皆さんこんばんは。今日は3月14日のホワイトデーですね。皆様は如何お過ごしでしょうか。今回のブログは本日がホワイトデーという事で、バレンタインの思い出とホワイトデーの思い出を書いていきます。
バレンタインと言えばチョコレートやクッキーですが、皆さんはいつも友達や恋人にあげる時は手作りか市販の物かといえばどちらですか?私は毎年手作りでチョコレートを作って、友達や恋人にあげています。小学生から高校生時代の頃はいつも女子が朝から賑やかで私もその一人だったのですが、小学生時代の時は友達と先生達にあげていました。先生達とは言っても男の先生にあげる事が多かったのですが小学生の頃の私は、当時小学1年生の私の担任の先生にガチ恋していたのでその先生にだけは、小学校6年間手作りチョコとお手紙を添えたプレゼントをしていました。その事もあってか小学6年生の卒業式の時にその先生からホワイトデーのお返しを貰う事が出来て、渡してくれた時に「毎年チョコくれて嬉しかったよ。ありがとう!」と言ってくれました!今思えば卒業式のタイミングとホワイトデーが近かった事もあるのではと思いますが、小学生の私はそんな事を知らずにそれが嬉しくて号泣していました。
中学生時代も友達や先生方にあげていました。中学生時代から同じクラスや同級生を始め、後輩や先輩方は放課後になると職員室前に集まって人気の先生が出てくるのを待っているのが毎年恒例になっていました。私の場合は担任の分と好きな先生にあげる分を持っていたので、放課後友達と一緒に職員室前に居て出待ちをしていました。そしてそれぞれお目当ての先生が出てくると一瞬にして廊下は戦争状態になるんですが、私はまず担任の先生に渡してもう一人の好きな先生にあげようと思ったのですがその先生が本当に人気の先生だったので、中々渡すタイミングが無く今日は無理かなと思って帰ろうとした時になんと私を人混みの中から見つけてくれたらしくて声を掛けてくれてそのタイミングでバレンタインのチョコを渡しました。その先生とはバレンタインのチョコを渡したことがきっかけで授業中でも休み時間の時でもため口で話せる様になりました。でもその先生は私が中学3年生の頃に担任にはならなかったけど隣のクラスの担任なのでいつでも会えたのですが、やはり女子生徒から人気すぎて中々話す機会は無かったけど私が少し最終下校時刻を過ぎてしまっても昇降口前で待ってくれていて、私を見ては「またお前か。でもまぁ気を付けて帰れよ?」って声を掛けてくれて少しだけ話して帰るという事もあり本当に大好きな先生でした。
高校生時代もこれまた大好きな先生が居てその先生も大人気でした。その先生はクールな先生で高身長という事もあり女子生徒からは大人気の先生で、私が高校1年生の頃は非常勤の先生だったけど私のクラスで授業を教えてくれていたのですが私はその日からいつの間にかガチ恋していて同じガチ恋仲間といつもかっこいいよねという話をしながら高校生活をしていました。そして高校1年生のバレンタインデーは当時の担任の先生と大好きな先生の分を持ってきていたので、放課後になって間もない頃にまだ戦争状態になっていない職員室前までダッシュして担任を呼び出してバレンタインデーのチョコを渡したのですがその時の表情が本当に驚いていて、「えっ、貰っていいの!?ありがとう!嬉しい!」と言ってくれてめっちゃ嬉しかったです。その嬉しい気持ちのまま非常勤講師室に向かったのですが、その先生に会うとなると緊張してしまい中々ノックも出来ずウロウロしていたら違う先生が出てきたので先生が居るか聞いたらいるとの事で、勇気を出して先生を呼び出したら不思議そうな顔をされたので「これっ、バレンタインのチョコレート!」と渡したら「あら、いいの?ありがとう。手作り?」「うん!ラッピングとかデコレーションとかにもこだわったんだ♪」「そうなんだ!後で食べるね。ほんとにありがとう。」と言ってくれました!いやーその後の私はご機嫌のままルンルンで帰ったのですが、にやけが止まらなかった私を見た母親が「あんたどうしたの?珍しくご機嫌じゃない。」と言ったので嬉しい事があったと伝えて自室に居ました。そこから私の高校生活が一変したといってもおかしくない出来事が起きたのですが、なんとそのガチ恋しているくらい大好きな先生が非常勤講師ではなくなり私が高校2年生と3年生の頃の担任の先生になったのです!そこから私も毎日がバラ色で勿論担任になっても毎年バレンタインのチョコも渡していました。