぎ早に免許を取得する県の土木事務所に就職の決まった「リケジョ」(理工系女子)。資格コレクターと思しき50代前半のオヤジ。僅か4日間、毎晩、温泉に通い、楽しくすごすことができた。

 

最期に蛇足、会社を3日間休んだもののWiFiで会社と繋がっているので、PC持参で決裁業務は、滞りなく遂行。気兼ねなく会社を休めるものの、これっぽっちも休まらない。リゲイン世代の管理職は、永遠に「24時間働けますか」が続くのか? (苦笑)

 

 

旅は続く

 

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美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/鉱都足尾・秋物語 その3

2025年01月12日 | 旅行

2024年の記録

足尾の燃える秋、9月~11月の散策の記録

 

 

春、夏、秋の下野市の自宅への帰路・粕尾峠、1月中旬になると約3ヶ月間通行止めになる。11月末、安全を考慮した最後の峠越え。

 

 

冬期閉鎖になる粕尾峠は、ワインディングロードが続くが、自宅までの最短ルートになる。(冬期は、大きく迂回して、日光、今市、鹿沼を通る。)

 

 

10月末、葉が色づき始めた頃の横根山道路。横根山道路は、日光市足尾町と鹿沼市の境界上に敷設されている。

 

 

11月初旬と中旬の粕尾峠。

 

 

粕尾峠を越えた南側の上粕尾(旧粟野町)は、標高がぐっと下がるため11月末でも落葉前の紅葉が見られる。思川に沿った県道は、走りやすい。もう1つ峠(大越路峠=現在は大越路トンネル)を抜ければ、関東平野の端にある栃木市へ。

 

 

11月30日、今シーズン最後の粕尾峠。すっかり初冬の景色になった。

 

 

【メモ】

まもなくトランプ第二期政権が始まる。すでに我々の想定を超えた発言。本気か、脅しか、判別できないところが、トランプ戦略なのか? 不謹慎かもしれないが、フィクションドラマを見ているようだ。ウクライナ戦争終結は、24時間から3ヶ月間に萎んだけどね。

カナダをアメリカ51番目の州に、続いてグリーンランド(デンマーク領)を買収、パナマ運河の返還・・・・。武器は、高率関税。

プーチンとやっていることは、限りなく同じ領土拡大願望。

かつて、「北方領土返還」を掲げていた日本だが、何らかの武器で、恫喝しないと、領土など還ってこない。

カナダやグリーンランドがアメリカになっても日本には、あまり影響がないのだろうか?

武力じゃなくても経済力による現状の変更を許して良いのか?

 

歴史にIfはないけど、

太平洋戦争後に日本がアメリカに併合されて、日本がアメリカ51番目の州になっていたら?

朝鮮半島やドイツ同様、日本が東(旧ソ連)と西(アメリカ)に分断されていたら?

時代をもっと遡り、満州国がそのまま日本に併合されていたら?

 

21世紀は、激動と混迷の世紀になるのか?

 

 

旅は続く

 

過去記事は、

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