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D51-916号機

2022-11-12 16:57:55 | 鉄道

11/10(木)、紹介が前後するが、群馬県前橋市の「前橋こども公園」にD51-916号機が保存されている。

屋根付きで保存されている916号機は、1948(昭和23)年~1975(昭和50)年まで北海道の各機関区で活躍していた。コの字手すり、切り詰め除煙板、密閉型キャブが特徴的である。筆者が目視で確認した限り、錆びは少なかった。

D51-916号機説明版。SLの仕組みと走行方法が掲載されていた。916号機の経歴は画像右上の通り。32年活躍し、そのうちの半世紀以上は北海道の各機関区で旅客や貨物輸送で活躍した(画像をタップすると拡大できます)。

側面のナンバープレートは公式側、非公式側ともに残存していた。対して、日本車輌製造銘板と換算銘板(空9.0/積12.5)は公式側、非公式側ともになくなっていた。実際、銘板類が取り付けてあったと思われるネジやその跡が確認できる。プレート横のネジはタブレットキャッチャーが設置されていた箇所と思われる。

D51-916号機動輪。直射日光の当たる場所は塗装の退色や雨風、雪による老朽化が見られるが、916号機はそれが少ない状態であった。刻印を確認するも殆どの箇所で「D51916」と打たれていた。ただ1つを除いて。

それは、右心向棒(画像中央に1直線に伸びた棒。車軸が横の方向にずれないように車軸と台枠に配置したリンクロッド。ぜんざいはトラックやバスに採用が多い。)である。

拡大すると重ね数字で分かりにくいが「Ⅾ51293」と確認できた。293号機は、調べるとギースル式煙突を装備した特徴あるD51型であった(形態は349号機とほぼ同じ)。

デンター(炭水車)。前照灯がデンター上に装着されているのが北海道型の特徴。

登場が1943(昭和18)年12月なので、上記ドームは先述の917号と異なり、かまぼこ型なのが特徴。

ここは、プラットホームを模した設備がある。ベンチもあって駅のようなスタイル。

駅名は「子供公園」。実在したらおもしろい。

キャブ(電車でいう乗務員室)は密閉型。立ち入ることもできるが、運転席は破損・盗難防止や安全面の観点(アスベストなど)からアクリル板で保護され、立入禁止となっていた。

上記3枚はアクリル板の隙間から運転席を撮影したもの。盗難・破損なく残っていた。

916号機を真正面から。訪問が14時なので、画像のような逆行となってしまった。

廃車から47年が経過したD51-916号機。同機とは縁もゆかりもない前橋市に保存された今、前橋市のシンボルとして第2の車生を送っている。

撮影日→2022(R4).11.10(木)

場所→群馬県前橋市西片貝町「前橋こども公園」

アクセス

1.JR両毛線前橋駅から徒歩17~18分

2.上毛電鉄城東駅から徒歩1~2分

3.マイバス東循環線児童文化センター下車すぐ。


D51-917号機

2022-11-12 15:05:14 | 鉄道
2019(平成31)年岡山県警察年頭視閲式終了後、JR岡山駅より徒歩15分の「下石井公園」にD51型蒸気機関車が保存されているのを知り、スマホナビで検索して現地まで行った。
 
現地に到着。画像右奥の黒い車体に屋根がついた場所がそれである。
 
黒くかつ無骨な車体に屋根付きで保存されているD51-917号機。時期は不明も再整備と再塗装が行われていたため、機関車の状態こそ悪くないものの、ボイラー上部は土埃が被っていた。
 
ナンバープレートは、公式側ないし非公式側は残存していた。一方、日本車輌製造銘板と換算銘板(空9.0/積12.5)は、公式側は残っていたが、非公式側のみなくなっていた。実際、銘板類が取り付けてあったと思われる穴が確認できる。
 
キャブ内(電車でいう乗務員室)。
機関車周囲は柵で囲んでいるため、キャブ内の立ち入りは転落による怪我やいたずら防止の観点から不可能となっている。土埃こそ被っていたが荒廃は少ない。ただし、計器類の部品の欠損・破損は何箇所か見られた。さらに、キャブ窓もなくなっていた。投石による破損の可能性が高い。
 
動輪。主輪棒は、赤や緑で塗られている。このようなスタイルで静態保存されているSLは珍しい。
 
煙突。画像では分かりにくいと思うが、浜田、新見機関区時代に集煙装置(→煤煙の排出を抑えた装置。主に勾配の大きい山間部の路線に多く設置されていた)を取り付けていたため、短くなっているのが特徴。
 
