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いじめと体罰

2013年02月13日 | 教育情報
 つまりいじめをする側は、精神的には非常に未成熟です。何故かというと、自分が相手に能動的に行為をしたらどうなるか。そのことしか考えられない。結果がどうなるかの体験がない。しかも、その先がありのます。もし、自分がやられた場合は、どうなるか。その受動的立場に自分を位置づけられることが、次の段階ということになる。この自分に返す、自己客体化といいますが、そして相手の立場を察知していく。これは、次の段階です。成長の段階は、自己中心的に相手への攻撃や能動的な行為の結果を、どうなるかしか考える力がありません。立場を相手へと移すことは、非常に高いレベルに入っていることを意味します。これを取り込めるように、あるいは考えさせられるのが、これが人を育てる上での大前提にならなければなりません。
 いじめも体罰も同じ発想であり、指導者がもし単純に体罰を加えることで行為を強いる、恐怖や苦痛の回避で体で覚えさせるような低次元の教育指導方法を考えているとすれば、児童のレベルと同等だということになる。教育者をどう育てるかの方法論を、教育界全体が持っていないというお粗末な状態だということがわかってしまいますね。  
 また、いじめは特定の個人をグループで、攻撃します。先導者と、さらに隠れるように助長し、荷担する者達がいます。次の集団は見ておもしろがる層です。第三のグループは、関係ないふりをしてとめることはなく、見ているだけのグループ。しかも、いじめはエスカレートします。集団心理の怖さを抱えていますし、いじめも古い慣習が切れてしまい、死ゑと追い込んでしまうのが現代のいじめには、潜んでいます。限度をわきまえないといけません。 

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