ほいほいとぼとぼ日記・爺爺刻々

ほいとぼのブラ街歩き:小樽の懐かしいあいつに会いに行ってきた2

あらもう10月だと思っていたら、あっという間に月末ですわ。もう11月ですよ。というわけで、焦るわけですよ。ネタが溜まって、一向に消化できない。とくに映像ものを作ると、集中力がないので、時間ばっかりかかるのである。ああ、今回も言い訳から始めてしまった。まあ、どっかの首相のように具体性のないポエムを語るよりは、マシと思って頑張ったのです。今回は。「小樽の懐かしいあいつに会いに行ってきたシリーズ」第二弾は、手宮線であります。

小樽の街は、東西に湾にそって長く南北は山がちなため短かく市街地が広がっていますがね。その東西の真ん中を横切っているのが、旧国鉄手宮線の線路跡。もともとは北海道初の鉄道である官営幌内鉄道(1880年手宮〜札幌間開通)の一部で、南小樽から手宮までは函館本線ができたことで手宮線になったそう。もともとは幌内からの石炭輸送の積出のために手宮まで開通していたのだから、旅客輸送よりは石炭輸送の貨物線という色合いのほうが強かった路線なのね。

手宮線としての旅客輸送は手宮〜色内〜南小樽までの2.8kmで1962年に廃止。NHKのアーカイブで手宮線に蒸気機関車牽引の客車が中央通りらしき踏切を通過している映像を見たなぁ。その後も1985年に貨物も終了となり、廃線となったそうでありますね。

今は、南小樽から寿司屋通りまでも線路跡がありますが、南小樽から寿司屋通りのガード跡までの半分近くは函館本線と平行しているため立ち入り禁止。また、寿司屋通りまでの下りは専用の掘割であるため、ここも立ち入り禁止となっていて実際に歩けるのは、寿司屋通りから。ここには寿司屋通りをまたぐ手宮線のガード跡があり、そこから手宮駅跡までの約1.6kmが「(旧)手宮線跡の散策路」として最近になって整備されたのね。ガードも残して欲しかったけど、手宮駅廃線後の1986年に現小樽総合博物館に静態保存されていたC62・3号機が手宮線経由で築港機関区に搬出されているので、それまではあったはず。この一帯を寿司屋通りと命名したのが翌年の1987年で、あまりの低さに観光バスが通れないと観光に影響がでるという理由で撤去されてしまったのではないかと勝手に想像するのであります。

右側の草ぼうぼうのところが、手宮線跡。ちょっと先が寿司屋通り。

寿司屋通りにかかるガード跡。よく見ると複線の跡が残っている。現在の廃線跡は単線だが、かつて複線の時代もあった名残。

寿司屋通りにかかるガード跡。街中なのでトラスではなくプレートガーター橋ではなかったか?左の軽自動車のサイズからみてもガードの高さは2mちょっとでバスは通れそうもない。

中央通りの踏切に立つ案内板。

こちらは色内仮停車場跡。

夜の色内仮停車場付近。街頭が電灯色で温かい。

手宮駅構内跡付近。転轍機などが残っています。

さて、今回の手宮線に会いに行く目的は、手宮線跡にもし列車が走ったらこういう風に沿線を見れるだろうという前面展望動画を撮るためでありました。実は昨年もチャレンジしているのでありますが、揺れ防止カメラではなかったため、非常に見苦しい映像でありましたので、リベンジしたのであります。今回はDJIアクション2というカメラで、極力揺れを抑えて撮ったつもりですが、線路状態も悪かったので思ったより揺れてますが、実際の鉄道でもこのくらいは揺れます!

ここに列車を走らせて、手宮の小樽市総合博物館のリニューアル(鉄道博物館といっても過言ではないほど、保存車両がいっぱい。あとは現役SLであるアイアン・ホース号も館内で運行している)や手宮洞窟や手宮公園と合わせて、観光スポットの横展開になるのになぁという勝手な願望ですがね。もし走らせるとなると、DLの引っ張るトロッコ列車ですかね。と、夢は膨らむのですが、実際には踏切問題もあるし、5号線踏切から手宮までの限定になるのかな。各地でLRT(ライトレールトレイン:路面電車等)が見直されているなか、小樽市も検討しないかしら?

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