祈りを、うたにこめて

祈りうた・いのちうた(私の想像力はまずしい③)

私の想像力はまずしい③



 よく思います。―ニンゲンにすぎない無力なわたしは、目の前にいない人、たとえば隣りの部屋にいる家族でさえ、壁一枚透かして見ることができません。ひとりで悩んでいるかもしれないのに、迫ることができません。
  また、病院で検査を受けたあと、その結果が出るまで、わたしにはわかりません。検査技師や医師はもうわかっているのに自分にはまだ分からないと、もどかしい気持ちで部屋をうろつきます。
 まして、異なる場所にいる複数の人たち、その人たちに同時に声をかけることなどできません。また、今現在だけでなく、過去や未来を行ったり来たりすることもできません。空間をひろげることも、時間を縮めることもできはしないのです。



遠い国の戦争で
心が張り裂けそうになっていたとき
日常の出来事がしぼんでいった

家族が病んだとき
とおい国で傷ついているひとたちの呻きが
聞こえにくくなってしまった

自分の悩みで思い乱れたとき
家族の苦しみも とおい国のひとたちの悲しみも
気づいたら 脇に置いてしまっていた




無力さにうなだれながらも
いや みじめさに沈むからこそ
ぜんぶお見通しの方に惹かれる
「頑張らねば」という気負いが スッと
薄らぐ気がしてくる 





◆言葉に愛を宿したい。
◆ご訪問ありがとうございます。
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