アメシストのマツ

五十代女性、既婚、子供なし、ただいま断酒中。
もう一生で飲めるだけの酒は飲み尽くしました。

断酒会とは何をするところなのか

2021-03-14 09:00:00 | 断酒会

断酒会もかれこれ二ヶ月になります。

改めて断酒会とはどういうところなのか紹介したいと思います。


酒害体験を聴く、そして話す 

「一日断酒」「例会出席」この繰り返し


断酒会活動の基本は例会です。


この例会は、20名くらいで約2時間、酒害体験を話し、それを聴きます。家族も参加します。家族も酒害体験を話します。


家族は依存症本人ではないものの、酒害の影響をまともに受けています。体験談を話すことにより、家族も自己洞察が強まり、回復へと結びついていきます。


この家族の体験談を本人が聴くことにより、記憶から抜けていた飲酒時代の凄絶な真実を思い出させてくれます。体験談は自分がしたことの事実と、その時の気持ち・真情を語ることが大切です。なぜなら、真情を語ることで反省が生まれるのです。


「意志が弱いから酒が止められないのだ」と周りの人たちから責められ、また、「やめたいのにどうしても飲んでしまう」という言い分をまったく聞いてもらえないし、理解もしてもらえません。例会に出席してそれを話すと、みんなが分かってもらえ、認めてもらえます。


ここから、みんな仲間だという一体感が生まれます。


また、例会に出席し続けることにより、自分は酒をコントロールできない、自分だけが違うのではなく、みんなと同じ依存症なのだという自覚が心に生まれてきます。


この「一体感」と「自覚」が断酒継続の原動力なのです。


このように断酒会では体験談を最も重要視します。したがって、体験談を話し、これを聴く場である例会では、体験談に終始します。


体験談は「言いっぱなし」の「聴きっぱなし」。


この部屋で聞いたことはこの部屋に置いていきます。体験談の秘密を守ることも大切なのです。


全日本断酒連盟ホームページより




2021/03/08 本部例会に参加

2021-03-08 12:50:00 | 断酒会
断酒して八週間が経ちました

毎週土曜の晩に断酒会に行くのですが、断酒会で聞いたことを思い出したり、次の断酒会で何を話そうか、という事を考えながら毎日過ごしています。

昨日は入会の挨拶があるので県の本部例会に参加してきました

急に当てられて緊張しましたが、ちゃんと挨拶ができて良かったです

私の他に再入会した人の話が心に残りました

仕事が忙しくて断酒会を退会したけれど、再飲酒してしまい、身体を壊して会社を休む事になったとのこと

やっぱり、断酒会は続けないといけないな、と思いました

最近水餃子が続いています
自分で包みました

2021/02/28 義父母の介護

2021-02-28 09:00:00 | 断酒会
昨日の断酒会では、義父母の介護のことを話しました

旦那の父は2017年1月に97歳で
旦那の母は2018年12月に92歳で亡くなりました

義父は白内障で目がほとんど見えてなかったですし

義母は元々小柄な人だったのが、食が細くなって最期は30キロあったかなかっただと思います

二人とも認知症と難聴がひどかったです

最初は別居して様子を見に通って居ましたが

お義父ちゃんが亡くなる前一年くらいの頃に

旦那は介護離職し、義父母の家に二人で引越して来ました



二人の世話に二人とも家に居る必要はないので

私はパートに出かけていました

私が仕事が休みの時に旦那は気晴らしに遊びに行きます

「あんたも、遊びに行ったらええのに」と、言われましたが

引越してきた場所に友達も居ないし

遊びに行くだけの気持ちの余裕も時間もありません

食べるものの支度はほぼ私がしていました

洗濯や義父のオムツかえなどは旦那がやってくれましたし

嫌々ながらもデイサービスに行ってくれたので

そのスキに行く買物に行くのと図書館に行くのが唯一の気晴らしでした

義父母は家にいる間、ほとんど寝て過ごしていました

義父はトイレに入ると一時間ほど出てこないこともありました

仕方なく近所のコンビニにトイレのために行く事もありました

夜中の2時でも3時でもトイレから義父の唸り声が聞こえるので

オムツを替えてベッドまで連れて行かないといけません

義母は私たちが引っ越して来た事が最後までわかりませんでした



近所のコンビニに行ってトイレを借りるついでに買うのが

最初は紙パックの鬼ころしだったのが

焼酎になり、ウイスキーになりました

二人とも寝ているし、旦那は遊びに行っているか別室でパソコンばかり見てます

空瓶は隠しておいて次にコンビニに行く時に捨てていました



二人ともいなくなって思うのは

頼りにされていたし、二人とも妄想もなかったし

「ウチはまだ恵まれている方です」なんて言いながら

ムキになって介護をしていたと思います

あの頃に断酒会に繋がれていたらよかったのに
なんて、今になって思います


今日も飲まずに過ごせそうです

感謝🥲


水餃子、黒胡椒が意外に合います


2021/02/21 断酒会の話題

2021-02-21 21:00:00 | 断酒会
今日は暖かい一日でした

旦那がバイトで遅番だったので

遅くまで寝坊して

撮りためたドラマ見たりして一日中中家で過ごしました



断酒会というところは

酒をやめ続けるための集まりが断酒会なんですが

大抵はエエ歳をしたおっちゃんで
(お爺さん、といった方が多いかも)

中には働き盛り、といった中年男性も居ますが

大部分は男性です



どんだけ飲んでいたとか

どんな酒飲んでいたとか

飲んでやらかした失敗とか

悪くした身体のこととか

交代で話します

中には何も話さず聴くだけのひともいます

仕事をリタイヤしてるのか、働けなくなったのか、年金暮らしなのか、毎日断酒会に出ているひともいます



依存症は家族の病なんだそうです

家族の理解と協力無くしては克服出来ない病です

家族も発言する番がきます

月に一度は別部屋で家族会があります



オンラインの自助会的な集まりもあるようですが

実際に集まって話を聴く会が私には向いているように思います

今日はグダグダ過ごしましたが
飲まずに過ごせました



今晩は白菜と鶏肉の鍋でした




2021/02/20 断酒会 父のこと

2021-02-20 21:00:00 | 断酒会
今日で断酒会も一ヶ月になります




父は良く飲む人でした

通風を患ってから医者に日本酒とビールを止められ

焼酎を毎晩飲んでいました

仕事から帰って、晩御飯のおかずを見ると

「コレは飲まずにいられない」

と、晩酌が始まります

たまに止めることもありましたが

とても機会飲酒と言える程度ではなかったと思います

「二十歳になったら、一緒に酒が飲める」

というのが口癖でした



昭和のはじめに生まれ

敗戦後の混乱期に高校を出て

金融系のサラリーマンとなったのですが

兄妹は自分以外若くで死に別れ

定年退職直前に阪神淡路震災があり

バブルが弾けたり相当大変な思いをしてきました

六十を前に鬱病になりました



無口な人でした

焼酎が入った時だけ調子の良い事を話してました

私達は早くに食事は終わるので

一人で飲んでいました

父も一人で飲んでいたかったみたいです



父の実家は農家でした

父の兄が家と田畑を継いだのですが早くに亡くなりました

私が小さい頃、父はよく帰省していました

当時車で三時間はかかったと思います

着くとビールが出てきて、昼寝して酔いを覚ましてまた車で戻る

それが普通だと思っていました



そんな父も八十四になります

硬膜外血腫で入院したのが五年前

まだもう少しの間お迎えは来ないだろうけど

認知症の霧の中に居ます





今日の断酒会ではそんな話をしました

今日も飲まずに過ごせました


断酒会でヤクルトいただきました