ボイラー上の蒸気ドーム。
前照灯。本体は欠品なく残存しているものの、全面は板で封鎖されていた。デンター(炭水車)は電球とレンズはない。
ATS発電機。
 
場所は、岡山県岡山市東区の下石井公園。かつては近くに、2002(平成14)年に廃校となった岡山市立出石小学校の校門がある(画像上)。
◯D51-917号機の生い立ち◯
1943(昭和18)年12月20日→日本車両名古屋工場製
1944(昭和19)年1月→函館機関区(北海道)へ新製配置。この間、耐寒耐雪工事が施工された。
1945(昭和20)年5月→五稜郭(ごりょうかく)機関区転属(同)
同年8月→盛岡機関区転属(岩手県)
1958(昭和33)年1月→ボイラーを新缶に交換した。
1968(昭和43)年9月→浜田機関区転属(島根県)
1971(昭和46)年12年→新見機関区転属(岡山県)
1972(昭和47)年3月→廃車。最終配置は新見機関区。
同年9月→下石井公園へ保存、現在に至る。
 
撮影日→2019(平成31)年1月17日(木)
場所→岡山県岡山市下石井公園

スハ42-2047

2022-11-09 07:51:50 | 鉄道

D51-408号機の傍ら、青く古い客車が保存されていた。車両はスハ42-2047。国鉄末期まで活躍した1台である。

こちらもD51-408号機と同様に整備と再塗装されていた。貫通扉は鉄板で封鎖されていた。

スハ32-2047説明板。ここには新製配置は記載されていないが、現役時は、上野~青森間を結んでいたことから尾久客車区の可能性がある。最終配置は水戸機関区。戦後~高度経済成長期にかけて多くの乗客を乗せて走っていたんだろう。

連結器。

車両番号。フォントは現役時とは異なる。

形式、自重、検査表記。

「水戸機関区」所属、エンド、定員表記。

東京日本車輌製造銘板、大宮工場更新修繕銘板。

洗面所。部品盗難や汚損・破損防止の観点からアクリル板が貼られ、立入禁止となっていた。

車内。当時は新幹線や高速道路もなく、自動車も少数であったことから座席はオールボックスシートが並んでいる。また、床下は板張りになっている。

便所知らせ灯。

扇風機。当時は冷房もなかった時代。多くの乗客が窓を開けたり、扇風機の風に当たって涼んでいたに違いない。冬場はどうやったのだろうか。

その扇風機には懐かしき「JNR」マークの文字。これは貴重。

そして、車内には客車見学時の注意書きが貼られていた。

数少ない旧型客車の静態保存。川崎市がここまで大切に整備をしてくださったことは頭が上がらない。これからも末永く大切に保存されると願っている。なお、車内は無料で開放している(飲食は禁止)。

撮影日・場所…2018(平成30)年12月10日・神奈川県川崎市生田緑地


D51-405号機

2022-11-08 22:04:39 | 鉄道

千葉県松戸市のユーカリ交通公園内にD51-405号機が静態保存されていた。

屋根付きで保存されていたが、機関車全体では錆や塗色の退色・剥離が所々に見られた。特に、非公式側に関しては雨風や直射日光による自然現象もあって老朽化が顕著であった。

D51-405号機の経歴は説明版の通り。新製から26年は新潟や長野といった雪国の多い地域で活躍した。主に信越本線や篠ノ井線、上越線、羽越本線、白新線がメインであったと思われる。残りの7年間は山口線や美祢線、山陰本線で活躍した。

豪雪地域で活躍していたことから雪かき器も装備されていた。

同機で特徴的なのは長野工場製の除煙板と集煙装置(煙突から排出される煙を抑えた装置。山間部の路線で活躍したSLに多く取り付けられていた)を装備している点。丸みを帯びた台形なのが特徴であるが、東京都町田市の862号機とは形状が異なる。

D51-405号機動輪。公式側はホームで干渉しており撮影は不可能。非公式は太陽光線や雨風で主輪棒、ロッドとともに退色していた。刻印は機関車周囲を柵で囲んでおり確認できず。