でも高校3年生の頃のバレンタインは少しだけ寂しくなりました。というのも3年生は登校しなくなる時期が途中であるので、会えなくなる前にチョコを渡さなければならなかったのです。そこでガチ恋仲間と相談してこの日に渡そうと決めた当日、私は放課後になって急いで職員室に行ったと思われる担任を見つけに行ったのですが既に他の学年のガチ恋勢に囲まれていました。これは中学の時と同じ光景だなと思いつつ、同じ学年のガチ恋勢が渡せたのを見守り昇降口に向かい今年は無理か・・・と思った瞬間高校1年生の頃の担任の先生が私に声を掛けてくれて、「何か元気無いけどどうしたの?」と言うのでバレンタインのチョコを高校1年生の頃の担任に渡しながら「あの囲まれ方じゃ私のチョコなんて渡せる訳無いから、今から帰ろうかなって思った所だよ。」と涙ながらに言った瞬間なんといつの間にか大好きな先生が立っていたのです。当時の担任の先生はいつの間にか退散し二人きりになった瞬間再び涙が零れて、「先生ってやっぱり人気だね。」「人気になる理由も俺には分からないけどね。・・・ところで何で泣いているの?何か嫌な事でもあった?」「先生に渡そうと思ったものがあったんだけど、皆渡しているから先生に渡しても嬉しくないだろうからなって。」「もしかしてチョコレート?実はさっき遠くの方で俺に如何にも用がありそうな表情でこっち見てたから、行こうと思ったけど他の子からのアピールが凄くてね。」私は涙を拭って私はチョコレートを渡しました。すると優しい笑顔でありがとうと言ってくれて「もうすぐ卒業だけど今までよく頑張ったね。次会えるのは卒業式だからそれまで体調管理気を付けてね。」といつも見ている笑顔以上に微笑んでくれて、昇降口で私が帰るまでお見送りしてくれました。もうその頃には涙なんてもうなくなっていました。そして卒業式になり感動の式が終わった後、私は会場でクラスメイトや友達と写真を撮った後に大好きな担任の先生を探しました。流石高身長というべきかすぐに見つける事が出来て「先生写真撮ろー!」と走りながら駆け寄ると、その光景に笑っているのか微笑んでいて早速アプリ起動してどうやって撮ろうか悩んでいた時「仕方ねぇーなー。」と言ってサッと私のスマホを取って、私に少し近寄って写真を撮ってくれたんです!そして「3年間毎年チョコ貰えて嬉しかった。御返しとかできなかったけどほんとに嬉しかった。」と言ってくれました。夢の様なちょっとした瞬間でもあったけどそれが嬉しくてそこから少しだけ話しました。「卒業式終わっちゃった。」「うん。4月から大学生になるけど自信はある?頑張れそう?」「うーん、分かんないけど先生に相談した時にもらったアドバイスを胸に頑張ってみるよ。」「俺さ、異動とか無ければずっと高校に残っているから何かあったら戻っておいで。話し相手くらいにはなるから。」「分かった。じゃあ絶対に頑張って来るから帰る時まで待ってて!」「分かった。」まさかこんなに会話が出来るとは思っていませんでした。ガチ恋勢が多かった先生とこんなに話が出来るなんて夢みたいだった。因みに高校1年生の頃の担任とも写真を撮ったのですが、その先生は「もう来年からはチョコ貰えなくなるんだなーって考えると寂しいよ。あっ、これ渡そうと思ってた。」と何とサプライズだったんですがホワイトデーのお返しをくれたんです!しかもご丁寧にラッピングされていて驚きましたが、もうこの時点で私は号泣してしまいました。「本当は毎年お返し出来れば良かったんだけど他の生徒達からの目もあるし、他の先生たちはあまりお返ししないから出来なかったんだよね。大学大変だろうけど辛い事あったら話聞くからいつでも高校に帰っておいで。」と言ってくれました。そんな形で私の高校生時代のバレンタインとホワイトデーは終わりました。
という事で私のホワイトデーとバレンタインのお話でしたが如何でしたでしょうか。やはり渡す側もすごく緊張しますが受け取って貰えた時の嬉しさは勿論、それで仲良くなれるというのも素敵ですよね。ちなみに今年は友達や大学の先生方に渡すのは難しいので断念するしかなかったのですが、その代わりに父親にチョコを渡しました。(父親からのお返しはツイステのレオナさんのクリアスタンドでした!)皆さんは今年のホワイトデー及びバレンタインデーはどの様な思い出になりましたか?皆様のバレンタインデーとホワイトデーが素敵な思い出になっていますように。最後までお読みいただきありがとうございました。次回の更新は明日更新しますのでお楽しみに!
