それを紐解いてみたら、なんと驚愕のストーリーがあったのである。
そもそも炬燵とは禅宗の僧が中国から持ってきた物と言われ、掘り炬燵が原型である。ちょうど、入ってきた室町時代には「火闥」、江戸時代には「火燵」と表記されたそうである。
しかし、火闥に這入ると、人はその暖かさ故かなぜか魂を抜かれたように動きがとれなくなり、修行をさぼったり戦に遅れるということが頻発し、さらには火闥に入ったままで死人まで出る始末。
これはいかんと、時の室町幕府が寺や武士の家では火闥を禁止するといいう令を出したのが、応仁の乱の前年1466年(文正元年)のことであった。
そのうらで幕府は、火闥には妖怪がいるという噂からこれを調べさせることにしたのである。調べたのが、高野山で高名な修験者である密教僧の「役行子(えんのぎょうざ)」というものであった。彼は、火闥を高野山の修験小屋に置き、日ごと夜ごと人を火闥に入れて、人々が寝入るのを観察していたのであるが、どうも、祟りがあるようには思えなかった。単に温もりで寝入るのであるという結論で京に上がろうとした2月の寒い日であった。火闥には、火は入れているが、そこは修験者であるから火闥に入る気は毛頭なく、所在なげに眺めていた夜、動かないはずの火闥が役行子のもとへ近寄ってくるような気配が。役行子は目をつむり気配だけで動きをつかもうと神経を集中すると、なにやら火闥に物の怪の気配が。下がおそわれる時を再現した古文書の「動き絵」である。
じっとしていると、真冬の高野山にはありえない暖かな空気が押し寄せてくる。しかし、この暖かさは物の怪によくある生暖かい風というのではなく、体全体が柔らかな暖かさに包まれるような気がして、修行を積んだ役行子ですら抵抗できない眠気が突然襲ってきたのである。普通の人間ならそのまま命を取られたかもしれないが、さすがに修験者。この暖かさは火竜口からの炎の熱であると見抜き、印を組み、真言をとなえ睡魔を追い払い「活っ」と気合いを火闥に投げると、いつの間にか体にとりついていた火闥が向こうの壁まで飛んでいったのである。
火闥は壁にあたり、バラバラになって床に落ちたが、布団の中になにか蠢く物が。これが物の怪の正体なりと布団をめくり、そのものを捕まえると小さな竜であった。その竜は、「小龍冠(こたつかむり)」と名乗り、自分は中国から日本にすごい修験者がいると聞き、悪さをしながらお前が現れるのを待っていたのだと。なぜかと言えばお前を食すれば永遠の命を得られれると言われていたから、「火闥」に身を変えてやってきたのだといいながら息絶えたのであった。役行子は、「火闥(火の門」とは、竜の隠れ家を意味するのだとここで悟り、厚くこの霊を弔い、幕府にこれを報告し、幕府は応仁元年に火闥禁止令を解いたのであった。さらに火闥ではまた竜が現れるとして「火燵」と名を改めさせたという。
と、古文書には書かれていたが、この「小龍冠(こたつかむり)」が現代では、コタツムリ(蝸牛)に変容している。恐ろしい竜が蝸牛に変わってしまうというのは、なんとも今の日本を象徴していてのんびりした話である。
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