デンター(炭水車)。ナンバープレートや上部前照灯はなく、後部標識灯は片方が欠落していた。また、塗装の剥離が多く見られた。 

側面のナンバープレートや日本車両製造銘板、タブレットキャッチャー(フックのような形状をした装備品)は公式と非公式ともに残存していた。ただし、非公式側は、雨風を受けた影響で塗装が浮き出て錆だらけになっていた。

日本車輌名古屋工場製造銘版はオリジナル品を装備していた。これは公式側の部分をUPしたもの。ペンキで塗りつぶされていて分かりにくいが、「日本車両製造株式会社 昭和14年 No789 名古屋」と読み取れる。

キャブ(電車でいる乗務員室)

機関室前面窓は、ワイパー類が凍結で使えなくなる恐れがあったため、旋回窓を装備していた。雪国で活躍した機関車ではこのような装備をした車両が多かった。

キャブ内は、最近になって整備がなされていない。メーター類や保安装置は残存しているものの、メーター類は針がなかったり、機器類が破損していたりと荒廃に近い状態である。またキャブ内は、スロープはあるも部品破損・盗難防止や安全性(アスベスト)の観点から立入禁止となっていた。さらに、側面のキャブ窓は公式側は窓枠のみでガラスは割れてなくなっていた。心無い人が破壊した可能性がある。

同機の傍らには、駅名標とホームが設置され、小さな駅風となっていた。ただ、休日は多くの人が利用する公園なので、早急に整備を望みたいところである。

撮影日→ 2018(平成30)年12月9日(日)
アクセス→JR常磐線北小金駅南口下車してバスで10分。最寄りバス停は交通公園下車すぐ(バス利用時は、平日、土曜、日・祝日ダイヤに注意してください)。


クハ481-256

2022-11-08 07:24:25 | 鉄道

JR九州に在籍していた485系は、1980年代に新幹線開業で特急列車の運用廃止になり、余剰となった車両が仙台、青森、金沢、向日町などの各電車区から転属してきた。ここでは、特急有明、かもめ、みどり、きりしま、ひゅうが、ソニック、にちりん、ハウステンボスといった特急列車から、さわやかライナーといったライナー列車まで運用されてきた。JR後は国鉄色→ハウステンボス色、レッドエクスプレス色、濃緑色(きりしま、ひゅうがに充当)、と人気を博した。もちろん、車内もシートモケットを変えたり、半室グリーン車を備えた車両もあった。しかし、787系、883系、885系といった特急列車が登場すると、速度面や設備面で劣る485系も徐々に引退した。そして、2015(平成27年10月18日(日)の大分→小倉総合車両センター間の団体臨時列車でラストランを迎え、485系は約30数年の活躍に幕を閉じ、引退した。

JR九州で最後まで残っていた485系は、大分車両センター所属Do32編成。車両は「クハ481-256」。2010(平成22)年8月に鹿児島総合車両所で国鉄特急色へ塗色変更された編成である。そのほかJNRマーク復元、車両番号の復元、飾り帯(車両前面上部と下部にあるステンレス製の金属)の設置がなされ、国鉄時代の姿を再現できた。ただ一方で全面貫通扉は、踏切事故やすきま風対策(これは、青森電車区在籍時より乗務員から不評があった)の防止の観点から、封鎖されてしまった。

ヘッドマークは「にちりん」。シンボルマークも健在。

行先表示は「特急Lにちりん・小倉」。

同車の経歴は上記画像の通り。新製から9年間は青森電車区(現:JR東日本青森総合車両センター)で、やまびこ、ひばり、やまばとで活躍した。南福岡電車区時代は、かもめ、みどり、有明、ソニック、ハウステンボス、JR後は、大分電車区、鹿児島総合車両所では、きりしま、ひゅうがに充当していたと思われる。

保存に際し、復元された車両番号とJNRマーク。

鹿児島総合車両所、車両表記(定員、型式、自重、換算)、検査表記。銘板2枚。

クハ481-256妻面。ジャンパ栓、横揺れ防止車端ダンパーといったアイテムが見られるのも全国でここと新津鉄道記念館、鉄道博物館ではないか。

TR69H台車。

TR69H台車銘板。1980(昭和55)6月に近畿車両で製造されていた。

全国の特急列車を数多く運用してきた485系電車。引退は寂しいが、それでも多くの特急列車の運用をこなした数々の功績は大きいと思う。

撮影日→2017(平成29)年10月15日(日)/場所→ JR九州小倉総合車両センター構内(一般公開)