この記事と震災の記事を読んでると、ちょっとだけ、ご両親の方が正しいような気もしてきました。
月猫さんの思い込みが、普通より激しいような、印象を受けます。
前回のコメントの繰り返しになりますけど、もっと分かりやすい例えで言うと、
一本道を進んでいたら、道が二つに分かれています。
広い道Aと細い道Bです。
「細い道は行き止まりになりそうだから、広いAを進むべき」
「広い方はおそらく車道で危険だから、細いBを進むべき」
こういうのが「意見」です。対立する意見。
私は、現状把握をして、正解が分かってから、進みます。
私は、そこで一旦、止まりますが、意見がある人は、それぞれ好きな道を行くから、失敗する。
月猫さんは、意見がないのに、何となくで、どんどんと、どちらかの道を進んでいく性格なのではないか、と思いました。
震災の話やバレンタインの話に小学生の事を書いてますが、親のせいではなく、元々そうなのでは?
決めた行動は貫きたい!みたいな性格のエピソードですし。
道が二手に分かれてたら、止まって、様子を見ていて、多くの人がAの道を歩いていくなら、Aが正解の可能性は高いですよね。
だから、ご両親が、月猫さんの性格を見て、「周りの人に合わせるように」と注意してるような気もしてきました。
まぁ、一般論なら言えるけど、月猫さんの事は、読んでて、よく分からなくなってきてます。
震災の記事も、ホワイトデイの記事も、コミュ障じゃないじゃん! と思いましたよ。
「対人恐怖症」というのも、合ってるんですかね?
ただの「場面かんもく症」のような気がしますが、どうなんでしょう?
似てるけど、違う症状で、場面かんもく症だとアイドルやってる人もいるけど、対人恐怖症でアイドルやる事はできない。
やっぱり、現状の把握ができてるのか、疑わしくて、どうも心配になります。
両親の事に関してですがそれは私が小学生の頃の話であり、今は今まで書いてきた記事の様な感じで私の事を理解してくれているのかそうでないのか分からない状態です。周りからも思い込みなんじゃないかと言われますが私は思い込みではなく本当の事なのではないかと。
なるほど。つまり現状を把握してどっちが自分にとって有利なのかを考えてから、自分で決めた道を進むという事でしょうか?(なかなか理解出来なくてすみません・・・。)
確かに何となくで進む事も多いですが、私の親は私が小学生の頃から何かと決めつけて私に言う事があるので多分それもあるのではと考えています。実際私の両親は私が幼い頃から「お母さんのいう事が正しいんだから!あんたは黙って親のいう事を聞けばいいの!」と言われてきて育っていますから。
その周りの人に合わせるように言うのも私はそういう事ではないと思っていて、というのもこれもしっかりとしたエピソードがあるのですが「あんたは自分で何かしようとして結局失敗して周りの子に迷惑かけるんだから、周りの人に合わせなさい!自分で行動するんじゃないわよ。」と言われた上に父親にも「お前はバカなんだから人に迷惑を掛ける事は一人前なんだ。」という様な感じで、私の事を勝手に決めつけていました。そして周りに合わせようとして行動した結果、友達から嫌われて高校時代の友達を失った形に近い結果になったんです。
周りからも何を言っているのか分からないとかレポートなどの書類の内容の意味が相手に伝わらない事が多くて、沢山の指摘をされることが多いのですがその事もあるのか余計に話すのが怖かったり何か発表するのが怖いと思う様になりました。震災の時やホワイトデーの時は小学生の頃の話がメインでそこから話が展開していますが、あくまでもメインは小学生の頃の私なのでその時は本当に積極的で誰とでも話せるタイプでした。実は中学高校の時は仲の良い子や先生達だけなら気軽に話せるのですが、そうでない場合や一人で何かしている時は本当に無口で誰かに話しかけられても上手く話せず目線も合わせられず言いたい事を理解してもらえない事が多かったです。(多少無理して話していたというのもあります。)ちなみに今も同じです。
対人恐怖症なのもほぼ確実らしいんです。保守さんが仰ってくださっている場面緘黙症の事についてなんですが、実はその事についてもネットで調べた結果自分に当てはまる事が多い事からその可能性もあるかなと思ったのですが親には言えず、今でも少し辛いというか自分が話せない現状に嫌になっている状態なのでもう少し様子を見てみて精神科にまた行って精神科の先生にご相談という形になるかなと思います。
現状の把握は未だに出来ていないかもしれないです。ここまで来ると何で周りの人はちゃんとできて自分は出来ないんだろうなと。でもこのままだといけないのかもしれないけど自分はどうせ何も出来ないからって、めちゃくちゃ思う部分はあるんです。いつも心配してくださってあありがとうございます。そしていつも的確なご意見やアドバイスもありがとうございます。